2025/05/30(金)-06/02(月) 「七面山敬慎院・奥の院=v参詣 <5/12>

 

 

 ■2025年07月16日10:42
 5/30〜6/2間で、ノンビリと「七面山敬慎院・奥の院=vに参詣でした(11)


 ◆日蓮聖人お手植杉(にちれんしょうにん おてうえすぎ)

 --- https://rekishinomichi-yamanashi.jp/ja/spot/5-20.html ---

 ・日蓮聖人が植えた4本の杉
 奥之院には日蓮聖人が植えたと言われる杉の木が4本残っており、身延町指定文化財に指定されています。これらは聖人が両親と恩師である道善坊の迫善への報恩のため、また立正安国を祈念して植えられたものと伝わっています。
 開基堂から仁王門へと階段を登る際、階段の右側には「御父妙日尊儀菩提の杉」、左側には「御母妙蓮尊尼菩提の杉」が立っています。さらに階段左側の木立の中には「立正安国祈念の杉」が立ち、境内の右側には「御師範道善坊報恩の杉」が確認できます。いずれの杉も樹齢700年を超える巨木です。

 ◆【町指定史跡】日蓮聖人お手植えの杉

 --- https://www.town.minobu.lg.jp/bunka/rekishi/2023-1205-1144-32.html ---

 指定日:昭和44年9月12日
 所在地:身延山奥の院
 所有者:久遠寺

 ・概説
  身延山思親閣境内に日蓮聖人のお手植えと伝えられる老杉4本が高くそびえている。四本は、聖父妙日尊儀追善記念(目通り幹囲5.3m)、聖母妙蓮尊儀追善記念(目通り幹囲5.35m)、師の道善房報恩記念(目通り幹囲5.6m)、立正安国記念(目通り幹囲5.3m)である。

 ◆奥之院思親閣(おくのいん ししんかく)

 --- https://rekishinomichi-yamanashi.jp/ja/spot/5-21.html ---

 -- 日蓮上人が故郷と両親を追慕した霊場 --
 標高1,153mの身延山頂は日蓮聖人が身延山で過ごした9年間に幾度となく登り、故郷である房州(現千葉県)小湊の両親を偲び、追慕した霊場です。境内の祖師堂は、六老僧(日蓮聖人が臨終の際に指名した6人の弟子)の一人、日朗上人によって1665(寛文5)年に建てられました。堂内には1680(延宝8)年に造られた祖師像、六老僧像、妙日・妙蓮像が奉安されています。また鐘楼と洪鐘は1668(寛文8年)のもので、祖師堂とともに身延町指定文化財に指定されています。仁王門は本堂前にあったものを江戸前期の天和年間に移設したもので、伝運慶作の「密迹金剛」、「那覇延金剛」が勇壮な姿を見せています。そのほか大孝殿、開基堂、育恩殿、故郷の方角に祈る日蓮聖人立像、日蓮聖人お手植え杉などが見学できます。
 奥之院思親閣へは、本堂の裏手からロープウェイに乗れば約7分で到着できます。また、本堂から5qの表参道を歩いて上る場合は2〜3時間の道のりです。ロープウェイ山頂駅のそば、表参道の終点には展望台があり、伊豆半島や富士山などが遠望できます。

 

 

 

 

 

 ■2025年07月17日14:11
 5/30〜6/2間で、ノンビリと「七面山敬慎院・奥の院=vに参詣でした(12)


 仁王門≠潜りまして、境内の右側には常護堂∞鐘楼≠ナ、左側には手水舎∞元政上人埋髪塚∞釈迦像≠ェ並びます。そして、正面に祖師堂≠ェ…


 ◆仁王門
 本院本堂前の仁王門(二天門)を移転したものです。
 六浦平次郎入道の建立で、天和年間31世日脱上人代に本堂域から移転されました。仁王像は31世日脱上人の開眼です。門の前の石段は昭和45年、佐藤玄守別当代に造営されました。

 ◆常護堂
 登詣者を守護する常護菩薩を安置しています。

 ◆鐘楼
 延宝5年(1677)30世日通上人代に建立されました。鐘銘は29世日莚上人の撰です。70世祥上人代に甲州南条講が寄進しました。

 ◆元政上人埋髪塚
 身延町指定文化財(史跡)です。
 元政上人は、年老いた母を輿に乗せ、病身の身を顧みずに身延に登詣し、父の遺骨と自らの黒髪をこの地に埋葬されました。これは紀行文「身延道の記」としてまとめられています。

 ◆【町指定史跡】元政埋髪塚

 --- https://www.town.minobu.lg.jp/bunka/rekishi/2023-1205-1154-32.html ---

 指定日:昭和44年9月12日
 所在地:身延山奥の院
 所有者:久遠寺

 -- 概説 --
 奥の院思親閣の仁王門をくぐった左側にある。深草元政上人が慈父の遺骨を首にかけ、老母のお供をして登山し、父の骨と自己の髪とを埋めて記念の為桜木を植えた塚がある。後人その大孝を偲んで碑を建てたが、その碑に元政上人の辞世「鷲の山常に住むてふ峯の月かりに現れかりにかくれて」と刻んである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■2025年07月18日17:47
 5/30〜6/2間で、ノンビリと「七面山敬慎院・奥の院=vに参詣でした(13)


 ◆祖師堂

 仁王門をくぐった先、正面に建つ「祖師堂」は日蓮大聖人の直弟子である六老僧の一人、大国阿闍梨(あじゃり)日朗上人によって開創され、加賀藩三代藩主・前田利常公の母君(ははぎみ)、寿福院お千世の方(かた)の寄進により、寛文5(1665)年に完成した由緒ある御堂です。
 思親閣祖師堂は“親を思うお堂”という意味で名付けられており、身延町指定文化財です。現在3年任期の別当制が敷かれており、七面山敬慎院とともに久遠寺法主が任命します。

 ◆身延町指定文化財 思親閣本堂

 指定日:昭和44年9月12日
 所在地:身延山奥の院
 所有者:久遠寺
 時 代:江戸前期 寛永八年(1631)
 大きさ:間口10.97m、奥行12.7m

 -- 概説 --
 日蓮聖人が9ヶ年の間、東の安房の空を拝し父母を慕い、恩師の面影をしのび回向された地で海抜1147mの所に、先ず六老僧の一人日朗上人がお堂を建て、宗祖の大孝をおもう人々によって道開かれ堂宇も建築されたが、寛永8年(1631年)身延山第24世日要上人の代に、前田家の寿福院の寄進によって建築され大正2年(1913年)に修改築した。
 身延山の山頂にある奥の院。日蓮聖人お手植の杉をみながら参道を登っていくとある。この周りを一周する遊歩道があり、散策するととてもいい景色がみられる。山登りが苦手な人はロープウェイがあるので便利。

 ◆釈迦像
 昭和45年(1970)4月、岡山県小野哲敬氏が奉納したものです。


 ふ〜ん、岡山県の小野哲敬氏≠ヘ、どんな方なんでしょうねぇ〜
 思親閣境内を一通り拝観しましたので、釈迦像の後方から杉林を抜け北側展望台≠ノ向かってみます。明日上ります七面山≠ェ眺望出来ますかどぅか…東側展望台から富士山の眺望は叶いませんでしたから、同様に雲に遮られ期待薄ですが(^-^)


 ◆北側展望台
 山頂・奥之院駅から徒歩3分の場所にある北側展望台からは、七面山・早川渓谷・南アルプス・八ヶ岳連峰、そして、奥秩父の山々を背にした甲府盆地へと続く大パノラマを望むことができます。
 特に空気の澄む冬は、富士山に次ぐ日本第二の高峰北岳をはじめとする南アルプス、主峰・赤岳をはじめとする八ヶ岳連峰が白銀を頂き、ひときわ輝きを増します。


 …と、こんな北側展望台≠ナすけど、この日の眺望は雲がジャマして七面山≠煬ゥえませんでしたネ(^-^;

 

 

 

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