仙
台城(青葉城)
伊達62万石の居城、仙台城(青葉城)。標高120m、東と南を断崖が固める天然の要害に築かれた城は、将軍家康の警戒を避けるために、あえて天守閣は
設けなかったといわれています。
残念ながら今では城は消失し、石垣と再建された隅櫓が往時をしのばせるのみ。それでも、政宗公騎馬像の前に立てば、天下とりの野望に燃えた政宗公と同じ
視線で、市街を展望できます。青葉城資料展示館では、コンピューターグラフィックスによる青葉城復元映像な
どが見られます。周囲 には仙台ゆかりの土井晩翠や島崎藤村の文学碑も。
土
井 晩翠
日本の歌謡曲で戦前海外に知られた曲が二曲ある。一つは『サクラ』であり、もう一つは『荒城の月』であった。滝廉太郎の名作曲とあいまって不朽の曲と
なったこの曲の作詩者が、この土井晩翠である。
明治四年十月二十三日仙台市北鍛冶町の旧家質商土井七郎兵衛の長男として生まれ、二高、東大英文科卒後、処女詩集『天地有情』『晩鐘』をはじめ、さきの
『荒城の月』などの多くの名作をのこした。とにかく明治の詩人三聖、藤村・泣菫・有明と肩をならべるであろう。
仙台市に土井晩翠の詩碑が建立されて久しい。例の『荒城の月』が刻まれている。詩の世界ではないが、晩翠は家庭的には不幸である。戦災に続いて八枝夫人
を失い、中野好夫の夫人であった娘さんを亡くし、中野家から養子をもらった。昭和二十五年に文化勲章を受賞、仙台市名誉市民の一人である。
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観光パンフレット より ---
(左)
仙台城隅櫓 (中)青葉山公園仙台城石垣修復工事の石が並んで…
(中)
(右)仙台城跡<青葉城跡>へと徒歩で向かっていますと所々に当時を偲ばせます石垣が…
(左)
宮城縣護國神社:仙台城本丸招魂社あとに建つ。
本殿・拝殿をもち檜皮葺、本殿流造。昭和17年成る。近代の秀れ神社建築で
あった。手水舎を残して戦災焼失。設計者:日本松孝蔵
(左)
(右)本丸跡からの仙台市内眺望
(中)
土井晩翠作詞「荒城の月」碑と、土井晩翠(仙台生まれ)像 (右)本丸跡に建つ騎馬姿の「政宗」隻眼のため「独眼竜」と称された