2024/11/03(日) 水呑学区「ふれあい文化祭史跡巡り=v <4/5> |
妙顕寺境内北端側から墓地に上がり、墓地脇の小道を北側に進み、樹木の間を抜け砂防ダム下にと到着です。
ここから妙性ヶ滝≠ノ上がって行けばイィのでしょうけど、時間的制約と上り道が荒れていますせいもあるのでしょうネ。砂防ダム下辺りから妙性ヶ滝≠フ説明です(^-^)
挿入の妙性ヶ滝≠フ画像は、7〜8年前になりますでしょうか…墓参りで訪れました便を利用し、独りで妙性滝を訪れまして撮りましたものです。夏の渇水期に訪れましたからこんな滝壺ですけど、水量の多い時期に訪れますと滝らしく見えたものと思います。
◆妙性ヶ滝
妙顕寺の西裏山50mの所にあり、落差8メートルの滝である。幕末の漢学者・門田朴斎は此の滝を日光華厳の滝になぞらえ詩を残している。
砂防ダム下から少し下りますと、貴船神社≠ノ到着です。
◆貴船神社
創建は元和元年(1615)で大正15年(1926)改築する。祭神は高?神(たかおかみのかみ)で雨乞いの神(竜神)。
◆歩いてふれよう水呑の歴史と風土「ふるさと水呑」案内
-- 貴船神社と地神さん 平木郷 --
平木郷にあり、創立は元和年中(1615)。
大正15年(1926)四月拝殿を新築。境内は30坪、祭神は高?神(たかおかみのかみ)。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、伊邪那岐尊(いざなみのみこと)の子火の雷神である軻遇突知(がぐつち)(大蛇)を斬った時に神の形を現したのを言う。此の神社の本社にあたるものは、京都市左京区鞍馬貴船町に鎮座する貴船神社の分霊社であろうかな、祈雨祈晴に霊験ありとのことです。
御神体は座姿にして高さ七・八寸の木造である高?神は水を司る神様です。
此の神社の教えは格言水五題(かくげんすいごだい)と言います。
石柱一対 昭和8年(1933)9月奉納
石塔篭一対 昭和16年(1941)8月奉納
地神さんは境内の左側に建っています。
旧?により春と秋二回社日の日に祭礼を行う。農民一同祭日には神前で春は豊作を祈り、秋は収穫に感謝する日です。
-- 平木川 又の名は あばれ川 平木郷 --
此の川は古くからあって貴船神社より山に300mくらい登れば、ここに水呑史跡の妙性滝があります。
それは清らかな水が今も流れています。妙顕寺の建立者の僧侶が1300年代に滝に打たれて修行していたようです。その時代から清い水は、下流の平木郷人々に飲み水として恵みを与え分けていたようです。
古老の話では、現在の平木川は山ノ神郷の方向に流れて水呑川に注いでいます。其の昔は土居郷から浜郷へ注いで、現在の交番の水呑川に注いでいたようです。古老も爺から聞いた話だそうです。そのようなことが有ったのでしょうか。これには興味がありますね。
参考資料『史跡調査書』『水呑町史』『平木貴船神社資料』
水呑学区まちづくり推進委員会 水呑歴史民俗資料保存会 令和5年(2023)二月吉日 設置
…と、説明板にはこんな記載がありました(^-^)//"
貴船神社≠ニお別れしますと、次に向かいますのは高木川=B
◆高木川
水呑七泉の一つ。昔この辺りはうっそうとした高い木が茂った森だったことからこの名がついた。
水呑とか鞆では、井戸∞泉≠フことを川≠ニ言っていましたとか。お隣りの田尻では川≠ニ言いませんようですから面白いですネ(^-^)
続いて向かいますのが妙見神社∞明見川=B
◆明見川 -- 水呑七泉の一つ。
…と、頂いた資料には、こんな簡単な説明が(^-^)
神社が妙見神社≠ナすから妙見川≠ニ言っても良さそうなんですけど明見≠ナすから、何か謂われがありますのでしょうネ。
池の畔の明見川≠ノは出向かず、神社の境内からの説明でありました(^.-)☆
妙見神社の常夜燈からは、いつものように芦田川大橋主塔をパチリです。妙見神社を後にしますと、志茂占部≠フ石垣に文字を現した石組≠ヨと向かいます(^-^)//"
参加者の皆さんの後方に付いてノンビリと歩んで行きますと、石垣に文字を現した石組≠ヨと到着です。
石垣沿いの道は狭い小径ですから、後方におりますと、哀しいかな説明される方の声が聞こえません(^-^;
で、後で、石組みを拝見しますと、北から順に家∞人∞吉≠ニ石垣は組まれているのでしょうけど、う〜ん、吉≠ニ人≠ヘ分かるのですけど家≠ェ分からない(^-^;
石垣にはツタ≠ナはないのでしょうけど、類似の植物が張って覆われた箇所もありますので、家≠フ部分は覆われて隠れていて見えませんのかも…
これらの文字より想像しますに、家族や親族が安泰で災厄がなく、健康で楽しい生活が送れるよう°F願され石垣に文字を現した石組≠ニされましたのでしょうねぇ〜
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