2022/10/9(日) 「鞆の浦 de ART 2022」開催中の鞆の町を散策 <6/11>

 

 

 

 

 「明円寺・医王寺」に向かいます参道の両側の民家の軒先には、こんな賑やかな飾り物が…これは、何なんだろう?…と、いつも思うのですけど、これは何で吊り下げられていますのでしょうねぇ〜
 この上り坂の参道を進みますと、明円寺の山門が…早速、山門を潜り境内へ。


 ◆明円寺((福山市)

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 明円寺(みょうえんじ)は、広島県福山市にある真宗大谷派の寺院。山号は松江山。本尊は阿弥陀如来。

 ・歴史
 承久年間、沼隈郡山田村に建立された小坊が始まりとされる。当初は天台宗であったが、暦仁元年(1238年)山南村(現・福山市沼隈町)光照寺の明光の導きで浄土真宗に改宗。文明年間、山田村領主から日蓮宗への改宗を迫られたが改宗を拒み、鞆の浦に移転した。
 石山合戦時は、10代住職長存が備後門徒を集め、「進者往生極楽、退者無間地獄」の旗を掲げて奮戦し、東本願寺設立にも尽力した。その功績により本願寺12代教如から「松江山明円寺」の寺号を賜った。

 ◆明圓寺

 --- https://tomonoura.life/spot/12649/ 鞆物語 ---

 承久年間、沼隈郡山田村に建立された小坊が元とされています。当初は天台宗を奉じていましたが、1238(歴仁元)年、山南村光照寺の明光上人の導きで真宗に改宗しました。
 鞆の浦への移転は文明年間、山田村の領主に日蓮宗への改宗を迫られ、これを拒否した直後のことです。戦国時代末期にあった織田信長と本願寺の戦い(石山合戦)では、住職の長存が備後門徒を集め、「進者往生極楽、退者無間地獄」の旗を掲げて奮戦し、その後は東本願寺設立にも尽力しました。「松江山明圓寺」の寺号はこれらの功績により、教如上人から授けられたものです。

 ・鞆の浦に根を張る、生きたお寺
 開祖親鸞聖人存命の頃から一貫して念仏の教えを説き、権力にも膝を屈さず、地域の門徒と共に歩んで来たこのお寺は、今も人々に教えを説き、悲喜を共にし、安心の源であり続けています。鞆の浦の諸寺の中で、最大の檀家数を持つとも言われる明圓寺。お墓の数も膨大で、明治時代に活躍し、フランス人ボクサーとの異種格闘戦でも勝利した力士「鞆の平」もこのお寺に眠っているとか。
 ◇海を臨む墓地に、今日も南無阿弥陀仏の名号が響く

 ・鞆の浦に二つだけ、江戸初期の梵鐘
 明圓寺の梵鐘は、鞆奉行萩野新右衛門らの寄進によって1644(寛永21)年に作られました。この時代に作られた鐘は、江戸末期と第二次大戦時の二度の金属供出でほとんどが失われ、鞆の浦でも残っているのはここと、阿彌陀寺の二箇所だけです。朝鮮鐘の形式が取り入れられた江戸初期の貴重な鐘。大晦日には除夜の鐘としてつくことができるそうです。
 ◇腰袴式の優美な鐘楼が、境内に気品を添えて―


 …と、こんな明圓寺であります(^.-)☆
 ここには、三桝正典sanの作品が展示されておりました。WEB上で「三桝正典」sanを検索しますと、こんな記載がありました。


 ◆三桝 正典(Masanori Mimasu)

 ・作家紹介/Artist Information
 三桝正典は、ジャパニーズ・モダンをテーマに、お寺や美術館・資料館の中にある和の建物の空間を彼の現代アートで埋め尽くす試みに取り組み、精力的に作品を発表してきた。
 新たにジャパニーズ・モダンをテーマに様々な桜を描き発表。また、東山三条の古川町商店街の依頼で三桝が手がけた屏風も併せて展示。ギャラリー白川ではこれまで6回の個展を開催。

 ・略歴/Biography
 広島県生まれ。1983年高知大学教育学部特設美術過程(版画科)卒業。
 2012年、桜下亭(広島:重森三玲作庭茶室)白雪楼(蘭島閣美術館・広島)。
 2013年、瑞峯院(大徳寺・京都)明喜庵(爽籟軒・尾道)ひろしま美術館壁画(広島)。
 2014年、明星院(広島:上田宗箇流和風堂写)、和心庵(広島市植物公園)。
 2015年、頼山陽史跡資料館居室(広島)、露滴庵(国宝浄土寺・尾道)。
 2017年、洗心庵(なかた美術館・尾道)龍泉山西性寺(鳥取県大田市)他。現在広島女学院大学文学部幼児教育心理学科教授。

 ◆三桝 正典(みます まさのり)
 (美術家・広島女学院大学児童教育学科教授)


 --- https://jakyosai-hiroshima.jp/hiroshimawindow/profile/1310/ ---

 1960年 広島に生まれる。
 1994年 第3回公募広島の美術展(大賞・広島市現代美術館)、第5回TAMON賞(優秀賞・柏市文化会館)、第5回青木繁記念大賞展(奨励賞・石橋美術館)
 2012年 「アートイン白雪楼」(蘭島閣美術館・白雪楼)
 2012年〜各地にて襖絵・掛軸・屏風制作公開展示
 2019年 「三桝正典 ジャパニーズ・モダン展」(美術館あーとあい・きさ)
 2020年 「印象派のいろは展」新作襖絵・屏風特別展示(ひろしま美術館)


 …と、こんな方でありました(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 明円寺とお別れし医王寺に向かって参道を上がっておりますと、途中、右側に「ギャラリー・カフェ『さらすわてぃ』」が…

 ◆心安らぐ、自然と一つになる場所を「さらすわてぃ」新田久子の物語り

 --- https://tomonoura.life/story/12394/ 鞆物語 ---

 海や草木、陽の光とともに息づく鞆の浦。そんな鞆の町を象徴するようなお店がある。そこを営むのは柔和な雰囲気の中に、力強く真っ直ぐな“芯”を秘めている女性。
 元々は福岡でギャラリーを営んでいたが、人の縁でここ、鞆の浦に辿り着いた。
 気張らない、温かみのあるものを提供したいという信条のもと、店内には選び抜いた置物やアクセサリーを並べている。
 鞆の浦の自然と語らいながら、訪れる人々の心に、穏やかさの灯をともしていく。
 「ギャラリー&カフェ さらすわてぃ」新田久子(にったひさこ)の物語り。
-- <以下、省略> --

 そして、左側には赤い屋根のお宅が…この家が、「崖の上のポニョ」のモデル(舞台)となりましたネ。

 ◆崖の上のポニョ

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 『崖の上のポニョ』(がけのうえのポニョ)はスタジオジブリ制作の長編アニメーション映画。監督は宮崎駿。宮崎の長編監督作品としては2004年(平成16年)の『ハウルの動く城』以来4年ぶり、原作・脚本・監督のすべてを担当するのは2001年(平成13年)公開の『千と千尋の神隠し』以来7年ぶりの作品。また、1979年(昭和54年)公開の『ルパン三世 カリオストロの城』から数えると10作目となった。
 海沿いの街を舞台に、「人間になりたい」と願うさかなの子・ポニョと5歳の少年・宗介の物語。
 2008年(平成20年)7月19日に東宝による配給で公開された。


 これらを横目に上がっておりまして、ふと、眼が止まりましたのが『後山山荘』の入口でした(^-^)
 普段、この後山山荘の入口は閉ざされているのですけど、何故か、この日に限って門扉が開放されておりましたネ。
 「んっ、今日は、公開しておられるのだろうか?…」と、入口から入り拝見させて頂きます事に(^.-)☆
 いゃぁ、別に一般公開しておられる訳でも無さそうで、ただ単に閉め忘れておられただけなのかも…


 ◆後山山荘

 --- http://ushiroyamasansou.com/introduction/ ---

 瀬戸内海国立公園のほぼ中心にある自然景観と歴史の町、鞆の浦(広島県福山市鞆町)を一望する高台に位置する「後山山荘」は、建築家・藤井厚二(1888-1938)が兄・与一右衛門のためにつくった昭和初期の鞆別荘を、現代建築家・前田圭介が受け継ぎ再生(2013)させた建築です。
 後山山荘は、藤井厚二の京都・大山崎「聴竹居」と同じデザインのサンルームがあり、天井に排気口があるなど藤井厚二自らが興した環境工学の考えを示していて、藤井厚二がつくった過去の建築と、前田圭介がつくった現代の建築を同時に見ることができます。
 また、ここには美しい景観や庭園、歴史や文化があります。
 後山山荘の南東方向には、瀬戸内海に浮かぶ島々と鞆の街並みの絶景を楽しむことができます。日の出から夜まで刻一刻と姿を変える海と町の景観に時が過ぎ行くのを忘れるほどです。西側の山手には、藤井のデザインによる日本庭園があり、四季折々に変化を見せるモミジを中心とした植栽、花々の移ろいを楽しむことができます。奥の木陰には「禽浴(きんよく)の滝」があり、小鳥が水浴をする姿が見られることもあります。
 さらに、結城素明(ゆうきそめい)筆「琴棋書画襖絵(きんきしょがふすまえ)」や、この山荘のために書いた藤井与一右衛門の漢詩「鞆八景」も残されています。鞆での生活やその自然景観、季節の移ろいなどが文化となり歴史となって積み重なっているのです。
 私たちは、後山山荘における建築的、景観的、文化的、歴史的な価値を掘り下げて見直すとともに、その価値をさらに高めるため利活用を促進し、地域に根差した生活の美学や空間の魅力を再確認しつつ、維持管理・保存し、もって地域の建築文化や観光の発展に寄与したいと考えています。

 
--- 後山山荘倶楽部 共同代表 松隈 章・谷藤 史彦 ---

 WEB上の記載を引用しますと、こんな「後山山荘」であります。
 無断で入らせて頂きましたので、ササッと拝見します事に(^-^)
 細い進入路を進んで行きますと、左側に玄関へ上がります石段が。この石段を上がりますと正面に玄関が…この付近から数枚画像にパチリです。
 そして、入口へと引き換えしておりますと、ここにも進入路が…せっかくですから、この進入路を上がって行きますと、建物の南側と庭園が拝見出来ました(^_^)v
 またまた数枚パチリで、急いで退散です。建物には灯りが付いておりましたから、どなたかおられますようでありました(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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