| 2025/10/20(月)-2025/10/22(水) 佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」℃Q詣旅行 <14/24> |





■2025年12月03日11:56
10/20(月)-10/22(水)佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」℃Q詣旅行(27)
真野観光センター¢Oの進路を赤玉石庭園≠横目に進んで行きますと、二つの石碑が存在です。
この石碑前を左折しますと真野御陵(順徳天皇御火葬塚)≠ノ到着ですけど、この二つの石碑は何なんでしょうネ…
左側の石碑には、よく分かりませんけど「東宮駮駕之靈」と刻まれていますような…(違うかも)
そして、右側の石碑も、刻まれています文字が読みにくいのですけど、部分的に「吉田松陰」と「宮部鼎蔵(みやべ ていぞう)」の記載がありますから、吉田松陰と宮部鼎蔵が佐渡訪問時に詠んだ詩を刻んだ石碑のようなものなのかも…と、よく分かりませんから勝手に想像しますのみですけど(^-^)
真野御陵参詣後には真野観光センター≠ノ立ち寄りですけど、特に求めたいモノもありませんし、トイレ休憩となりました(^.-)☆
時間を確認しますと、もぅ正午近く。そろそろ昼食時間が到来ですけど、この辺りでは食事可能な施設も無さそうですネ…
真野御陵≠ニお別れし、日本海沿いを走行していましたバスは、途中から海岸沿いを離れ、北から南へ島を縦断で、到着しましたのがおみやげ市場「小木家」≠ナありました。
◆おみやげ市場小木家
--- https://www.visitsado.com/spot/detail0043/ ---
佐渡が島、南の玄関口小木港直結のお土産、お食事処です。
・佐渡汽船ターミナル直結、佐渡観光の発着地
「佐渡汽船小木港ターミナル」直結の佐渡名産を一堂に集めたショッピングセンタ−。海産物や銘酒、伝統工芸品、銘菓などがそろっています。喫茶&レストランでは、新鮮魚介を使った釜飯や定食など幅広いメニューを用意。名物は「いか釜めし」。佐渡市認証米“朱鷺と暮らす郷”を特製ダシで炊き込み、上にはイカ、エビ、ホタテなどの海の幸と竹の子、シイタケなどが彩りよく乗った逸品です。
…と、こんな「おみやげ市場小木家=vでありまして、昼食後にはおみやげ市場≠暫し散策後、向かいましたのが「たらい舟・力屋観光汽船」でありました。
◆たらい舟 力屋観光汽船
--- https://www.visitsado.com/spot/detail0045/ ---
気軽に体験!海上散歩「たらい舟」
佐渡名物たらい舟と言えば「力屋観光汽船」。女性船頭さんが巧みに操る舟は、旅情を誘います。モーターボートも爽快感あり、佐渡版「青の洞窟」めぐりも人気を集めています。大駐車場、売店や軽食堂もありますのでお気軽にお楽しみいただけます。
たらい舟≠ナすか…今までテレビ等で観た事はありますけど、乗船は初めて(^.-)☆
女性船頭さんのご指導を受け、漕いでみましたが、仲々思うようには進みません。「8の字を書くように漕ぐ…」との事でしたけど、一生懸命漕ぎ進むのですけど、GONsanの場合は、前に進まず、ドンドン後方へ(^-^;
普通の「舟漕ぎ」になってしまいましたよ(^-^)
まぁそれでも、楽しいひとときでありました(^_^)v
この周辺の海岸沿いは、観光船で巡りますと大変美しい景観を楽しめますのでしょうけど、本日は、天候要因から観光船はお休みでしたのかも(^-^)//"





■2025年12月04日14:42
10/20(月)-10/22(水)佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」℃Q詣旅行(28)
たらい舟≠フ乗船体験観光を終えますと、佐渡市中興方面へと戻りまして「中興入道草庵跡 御井戸庵」に向かいます。
この周辺には観光バスの駐車場がありませんから、近くの金井能楽堂≠フ敷地内に許可を貰って駐車です(^.-)☆
この敷地には、「金井町名誉町民 掘治部愛子夫妻之像」が…ご夫妻の像の台座には説明文がありますけど、経年劣化で読み辛くWEB上で確認です。
◆堀 治部(ほり じぶ)
--- https://tamabochi.web.fc2.com/PERSON/H/hori_ji.html ---
1906.03.28(明治39)〜1985.12.21(昭和60)
昭和期の医師、随筆家、全財産を佐渡の金井町に遺贈
新潟県佐渡郡新穂村出身。眼科医の本間芳太郎の二男として生まれる。1923.3(T12)県立佐渡中学校卒業。'31.3(S6)北海道帝国大学医学部卒業し医師免許を取得。
同.9 新潟県佐渡郡上中興村の堀家の一人娘の愛子と結婚。治部は大学在学中(1928)に既に愛子の母の堀シン(同墓)と養子縁組を済ませていた。結婚前に養子縁組をしたのは、治部の祖母こうは堀家から新穂の本間萬吉に嫁した人で、その孫の治部は堀家にとって血縁関係であったからである。また治部が佐渡中学校へ通学する際、自宅の新穂からでは二里(8キロ)余りもあって遠いため、一里足らずの距離にあった中興の堀家から通学をさせてもらっていた。よって、治部と愛子は幼少の頃より兄妹のような関係で仲が良かった。このようないきさつがあり、堀家では一人娘の愛子を治部に嫁がせ、堀家を委ねることを決定したという背景がある。
'36 堀家第9代家督を相続。同年、医学博士の学位を授与された。'37 支那事変に応召され、上海戦線に参加したが、翌年除隊。除隊後、東京淀橋区戸塚二丁目(東京都新宿区戸塚町)に耳鼻咽喉科医院を開業。医師の傍ら随筆を書き、'67 随筆『四つの旅』、'79 随筆『なにとなく』を出版。
'80 医院兼住宅の建物が古くなったことから同じ場所に改築。建て替え期間は、静岡県伊豆高原に仮住まいを建てて、一時転居。転居の数か月後、妻の愛子は発熱と下血を繰り返すようになり、検査の結果、胆のうの病気と判明し手術を受けた。手術後、一時は小康を取り戻すが、八月になると再び悪化したため、東京の病院に転居することにした。
'81.9 建設中だった鉄筋二階建ての新居が完成。一階をコンビニに賃貸し、二階を医院兼住宅として再び開業した。一進一退の病状を繰り返していた愛子は、その後の二度に渡る手術の効もなく、'82.8.9(S57)治部の手厚い看護もむなしく、不帰の客となった。治部は医師でありながら、死の直前まで苦しみ抜いた愛子を救えなかった痛恨の思いと、医療現場の課題を、随筆『影法師』としてまとめ、'83 愛子への鎮魂の書として刊行した。
治部と愛子は子どもに恵まれず、養子も不縁であったため、かねてから旧家である堀家の跡目が自分たちの代で絶えるのは先祖に申し訳ない、せめて二人の財産を社会のために役立てたいと話し合っていた。そこで、'79(S54)にお互いを執行人とする公正証書を作成し、二人の没後は全財産を公共のために提供する考えを固めていた。その頃、中興の留守宅の管理を任されていた藤原重次郎が、たまたま上京した折に財産提供の話を聞いて、「せっかく寄付するのなら、実家のある金井町の発展に向けてほしい」と要望した。そのことを忘れずにいた治部は、愛子の葬儀を終え、気持ちの整理もついた、'82.10.2「愛子名義の財産の内、東京都の宅地と伊豆の山林を本人の遺贈として金井町で役立てていただきたいと思うので、意向を聞きたい」旨の手紙を藤原に送った。もちろん金井町は、その厚意をありがたく受け入れることとなり、治部はいくつかの希望使途を明記した上で、自分の死後全財産を金井町に遺贈するため万全の措置を講じた。愛子が亡くなった三年後、治部も逝去。享年79歳。
寄贈された遺産より金井町はその功績に報いるため、'83.1.1 堀夫妻に「名誉町民」の称号を贈った。堀夫妻が名誉町民第1号となる。なお第2号は東京大学名誉教授の生物学者の浅島誠、第3号は日本画家の桑原義泰である。功績を賛えるとともに、夫婦の篤志を後世に伝えるため、中興の堀家跡に「金井町文化会館」を建設し、庭園に堀夫妻のブロンズ像を設置。本格的な能楽堂も併置し、演能をはじめ文化的行事に活用。'90(H2)東京都新宿区西早稲田に賃貸オフィスビルの鉄筋コンクリート地上八階・地下一階の「堀記念ビル」を建設。ビルにはコンビニ、商社、専門学校が入居、その貸賃収入はいったん積み立て、有効に使用すべき旨の町条例が制定された。そして、この多磨霊園に金井町が管理者として堀夫妻の墓碑を建てた。なお、金井町では、堀夫妻の遺徳を賛えるため、'91.3(H3)「金井町名誉町民 堀御夫妻」を刊行し、町内全戸に配布した。
<金井を創った百人>
<佐渡人名録「堀 治部・愛子 全財産を町に遺贈した医師夫妻」>
◆堀記念 金井能楽堂
--- https://www.japan47go.travel/ja/detail/81527b95-7082-4191-9ce0-43678bfeff6d ---
--- 更新日:2025.06.24 ---
・世阿弥ゆかりの地に建つ能楽堂
世阿弥の配所として知られる金井地区の能楽堂。年間を通して、演能や様々な催しが開催されています。屋内の舞台は三方を観客席が囲む配置。6m四方の檜舞台、10m前後の橋掛かり、老松を描いた鏡板から成っています。旧金井町名誉町民・堀治部夫妻の旧宅跡に建ち、夫妻のふるさとへの多大な貢献を顕彰して銅像が建てられています。
…と、こんな掘治部・愛子夫妻でありました(^.-)☆
県道306号線沿いの法華堂・御井戸庵≠フ表示板設置場所から狭い通路を法華堂・御井戸庵≠ノ進みます。
◆中興入道草庵跡 御井戸庵
--- http://park8.wakwak.com/~nichiren/sadonichirensyuu/niibo/oidoan/top.htm ---
・お寺説明文
【聖人硯水の霊蹟】
中興入道が草庵を建て、大聖人を迎えたという。明治4年(1767)に道照日宣法師が本庵を建立し開基した。その後何回か改築しており、現在の堂は平成9年(1997)に建てたもので、妙照寺の付属建造物である。
ここには日蓮聖人の霊験により掘られたとされる井戸があり、眼病に効くという。この水を使って「観心本尊鈔」を表したことは有名である。
法華堂に到着しますと、建物脇に、こんな説明板もありました(^-^)/"
◆御井戸庵・御井戸
日蓮上人ゆかりの中興入道案であり、法華堂という。道照日宣法師が、明和4(1767)に本庵を建立し開基した。其の後何回か改築しており、現在の建物は平成9年の始めに立てられたものである。
ここには日蓮の霊験により掘られたとされる井戸があり、水は目の病に良く効いたという。
この水を使って墨をすり、彼の三大経典の一つ、「観心本尊抄」を表したことは有名である。



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