| 2025/10/20(月)-2025/10/22(水) 佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」℃Q詣旅行 <18/24> |














■2025年12月12日17:55
10/20(月)-10/22(水)佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」℃Q詣旅行(35)
尖閣湾の観光を終え尖閣湾揚島遊園売店(土産物店)≠ワで戻って来まして時刻を確認しますと、P.M.4:15頃でしたか…
本日の行程は尖閣湾観光≠ナオシマイですから、暫し土産物店内をブラブラと…でも、別段求めたいモノもありませんから、ほどなくバス車内へと(^-^)
P.M.5:00にはホテル万長%梺で、夕食は6:00からですから、入浴等で暫しユックリ過ごせそうであります。
館内イベントで、昨晩は20:10から1階ロビーで佐渡おけさ公演≠ナしたけど、今晩は夕食を終えますと国史跡「北沢浮遊選鉱場跡」<宴Cトアップに出かけます事に。
で、早速、受付に、1便19:30出発の予約電話を入れますと「時間が来ますと、参加者全員が揃っておられなくても、バスは出発します…」と仲々手厳しいお言葉が(^-^)
…と言う訳で、まずは入浴を済ませます事に。
入浴を終えますと、夕食後に出かけます国史跡「北沢浮遊選鉱場跡」≠スマホで検索し事前学習となりました。
◆北沢浮遊選鉱場
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
北沢浮遊選鉱場(きたざわふゆうせんこうば)は、かつて新潟県相川町(現・佐渡市)にあった佐渡金山(相川金銀山)の選鉱所。2012年(平成24年)に国指定史跡「佐渡金銀山遺跡」に指定され、2015年(平成27年)には重要文化的景観「佐渡相川の鉱山及び鉱山町の文化的景観」の構成要素にも選定された。
<歴史>
・歴史
相川町の北沢地区では、1937年(昭和12年)の日中戦争開始に伴う国策の増産体制の一環として、同年から1940年(昭和15年)にかけて大規模な選鉱施設が整備され、当時としては最新の技術である浮遊選鉱を行う選鉱場のほか、シックナー(濃縮器)が建設された。月間5万トンの原鉱を処理する大選鉱場として操業され、1940年(昭和15年)には佐渡鉱山史上最高の産出量を実現した。
・廃止とその後
しかし1952年(昭和27年)の鉱山大縮小に伴って施設は廃止された。その後は跡地の一部にプールやゴルフ練習場が建設されたこともあった。
現在では浮遊選鉱場は階段状のコンクリート躯体のみが残され、シックナーは50mのものが1基残っている。また、明治期から整備された旧北沢青化・浮選鉱所や旧北沢火力発電所の遺構も隣接して残っている。
・利活用
遺構は「佐渡島のラピュタ」と呼ばれ、観光スポットとなっている。2010年(平成22年)には広場が整備され、グッドデザイン賞を受賞した。
2018年(平成30年)からは期間限定で夜間のライトアップが行われるようになった。2022年(令和4年)7月には、選鉱場前にあった佐渡市保有の倉庫をリノベーションして交流拠点「KITAZAWA KICHI」(キタキチ)がオープン。2階にはカフェ「北沢Terrace」が設置され、選鉱場前の広場にはテラス席も設けられた。
2010年(平成22年)11月に佐渡金山が世界遺産の正式候補となると、2022年(令和4年)にユネスコに対し正式に推薦された。国指定史跡「佐渡金銀山遺跡」としては江戸時代の範囲のみを対象としているが、重要文化的景観の「相川鉱山町」としては北沢浮遊選鉱場がある北沢地区も含まれている。世界遺産の推薦書では北沢地区を含む範囲が推薦されたが、2023年(令和5年)に行われたユネスコ諮問機関による現地視察の結果、2024年(令和6年)6月には「相川鉱山町の中で明治時代以降の影響が強い北沢地区は除外すべき」と指摘を受けた。佐渡市・新潟県・日本国政府は登録実現のために北沢地区を候補から除外し、同年7月の第46回世界遺産委員会で「佐渡島の金山」の登録が決定した。
なお、北沢という地名は、相川の南を流れる間切川が南沢と呼ばれたことに対して、浮遊選鉱場内を流れる濁川が通称として北沢と呼ばれたことに由来し、正式な町名ではない。濁川は選鉱作業で使った廃水処理に利用された。
…と、こんな北沢浮遊選鉱場≠ナ、2018年(平成30年)から期間限定で夜間のライトアップが実施され、観光スポットの一つとなっていますようであります。
夕食を終え、定刻10分前に1階ロビーに下りて行きますと、20名ばかりの方がお集まりでありました。
で、その方達の後に付いてバスに乗り込み座っておりますと、このバスは、特定団体sanがチャーターのバスとかで、全員急いで下車となりました(^-^;
未だ定刻前ですから、おかしいなぁ〜と思っていたのですけど、GONsan達の乗車バスは、この後に出ますバスでありました(^.-)☆
こんなハプニングもありましたけど、バスは定刻にスタートで、15分程度で北沢浮遊選鉱場≠ノと到着です。
挿入の画像が北沢浮遊選鉱場≠フライトアップの様子です。
別にガイドsanの案内があります訳でもなく、ただ現地にバスで連れて行って貰うのみで、後は各自勝手に散策しながら拝観です(^-^)/
いゃいゃ、事前にWEB上で北沢浮遊選鉱場≠学習しておいて幸いでした。予備知識も無く、こんなライトアップを眼にしましても何の事やらサッパリですから(^_^)v
◆佐渡島のラピュタ -- 北沢浮遊選鉱場跡 --
--- 新潟県佐渡市 ---
--- https://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp/fushinjo/11476/ ---
新潟の海岸線は街灯が少なく、夜の運転中にバックミラーを覗くと真っ黒になります。今回、新潟に移住してから初めて訪れた佐渡島の海岸線も真っ暗でした。レンタカーを運転している私も助手席の友人もずっとしゃべり続けていたのは、少し怖かったのでしょう。目的地に到着すると突然、ライトアップされた廃墟が現れました。その幻想的な雰囲気に気圧された私たちは、しばらく黙り込んでいました。
その廃墟は、かつて佐渡鉱山から採れた鉱石の処理場として建てられた「北沢浮遊選鉱場(きたざわふゆうせんこうば)」の遺構です。遺された階段状のコンクリートに植物が生い茂るその姿から、映画『天空の城ラピュタ』の世界観を彷彿させると人気の観光スポットになっています。
浮遊選鉱とは、鉱山で採掘された岩の中から金や銀などを取り出す方法のひとつです。細かく砕いた鉱物を界面活性剤などの浮遊剤と一緒に水槽に入れてかき回し、泡とともに浮き上がった金銀粒を回収します。もともとは銅の選鉱工程で利用されていた方法ですが、金銀の回収に応用したのは佐渡鉱山が世界で初めてでした。
明治初期、鉱山の近代化をはかる政府は、佐渡鉱山に西洋人技術者を派遣しています。彼らが離島した後は、日本人技術者たちが引き継ぎました。昭和初期に建てられたこの選鉱場は、彼らが発展させた鉱山技術の結晶といえるでしょう。背景には日中戦争による金銀銅の増産運動がありました。そんな時代背景もまた、映画を思い起こさせるのかもしれません。
…と、ネット上には、こんな記載もありました。
挿入画像の最後の2枚は、北沢浮遊選鉱場跡、夜のシックナーです。浮遊選鉱によって不純物を取り除いた鉱石は、シックナーと呼ばれる沈殿濃縮装置でろ過した後、香川県の直島製鉄所へ運ばれましたとの事であります(^-^)//"





■2025年12月13日18:32
10/20(月)-10/22(水)佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」℃Q詣旅行(36)
皆さん、ライトアップされました北沢浮遊選鉱場≠暫く楽しまれますと、一人、二人と、送迎バスにと戻られますので、GONsanも(^-^)
バスでは、別段、人数確認をされます訳でも無く、全員揃ったと思われます頃合いを見て、ホテル万長へと向かいます。
ホテル万長近くまでバスが戻って来まして、ドラッグストアウエルシア佐渡相川店≠フ看板が眼に入りました所で途中下車のGONsanです。明日は佐渡滞在最終日で、また「両津港⇒新潟港」をジェットフォイル≠ノ搭乗ですから船酔い防止策を取りませんと(^-^)
GONsanが下車しますと、他にも4〜5名の方が同様に(^-^)
途中下車しますと、勿論、ここからホテルまではテクテクと歩きです(^-^)/
ウエルシア佐渡相川店≠フ店内に入りますと、今まで乗り物酔い用の医薬品を求めた事がありませんから、何が良く効きますのかサッパリ(^-^;
仕方なく、レジの店員sanにお尋ねです。
そして、手にしましたのが、この「アネロンニスキャップ=vなんであります(^_^)v
説明書きには、『酔ってからでも効く』ですから、これはイイですねぇ\(^o^)/
これで、明日の準備は万全です(^_^)v
GONsanと一緒に下車しました他の方々は、何を求めておられますのか店内で物色中でありました。
で、独りでノンビリとホテルにと戻って来ますと、ロビーでは、前夜同様に佐渡おけさ≠フ公演の真っ最中。こんな状況の中、ロビーを横切ります勇気なんぞ微塵もありませんGONsanですから、ロビーの片隅で終わりますまで拝見です。
ふん、ふん、この佐渡おけさ≠フ公演メンバーは、毎日、替わりますようですネ。メンバー全員が昨夜とは異なっておりました(^.-)☆
佐渡滞在最終日の翌朝も、起床は、A.M.5:00起きのGONsanです。5:30前頃にはウォーキング開始で大間港跡≠ヨと向かいます。
未だ薄暗い中、右折すれば北沢浮遊選鉱場≠ノ向かいますT字交差点へとヤッて来まして大間港跡≠燒レ前です。
この交差点近くで眼が止まりましたのが、こんな「大間町」の説明板であります。この説明板には、こんな記載が…
◆大間町
大間は大きな澗、湊を意味する。廻船の入江で栄え、米問屋が軒を並べ、大間番所が置かれていた。番所付きの問屋八軒の筆頭橘屋は、良寛の母おのぶの生家である。明治中期には最新の工法で大間港が整備され、鉱山用港湾の町として発展した。佐渡鉱山の鉱石は、この港から搬出された。
せっかく撮りました画像がピンボケで文字が不鮮明で読みにくいのでありますけど、多分、この様な記載だったと思います。
ふん、ふん、曹洞宗の僧侶良寛《anは、備中玉島(現・岡山県倉敷市)の円通寺で12年間修行しておられますから、岡山の方かと思いましたら、ふ〜ん、越後国出雲崎(現・新潟県三島郡出雲崎町)のご出身でありましたか(^.-)☆
※ 円通寺の良寛sanに関しましては、GONsanのホームページにも綴っていますので、下記URLでご覧頂けましたら幸いです。
円通寺 ⇒ http://gon.mbsrv.net/2020entsuji01.html
そして、お母上は、佐渡のお生まれでしたのですねぇ〜
ここには、「中元歌 -- 良寛 --」の詩碑も…何と記載してありますのか、よく分かりませんので、WEB上で検索してみますと、こんな良寛詩碑「母去悠悠父亦去」中元歌≠フ詳細な記述がありましたネ(^_^)v
◆良寛詩碑「母去悠悠父亦去」中元歌
--- 良寛乃母の生家橘屋跡碑 ---
碑 面
-- 中元歌 --
母去悠悠父亦去 悽愴哀?何頻頻
唯餘伯叔雙姨母 伯號妙悟叔妙真
妙真去年五月逝 去歳中元妙悟存
冉冉復至中元節 妙悟又作九原人
去歳去京為涕泣 今歳又移江湖濱
居移節換倍相思 萍跡暫留南北身
采蘋采蘋澗之滸 滴涙遠望紀水墳
拂院修營蘭盆會 蕭蕭唄韻映朱幡
時亦凉飆颯爾至 洗掃昏昏下合塵
雨過蕉影横斜陽 依稀又見来格神
神享供已衆帰院 更結恬談無為因
勧君莫永淪胥去 早艤川舟渡要律
-- 良寛 --
《建立趣意(碑陰)》
--- 中元歌碑建立の趣意 ---
良寛自筆の24句の長詩で 中元は盂蘭盆のこと 母がなくなり父もまた世を去った あとには母方の妹の妙真と妙悟が残ったが 妙真は去年5月に逝き 妙悟もことしの盂蘭盆を迎えてみるとあの世の人になっている 居を移し時がたつにつれて肉親のことがしのばれてならない 自分は南へ北へと浮草のような生活だったが 故郷に落ち着いた 思えば苦界に沈む父(以南 桂川に入水)よ 舟をととのえて安らかな仏の彼岸へ お渡り下さい の意
国上山の五合庵に落ち着いた40歳代のころ 父母を追悼した悲傷の詩で 佐渡の母には2人の妹がいたことがわかる
母おのぶの没後220年を迎え 第19回全国良ェ会総会と良寛サミットが 当年5月相川で開催された ここに母誕生の地に一碑を建立し 母や佐渡を限りなく慕う良寛のせつない心情を 後世に伝えることとした
-- 2002年 橘月建立 全国良ェ会・佐渡良寛会 --
場 所:新潟県佐渡市相川大間町53 良寛の母の生家橘屋跡
筆 者:良寛
建 碑:2002年橘月(陰暦) 佐渡ではじめて「全国良寛会総会」が開かれるのを記念し 良寛の母おのぶ生家跡に「良寛詩碑」を建立 総会の翌朝(5月26日)に除幕式を挙行
建碑者:全国良寛会・佐渡良寛会
参 考:「定本良寛全集」1-569 「相川郷土博物館」
それでは、この説明板の後ろ側方向が大間港跡≠ナすから、向かってみます。
そぅしましたら、眼の前に、いきなり『私有地につき関係者以外立入禁止=xですから、んっ!?≠フGONsan。
『立入禁止』と言われましても、せっかく訪れましたのですから、引き返します訳には行きません。それに観光客≠フGONsanですから「関係者以外」には該当しませんでしょうから(^-^)/
とにかく、立ち入らせて頂き拝見開始です(^-^)//"

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