福山グリーンライン
2024/01/05(金) 〝高龗(タカオカミ)神社・後山園地探勝歩道〟散策 <2/5>

 

 

 

 

 

 境内から東方を見廻しておりますと、全く眺望が不能…と言う訳でもありませんで、一箇所のみ樹木の間から箕沖工業団地方向が(^_^)v
 眺望可能は、この方向のみのようですネ(^-^)
 それでは、この辺で〝高龗神社〟から退散です。
 往路をそのまま戻りますけど、参道の大半が落葉で敷き詰められておりますから、滑りませんよう充分留意しなくては…
 ノンビリと上がって行きますと、上りきった所に福山山岳会の案内標識。参道は、そこそこ手入れしてありますようにも感じられますから、どなたかが定期的にお世話しておられますのかも(^-^)//"

 

 

 

 

 

 狭いのですけど、このチョッとした広場は、車の方向転換場所なんでしょうネ。
 ここまで戻って来ますと、〝ファミリーパーク南駐車場〟までは、ほぼ下り道。楽々と戻って来ましたね(^-^)
 ところで、気になりますのが高龗神社の境内に設置してありました『はねおどりの由来』の石碑。画像に撮りますのを失念した上、石碑に刻まれました文章に眼を通しておりませんから、一層、気になってしまいます。
 〝はねおどり〟と言いますと、幼少時に、春日町の祭りか何かで見たような記憶が有るのですけど、田尻でなく〝春日〟ですから、記憶も曖昧ですし(^-^;
 それに、我が町のスグお隣りの田尻町の〝はねおどり〟は、今まで眼にした事もありませんし…
 とりあえず、WEB上で検索してみます事に…
 ふ~ん、『はねおどり』には、こんな歴史がありますようですねぇ(^.-)☆


 ◆広島県の文化財 - はねおどり(福山市沼隈町)

 --- https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-210000100.html ---

 はねおどりは「沼隈(ぬまくま)おどり」とも言われ、福山市一円の氏神の夏祭に若蓮中によって奉納されて来たもので、時には雨乞いや虫送りにもおどられた。跳ね、打ち、おどる、勇壮活発なこのおどりは、水野勝成(みずのかつなり)が福山藩主として入封した時、若者の士気を奮い立たせるのによいとして、大いに奨励したと伝えられる。
 鬼と称するおどり手たちは、鬼がしらの音頭で大胴(大太鼓)、入れ鼓(こ)(小太鼓)、鉦(かね)などのはやしにあわせ、白地のゆかたにすきがけ、白はち巻、黒の手甲(てこう)きゃはん、わらじばきの姿でおどる。神社への道中は、「道行」「さんまいど」「せぐり打ち」「宮巡り」などの拍子に合わせておどり、社前では鬼頭を中心に円陣を作り、「はねおどり」「きょく打ち」などをおどる。

 ◆はねおどり

 --- https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/soshiki/bunka/64132.html ---

 この踊りは古くから旧沼隈郡一円と旧深安郡南部及び駅家町万能倉で踊られたもので、その原形は農村行事の「虫送り」「雨乞い」に求めることができる。江戸時代、水野勝成が福山城主となり、この踊りがすこぶる勇壮で活気に満ち、士気を鼓舞するとしてこれを奨励し、各村々に鉦鼓を給付、雨乞い、虫送り、祭りなどの諸行事で行なわせたと伝えられ、このころから盛んになった。江戸時代の踊りについては菅茶山の「御問状答書」や近世有名画家による「はねおどり図」に描かれている。
 田尻のはねおどりは、服装・音曲・口上などが古形に近いものを伝えており、楽器に大胴【おおどう】(大太鼓)入鼓【いれこ】(小太鼓)・鉦を使用し、鬼面をつけ鬼棒を持つ鬼頭の指揮に合わせておどる。現在では八幡神社などの祭礼や盆の精霊祭りなどで踊られている。
 演目は早打ち・道行き・せぐり・鬼の口上・宮巡り・はね歌おどり・中おどり・はねこみなど12種あるが、このうち「はね歌おどり」「中おどり」「はねこみ」は全員楽器を打ち鳴らしはね、舞いおどる豪快な踊りを展開する。
 大地を足で踏みしめ、悪霊退散を願う人々の心が、素朴な踊りの中に秘められている。

 -- 県指定無形民俗文化財 昭和46年(1971年)4月30日指定 --

 ◆蔵王(ざおう)のはねおどり

 --- https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/soshiki/bunka/64307.html ---

 福山市内の広い範囲で伝えられている「はねおどり」の一種です。かつては雨乞いなどでも踊られていましたが、現在は蔵王八幡神社の秋祭りやその前夜祭で踊られています。「道行」「宮巡り」「せぐり」「打ち込み」の4種類の曲調があり、鉦・諫鼓・大胴の3種類の打楽器を用いて演奏します。「せぐり」「打ち込み」では、踊り手は円陣を組み、楽器を奏でながら、名前の由来となった「はね」あがるような所作をまじえて踊り、「打ち込み」では中唄も唄われます。
 古記録によると、江戸時代後期(19世紀前半)には現在の蔵王町周辺で踊られていたことが明らかであり、隊形や所作も江戸時代後期の形態をよく留めています。

 -- 県指定無形民俗文化財 平成20年(2008年)2月28日指定 --

 …と、こんな記載がありましたけど、ふ~ん、こんな歴史がありましたか(^.-)☆
 >この踊りは古くから旧沼隈郡一円と旧深安郡南部及び駅家町万能倉で踊られたもので
 との事ですから、幼少時にGONsanが見ました記憶に有りますのは、やはり〝はねおどり〟でしたのでしょうネ(^-^)
 田尻町でも、現在まで継承されていますようですから、機会がありましたら、是非、拝見したいものであります(^-^)//"

 

 

 

 

 高龗神社の散策を終えますと、次は、〝瀬戸内海国立公園 後山〟に向かい、久し振りに「後山園地探勝歩道」を散策します事に(^.-)☆
 「後山公園」を、WEB上の記載を引用で説明しますと、こんな公園であります(^.-)☆


 ◆福山グリーンライン

 --- https://tabi-mag.jp/hm0159/ ---

 広島県福山市、福山市街から鞆の浦までを結ぶ、延長14.6kmの展望道路が福山グリーンライン。この道路、あまり知られていませんが、瀬戸内海国立公園に指定された標高250m~400mの尾根伝いに走るため、眺望は抜群。鞆の浦方面を眼下に、備後灘の南東に開けた弓状の街並みが一望のもと。

 ・昭和49年に開通した後山有料道路が前身
 もともとは、昭和49年4月1日に後山有料道路として開通、収益性がなかったことで、わずか6年で昭和55年4月1日に無料開放、無料化後は広島県道251号(後山公園洗谷線)になっています。
 その県道251号の愛称が、福山グリーンライン。
 グリーンラインの展望台からは瀬戸内海を一望にし、晴れた日には四国まで眺望。
 鞆・沼隈方面入口近くに位置する宮前にある展望地(駐車場)からは、備後灘に張り出した弓形の鞆の町並みと仙酔島を眺望。弓を射る時に、腕に巻く武具の「鞆」から、町の名が付いたことがよくわかります。
 途中の鞆背後の後山公園展望台からも、美しい景色が広がります。
 全国に数ある高度経済成長期に誕生した有料道路、スカイラインのひとつですが、福山市街と鞆の浦を結ぶ観光ルートとして活用できます。

 ◆後山公園展望台

 --- https://tabi-mag.jp/hm0413/ ---

 広島県福山市 、広島県道251号・福山グリーンライン途中、鞆の浦・仙酔島を眼下にするのが、後山公園展望台。標高278.6mの後山にある展望台で、まさに鞆の背後に位置しています。展望台を中心に車椅子OKの周回コースも用意されています。『崖の上のポニョ』の舞台のひとつ。

 ・宮崎アニメ『崖の上のポニョ』の前山公園のモチーフに
 福山グリーンライン途中の絶好の休憩スポットが、後山公園。
 展望台、桜広場、芝生の広がる園地、展望休憩舎、第二展望台、第二展望台周辺の丘陵地を周回する後山探勝歩道(1540m/事前に入口で状況を確認して通行を)などが整備され、瀬戸内海を眺めながらのんびりすることができます。
 後山探勝歩道を使えば、入口から第二展望台までは300mほど。
 一帯は瀬戸内海国立公園の国有林のため、美しい自然が守られています。
 スタジオジブリの長編アニメーション映画『崖の上のポニョ』(原作・脚本・監督:宮崎駿/平成20年7月19日公開)の物語終盤で、宗介がお母さんを探してたどり着いた公園のモチーフとなったのが後山公園。
 前山を後山にしているところから、それとなくモチーフだとわかる仕掛けに。


 …と、こんな〝後山公園〟であります。
 後山園地に到着しますと、まずは、案内板を確認し「後山園地探勝歩道」の散策スタートですけど、久し振りですし、せっかくですから、先に、第一展望台側をササッと散策です(^.-)☆
 春ですとサクラがキレイなんですけど、こんな時期ですから何にも…でも、ジュウガツザクラがこじんまりと咲いてはおりましたネ(^-^)
 まず、〝展望デッキ(休憩所)〟に向かいます。ここも随分昔には美しい瀬戸内を眺望出来ましたけど、廻りの樹木の成長で景観的には今一ですネ(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

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