2025/05/30(金)-06/02(月) 「七面山敬慎院・奥の院=v参詣 <11/12>

 

 ■2025年08月01日21:15
 5/30〜6/2間で、ノンビリと「七面山敬慎院・奥の院=vに参詣でした(26)


 ご親切なご夫婦とお別れし、GONsan達は県指定天然記念物 七面山の大イチイ これより約400m→≠フ標識があります所から御神木(大イチイ)≠ノ向かいます。
 市街地での400m≠ニ言いますと、普通に歩きましても5分も要しませんけど、山の中での400m≠フ長い事(^-^;
 下っても下っても辿り着きません。下れば下るほど、また戻って来ませんとイケませんから、次第に憂鬱感が…モヤが掛かり周囲の景観は幻想的な雰囲気も醸し、写真を撮りますには最高なんでしょうけど、そんな元気も何処へやら。黙々と下るのみのGONsanです。
 嫁さんはサッサと先行で、モヤの先に消えてしまいましたネ。「未だかなぁ〜」とウンザリしておりますと、「んっ!?…着いたかも(^_^)v」。嫁さんの姿と、なんとなく大イチイ≠轤オき樹木が前方に(^_^)v
 ヤッと到着です。御神木(大イチイ)の脇には、こんな説明板が(^-^)/


 ◆県指定天然記念物「七面山の大イチイ」

 このイチイの規模は、根囲り12.0m、周囲6.0m(地上1.5m)高さ23.0mに達する。
 中央の幹は調査時(昭和34年)には枯れていたが、幹の下部は空洞にもかかわらず樹勢は衰えてはいない。
 県下におけるイチイの巨木の一つとして、また学問上価値あるものとして、県指定の天然記念物とされたものである。
 イチイという日本名は、一位からきたものと言われている。昔からこの枝を使って神職の用いる「シャク」を作ったもので、尊く位の高い木である。別の名も多く「アララギ」ともいい、北海道ではアイヌ語で「ナンコ」とも呼んでいる。本県の富士山麓にもこのイチイは多いが、土地の人は「ヘダ」と呼び、家のまわりに青垣としていることが多い。ここ七面山ではこの巨木を御神木として信仰におとずれる人が多い。イチイの分布は北海道を含む日本全土で、日本特産の植物であり、県指定の天然記念物として昭和34年2月9日指定され、保護されている。

 
-- 昭和61年11月1日 山梨県教育委員会・早川町教育委員会 --

 …との事であります。
 WEB上でも「七面山の大イチイ」を検索してみますと、


 ◆七面山の大イチイ

 --- 県指定天然記念物(指定日S34.2.9) ---
 --- https://www.town.hayakawa.yamanashi.jp/tour/spot/cultural/ichii.html ---


 イチイ科のイチイで、別名をアララギといい、方言名は北海道ではオンコ、長野・山梨ではミネゾウ、山梨県の富士山麓ではへダという。
 七面山裏参道40丁目の奥之院、影響石(ようごせき)から東へ約400m、春木川の谷に面した斜面の少し平らになった所に立っている。ここの標高は約1,500mである。根元の周囲8.50m、目通り幹囲5.90m、地上約5mで、南北2支幹に分かれ、枝は地上約3mから上で分かれ、特に上部でよく分かれている。
 幹の内部はすっかり空洞となり、幹の東側と西側は枯れ、下幹部の東と西は大きく欠けて穴があいている。支幹の下部も痛んでいる。
 枝張り東方7m、西方7m、南方8.5m、北方6.7m、樹高約21.5mである。イチイの果実は鳥に食われ、その種子は糞とともに散布されるといわれている。
 その昔、椎が伐り倒そうとして、この木に斧を入れたところ、血がほとばしったので、それ以来これを七面山の御神木として尊崇していると伝えられている。
 この木は本県におけるイチイの巨樹の代表的なものである。幹にはオシャグジデンダ、ミヤマノキシノブがわずかに着生し、樹下にはマイヅルソウが生えている。木の周囲はブナ、カエデ、サワグルミなどの落葉広葉樹に、トウヒ、マツハダなどの針葉樹を交じえた林で、林下にはフタバアオイ、シラネワラビ、オシダ、ミヤマエンレイソウ、ヤマタイミンガサなどが生えている。
 現在のイチイは指定当時よりも、幹はいっそう朽ちた部分が目立ってきているが、今なお樹勢を保っている。イチイは木の中では樹齢の高い木であるので、本樹の樹齢はおそらく1,000年をはるかに超えるものと思われる。


 ふ〜ん、本樹の樹齢はおそらく1,000年をはるかに超えるものと思われる。=cとは、凄い老木ではありますねぇ〜
 大イチイ≠フ裏側に廻ってみますと、確かに中はスッカリ空洞です。この状態で倒れませんで、今なお樹勢を保っているのですから御神木≠ニして信仰されますのも分かるような気が致します。
 それに、この大イチイ≠ェ存在します場所のみが「平坦地」と言うのも面白いですネ(^-^)//"
 とにかく、この大イチイ≠ノあやかって、GONsanも100歳まで元気に生きて行けますようシッカリ手を合わせておきました(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■2025年08月02日21:12
 5/30〜6/2間で、ノンビリと「七面山敬慎院・奥の院=vに参詣でした(27)


 御神木(大イチイ)≠ヨの参詣を終えますと、また敬慎院・奥の院≠フ参道にと上がらなければなりません。これが結構、憂鬱で(^-^;
 随分下って来ましたから、またその距離を上がって行かなければならないとは、考えただけでも苦痛に。
 で、影響石§eに上がりますルートを見廻しますけど、よく分かりません。嫁さんは、サッサと来た道を戻っていますし、仕方なく影響石≠ヨのルートを探しますのは断念。やむなく往路をそのまま引き返しとなりました。
 大イチイ≠ノ向かいます時には、「何処まで下れば辿り着くのだろう…」でしたけど、参道に戻ります時には「あと、どの位上がれば参道に出るのだろう…」と、行きも帰りも「また足が引きつるかも…」と危惧し通し。
 「大イチイの案内標識」まで戻って来ました時には、ヤレヤレでありました(^_^)v
 参拝客の皆さんのお姿も消え静寂な影響石¢Oの展望広場まで戻って来ますと、3匹のシカがノンビリと過ごしておりました。
 この3匹のシカを横目に、奥の院本堂横を通り抜け、いよいよ北参道(裏参道)≠ナ下山開始です。
 下山を始めまして間もなく、足が止まりましたのが自然記念物 七面山のゴヨウツツジ≠フ案内板(^.-)☆
 この案内板には、 こんな記載が…


 ◆自然記念物 七面山のゴヨウツツジ

 ゴヨウツツジは、白いツツジ型の花を着け、春先には車輪状の五枚の葉を着けるのでこの名が付けられた。
 その生育地分布は、東北地方から近畿地方にかけての太平洋側と四国におよび、内陸部にはまれに生育しています。
 県内での分布は少なく七面山では、ブナ、ヒメシャラ、スズタケなどと混生し、本県の代表的生育地として貴重な植生であるため、自然記念物に指定しています。
 この貴重な自然をみんなで守り育て、後世に伝えていきましょう。

 
-- 山梨県 --

 …と、こんな説明がありました。
 ふ〜ん、で、こんな赤い実も付けますようですネ。この赤い実に、朝モヤに包まれ水滴が(^.-)☆
 仲々イィ景観でありました(^_^)v
 それにしましても、この裏参道を利用されます方は誰一人おられませんようであります。下山していますのは、GONsan達のみ。上がって来られる方もおられません。
 参道は、整備され、なだらかな歩き易い道でしたけど、進んで行くにつれまして歩きにくさも出て来ました。急な下りもあれば石ころが散在しゴツゴツした箇所も(^-^)
 それでも、ただひたすら黙々と淡々と進むのみであります。が、そぅして進んでいますと、ヤッと男性がお一人上がって来られまして擦れ違いです。「こんにちは(^-^)/」と挨拶を交わしましたけど、お顔は少々お疲れ気味。表参道・裏参道共に敬慎院・奥の院≠ヨの行程は決して楽では無さそうですネ。
 そぅしていますと、途端に、また両足に引きつりが発生のGONsan。たまらず先を見据えますと、もぅ少し下った場所にベンチが…
 痛さをガマンしながらベンチまでどぅにか到達。暫し休息となりました。
 先行する嫁さんも、GONsanの姿が現れませんから心配で戻って来ましたネ。
 暫しの休息後、下山再開。ですが、この後にもベンチを見つける度に腰を下ろすGONsanなのでありました。この調子では下りもまた四苦八苦しながらの下山となりそぅですねぇ〜
 進んでは休み、また進み…を繰り返していましたら、前方に建物が(^-^)明浄坊 三十丁目≠ワで下りて来ましたようであります。
 七面山 敬慎院 奥之院≠ェ「四十丁目」ですから、まだまだ先が長いです。近年は裏参道≠フ利用者が少ないせいか、ここは無人でありました。
 WEB上で「明浄坊 三十丁目」を検索してみますと、こんな記載がありました(^-^)//"


 ◆七面山案内紀行其の二十四「明浄坊」

 --- 2011-08-22 22:01:26 https://ameblo.jp/nitishou/entry-10994599542.html ---

 影嚮石より、三十丁目の明浄坊まで凡そ十二丁。
 道はけわしくなる。所によっては表参道よりけわしい。というのは七面山の山形が、東西より南北に長く、北面の尾根幅が削ぎ立ったように狭くなっているため、表参道のように道を曲折・蛇行する余地がないからである。
 また、表参道に比べれば、杉並木や巨木の林立は見られず、一丁ごとに立てられている道標にしても風雅な石燈籠ではなく、宗教的な神秘性や森厳な雰囲気には乏しい。然し、それだけに却って辺りは明るく、また雄大な展望を楽しむことが出来る。
 右前方には、遠く富士山麓の本栖湖や河口湖が、鏡のように光って見え、左前方には、北より鳳凰の峰・北岳・間岳・農鳥岳・ザル岳等々の雄峯が、赤石岳の連峯に連なっており、また近くには武田信玄が掘ったという金山の崖が望まれる。
 時折、カッコウやコマドリの声がする。季節によってはホトトギスやウグイスの声も聞こえるという。
 やがて明浄坊につく、坊は近年出来たばかりの休憩所。ここより真東に当たって身延の峯と富士の霊峰が仰がれる。この景観を背景に、数名の信徒が一服しながら、七面信仰について体験談やら御利益談を語り合っていた。
 その中に、皆の話しを熱心に聞いている一人の御爺さんがいた。年の頃なら、六十前後、髪はもう真っ白になっていた。服装は皆と同じく行衣・手甲・御絆に力杖といった七面山では見慣れた姿であったが、ただ一つ変わっていたのは、白布に包んだ四角の木箱を頸からさげてしっかりと胸に抱いていたことである。
 「失礼ですが、御遺骨ですか…」と尋ねると、お爺さんは大きくうなづいて、
 「そうです。家内の遺骨です。家内は熱心な法華経信者でした。然し日頃病弱であったため、“一度お参りしたい”と口癖のように言っておりながら、とうとう死ぬまでお参りは出来ませんでした。その頃、私に信仰心があったならば、代参でもしたものをと、今では悔やまれてなりません。
 せめて遺骨と一緒にお参りをしようと思っていた折、幸い此処におられる人達が七面山へ登られるというので、早速娘に行衣を縫ってもらって、皆さんにつれられてお参りに来たのです。昨日は身延山で追善の法要を営んでもらいました。今日は夫婦して初めて七面山へお参りさせて頂いております。
 これも家内の霊の導きでしょう。これからは亡くなった家内と共に、一生懸命、法華経信仰を励んで行きたいと思っています」と答えられた。傍にいた一行の先達の人も、
 「宿に泊まった時は、必ず二人前のお膳を取って、一つは御遺骨に供えられていた」と付け加えられた。居合わせた人々はすべて深い感動に打たれた。そして一行と共に、御遺骨を胸に抱いて一歩一歩力強く登っていくお爺さんの後ろ姿は、余りにも印象的であった。

 

 

 

 

 

 

 ■2025年08月03日12:17
 5/30〜6/2間で、ノンビリと「七面山敬慎院・奥の院=vに参詣でした(28)


 明浄坊≠ヘ無人で何にもありませんから、暫し休憩…と言う訳にもいかずスルーし、先に進みます。
 GONsanの両足の状態は依然として芳しくありませんから、依然として淡々と黙々と歩みます。ただ救われますのは、参道の周辺はズッと新緑に覆われ、この景観には大変癒やされます(^_^)v
 この景観が、足取り重いGONsanを元気づけてくれますから嬉しいですネ。
 こんな景観の中、下って行きますと前方にベンチが(^.-)☆
 またまた、ベンチを眼にします度に一休みです。そして、また前進が続きます。
 暫く下っておりましたら、大木と、その下に建物が…大木の脇には説明板が…説明板には『七面山の大トチノキ』と記載ですから、ヤッと、安住坊(19丁目)≠ノ到着です(^_^)v
 でも、19丁目≠ナすから、奥の院〜裏参道入口間のほぼ中間点に到達した程度。未だ未だ先が長いです(^-^;
 大トチノキ§eには人影が…色んな角度から大トチノキ≠撮りまくっておられますようであります。奥の院から下山して来まして、ヤッと二人目の方に遭遇ですから嬉しいのなんの(^.-)☆


 ◆安住坊(19丁目)に到着
 --- https://www.yamarepo.com/200/shichimenzan.html ---

 表参道同様に道は単調で、作業道のような登山道を延々と歩く。しかも歩いている登山者が皆無で、表参道に比べて利用者は極端に少ない。
 【15:05】安住坊に到着。
 安住坊は19丁目なので、ちょうど中間地点。明浄坊同様に建物の扉は閉じられていた。安住坊には樹齢700年、山梨県指定天然記念物の「大トチノキ」がある。写真では伝わりにくいが、結構迫力がある。


 …と、WEB上には、安住坊≠ワでの行程を、このように綴っておられます方も(^-^)
 嫁さんも、ここで一休みの態勢ですから嬉しい。タップリと休息しなくては(^-^)/
 休息前に説明板≠ノ眼を向けますと、こんな記載が…


 ◆山梨県指定天然記念物七面山の大トチノキ

 昭和34年2月9日指定
 南巨摩郡早川町高住字栃原山835 安住坊境内
 久遠寺 所有

 本県におけるトチノキの巨樹として代表的なものである。
 伝説によれば、この木は、日蓮上人の高弟である日朗上人(1243年〜1320年)が手植えしたものだという。
 樹幹は空洞になっているが、樹勢は旺盛である。その規模は、次のとおりである。
 根廻り幹囲       8メートル
 地上1メートルの幹囲  7メートル
 枝張り東西      20メートル
 枝張り南北      24メートル
 樹高         25メートル

 
-- 昭和49年12月1日 山梨県教育委員会・早川町教育委員会 --

 WEB上で検索しますと、こんな記載もありました(^-^)//"

 ◆七面山の大トチノキ(しちめんざんのおおとちのき)
 --- https://rekishinomichi-yamanashi.jp/ja/spot/5-41.html ---
 ・日朗上人お手植えと伝わる老木
 七面山敬慎院の北参道19丁目、安住坊の庭にあるトチノキの巨木は、六老僧(日蓮聖人がの臨終の際に指名した6人の弟子)の一人である日朗上人のお手植えと伝えられており、1959(昭和34)年に山梨県指定天然記念物に登録されています。根元の周囲は8m10p、幹の周囲は6m80p、樹高は25mほどで、四方に枝を張り出す堂々とした姿は神々しさを感じさせます。

 ◆七面山の大トチノキ
 -- 県指定天然記念物(指定日S34.2.9) --
 -- https://www.town.hayakawa.yamanashi.jp/tour/spot/cultural/tochinoki.html --

 トチノキ科のトチノキ、安住坊の庭の西方、一段と高い所に立っている。ここは七面山裏参道19丁目、標高1,000mの所である。根元の周囲8.10m、目通り幹囲6.80m、太い幹は地上約9mで折れ、地上3mから上方で枝を四方に出し、枝張り東方13m、西方9.5m、南方8m、北方10m、樹高約25m、外見ではわからないが、幹の中は空洞になっている。樹勢盛んで、5月下旬沢山の花をつける。
 七面山の開創は日蓮上人の高弟の日朗上人と南部実長公といわれているが、このトチノキはその日朗上人お手植と伝えられている。もしこれが真であるとすれば樹齢は700年近いことになる。トチノキの巨樹として県下の代表的なものである。

 

 

 

 

 

 

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