| 2025/10/20(月)-2025/10/22(水) 佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」℃Q詣旅行 <16/24> |

■2025年12月07日22:17
10/20(月)-10/22(水)佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」℃Q詣旅行(31)
まちこ橋(遊仙橋)≠ノ向かってノンビリと歩いておりますと、まず眼が止まりましたのが「先人を称える碑」と「先人を称えて」の説明碑。
ふ〜ん、元・農林水産大臣の近藤元次sanは佐渡のご出身でありましたか(^.-)☆
◆近藤 元次
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
近藤 元次(こんどう もとじ、1930年(昭和5年)6月20日 - 1994年(平成6年)2月16日)は、日本の政治家。位階は従三位勲一等、勲章は瑞宝章。
農林水産大臣、衆議院議員(6期・自由民主党)を歴任した。息子は元自民党衆議院議員の近藤基彦。
-- 来歴・人物 --
新潟県佐渡郡相川町出身。新潟県立新潟工業高等学校を経て日本大学理工学部卒業。
相川町議会議員、新潟県議会議員を経て、1979年の第35回衆議院議員総選挙に旧新潟1区からに立候補し初当選(当選同期に佐藤信二・保利耕輔・畑英次郎・麻生太郎・小里貞利・岸田文武・白川勝彦・丹羽雄哉・亀井静香・吹田ナ・宮下創平・亀井善之・船田元など)。連続当選6回。
自民党内では宏池会(大平正芳→鈴木善幸→宮澤喜一派)に所属。農水政務次官、党農林部会長などを歴任した農林族の大物で知られ、1990年に第2次海部内閣の農林水産大臣として初入閣。1991年 宮澤内閣が発足すると閣僚経験者では異例の内閣官房副長官に就任。PKO法案成立に尽力するなど政権の裏支えに徹した。なお、1993年1月の宮澤首相のASEAN諸国歴訪に同行していたが、渡航中に体調を崩して肋膜炎を発症しながらもカンボジアでのPKO活動の視察を行った。帰国後に治療を行い一時は公務に復帰し、同年の総選挙で6期目の当選を果たしたが、その後同年暮れに病を再発させ、6期目在職中の1994年2月16日に死去した。63歳没。同月18日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付をもって従三位勲一等に叙され、瑞宝章を追贈された。追悼演説は、同年3月30日の衆議院本会議で、当選同期で近藤とともに農林族だった田名部匡省が行い「コンちゃん、充実の時だった」と故人を偲んだ。
先人を称えて≠フ説明碑には、文字が不鮮明な箇所もありましたけど、こんな記載が…
◆先人を称えて
この地が、尖閣湾としてよに知られ始めし頃、時折り訪れし客を小舟にて案内せし若者居たり。
若者の脳裏に、揚島に吊橋掛けたれば海の時化にも関わりなく一時に多くの人が天下の景勝、尖閣湾を島の上より一望すること可能なりと、揚島に架橋の夢芽生えたり。若者は同志ににその夢語らへど、時は日中戦争より第二次世界大戦へと向かひつつありし頃とて、夢のまた夢と消え失せにけり。
時は経て昭和25年、東北電力北荻川発電所にて導水管工事が架線を張りて行はれたり。架線と吊橋、若き日の夢を想起せし北見佐吉氏は、千載一遇の好機到来、目前に有る架線技術で「揚島に吊橋」をと、村人に説きた。
架線業者の寄宿先である佐藤忠蔵の、事業家的熱意ある働き掛けにて業者より資材、技術共に全面的支援の約束を得たり。
暫くして同年十一月、佐渡尖閣湾施設協会として発足せり。時に社員五十余名なり。資金は予定に充たず、社員の現物出資は無論のこと、生活苦しき中労務出役の全てを資本に替えて遂に昭和二十六年六月、村へ待望の吊橋の落成祝賀会を挙行するに至れり。
県道からは釣り人や野良仕事の人一人が通れるのみにありけるこの地を、かくばかりなる観光地に発展せしめる今日に至れるは、これ全て先人達の先見性有る英知と筆舌にて尽くせぬ労苦にならず。
四十周年を迎えるに当たり草創期の役員名を裏面に刻してその業績を称へむ。
-- 平成二年 有限会社尖閣湾揚島観光 --
そして、尖閣湾≠ニ命名の由来が記されました説明板も(^.-)☆
◆尖閣湾
-- 名称の由来 --
昭和七年に文部省天然記念物調査委員の理学博士、脇水鉄五郎氏が、この地を踏査された際、天下の絶景と賞され、世界一と呼ばれている北欧ノルウェイのハルダンゲル峡湾の景観に勝るとも劣らず、正に東西両洋に対をなす海岸美として「尖閣湾」と命名されました。そして、
昭和九年文部省より「名勝」にも指定されました。(脇水博士の経歴は裏面に)
脇水鉄五郎《anは、こんな方でありました。
◆脇水 鉄五郎
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
脇水 鉄五郎(わきみず てつごろう、慶応3年11月9日(1867年12月4日) - 昭和17年(1942年)8月10日)は、明治から昭和前期の地質学者、土壌学者。東京帝国大学名誉教授。
-- 経歴・人物 --
美濃大垣(現:岐阜県大垣市)に生まれる。1893年(明治26年)東京帝国大学地質学科卒業。1896年(明治29年)同大学農科大学助教授を経て、1917年(大正6年)東京帝国大学教授となる。1911年から1915年頃に掛けてヨーロッパおよびアメリカに留学し、オーストリアで森林土壌学、イタリアで砂防学を研究。帰国すると地質学や森林土壌学講座を担当した。樺太および北海道にて気候的植生の土壌に対する影響を調査し、表層地質学の新天地を開拓した。東京帝国大学教授退官後は、史跡名勝、天然記念物の調査員として活躍し、『車窓からの自然界 東海道・山陽編』・『日本風景誌』・『耶馬渓彦山風景論』などの著書を残した。ほか、1907年(明治40年)より日本地質学会評議員、1939年(昭和14年)同会会長をつとめた。
そぅそぅ、尖閣湾≠ヘ、映画「君の名は」のロケ地でしたネ。「名作『君の名は』ロケ地」と記されました、こんな案内板もありましたネ(^_^)v
◆君の名は
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
『君の名は』(きみのなは)は、日本のNHKラジオ第1放送で1952年から1954年に放送されたラジオドラマ。小説化、映画化、テレビドラマ化、舞台化もされた。
-- 概要 --
脚本家・菊田一夫の代表作。1952年にラジオドラマで放送され、多大な人気を獲得した。ただし、最初の半年間は菊田が「人々の戦争体験を主題に」シリアスタッチで描いていたため、あまり人気はなかった。当初は、東京・佐渡・志摩半島に住む家族を並行する社会派ラジオドラマを目指していた。真知子と春樹との恋愛にドラマが集中し始め、初めて人気番組となった。「番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える」といわれるほどであったという。このエピソードは松竹の宣伝による虚構だという説もあるが、『宣伝・ここに妙手あり』(田中純一郎、1958年)では、映画版の監督を手がけた大庭秀雄夫人の松竹の女優、森川まさみの発言がもとだとしており、『松竹の内幕』(横溝竜彦、1957年)では松竹の重役が考えたとしているなど、記述によって説がバラバラであり、これ自体が根も葉もない噂である可能性は否定できない。
ラジオドラマの人気を受けて1952年から菊田による小説版が新聞連載ののち宝文館から出版され、菊田にとって初の出版におけるベストセラーとなった。1953年には松竹で映画化されると大ヒットを記録し、氏家真知子のストールの巻き方が「真知子巻き」と呼ばれて女性の間で流行した。
映画『君の名は』(1953年)から数寄屋橋のシーン。向かって右が岸恵子、左が佐田啓二。
これは、主演の岸惠子が北海道でロケの合間に現地の寒さをしのごうと、神奈川県横浜市中区の馬車道界隈の店で購入して持参していた私物のストールを肩から一周させ、耳や頭をくるんでいたことによるとされる。この姿はカメラが回っている時にも使われることになり、「真知子巻き」が誕生した。
第一部の冒頭、佐渡に渡る船上でも真知子は「真知子巻き」に類したストールの巻き方をしている。
真知子と春樹が再会しそうになる(半年ごとの数寄屋橋での待ち合わせなど)が、不都合が起きてなかなか会うことができない。この「会えそうで会えない」という事態が何度も繰り返された。これは後の恋愛ドラマでもよく見られる描写(演出)であり、本作はこのパターンの典型にして古典となっている。
2020年の連続テレビ小説『エール』でも劇中劇として使われた。劇中では真知子役は恒松あゆみ、春樹役は三木眞一郎、アナウンサー(語り部)役は尾田木美衣が務めた。
まちこ橋(遊仙橋)℃闡Oには、燈台が存在です。
WEB上には、「初灯は昭和39年。荒々しい岩肌と白い灯台の対比が織りなす景観は、想像以上の美しさ。」…と、こんな記載がありましたけど、うん、うん、確かにそぅですネ。
何となく、絵になります燈台でありました(^-^)//"


■2025年12月09日17:28
10/20(月)-10/22(水)佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」℃Q詣旅行(32)
◆尖閣湾 揚島遊仙橋
尖閣湾は、姫津から北狄(きたえびす)地区までの約4qの海岸で、流紋岩を基盤とする標高30mの海岸段丘と海食崖が続きます。五つの小弯(幽仙峡、立雲峡、金剛峡、膳棚峡、大岬峡)と、遊園地のある揚島がある地域の総称です。尖塔状の断崖が連なる景観をして訪れる人々を圧倒します。一帯は海中公園となっており、揚島遊園(有料)の展望台からは全景が一望でき、海中透視遊覧船(有料)からは、湾内巡りと海中の様子など、違った景色が楽しめます。昭和28年(1953)に、菊田一夫原作の映画『君の名は』のロケが当地で行われ、『尖閣湾』の名は一躍全国に知られることとなりました。
橋名は、遊仙橋(ゆうせんきょう)ですが、「まちこ橋」とも呼ばれ、松竹映画「君の名は」のロケで吊り橋のシーンが有名になりました。今は頑丈なコンクリート製の橋に架け替えられています。橋を渡った島を揚島(あげしま)といい「あげしま展望台」となっています。5月下旬から6月中旬頃には岩ユリやハマナスの花が岩場に咲きます。
◆北欧のハルダンゲル峡湾に匹敵
-- 佐渡屈指の景勝地「尖閣湾」--
尖閣湾は姫津から北狄まで約3kmの海岸に広がる5つの小湾の総称です。天下の絶景と賞され世界一と呼ばれている北欧ノルウェーのハルダンゲル峡湾の景観に勝るとも劣らず、正に東西両洋に対をなす海岸美として『尖閣湾』と命名されました。昭和46年には海中公園に指定、さらに平成8年には日本渚百選に選定されています。
…と、ロケ当時は吊り橋でしたのでしょうけど、現在は頑丈なコンクリート製の立派な橋に架け替えです。こんな遊仙橋(まちこ橋)≠渡りますと、この島が揚島(あげしま)≠ナあげしま展望台≠ェ存在です。
ここには、こんな案内板が…
◆「断崖の名勝、尖閣湾誕生秘話」
名勝地「尖閣湾」は第1景から第5景の「5つの峡湾」のことをいいます。高さ約20m、長さ約4kmに及ぶ断崖絶壁です。(看板の左に見える景色)
尖閣湾は冬の猛烈な季節風と荒波によって作られた海食崖ですが、もう一つ大きな要因があります。それは尖閣湾の断崖がしま模様の目立つ流紋岩でできているためです。この岩石は、しま模様に沿って剥がれやすい性質があります。尖閣湾の流紋岩はしま模様が縦方向に伸びているため、切り立った風景となりました。
高さ約20m、長さ約4kmに及ぶ断崖ですけど、実に美しい、素晴らしい海岸美。
暫く見つめておりましたネ(^-^)//"

| ← 戻る Contentsに戻る トップページに戻る 進む → |