2022/08/26(金) 福山市草戸町「草戸山城跡」散策 <2/9>

 

 

 

 今回の明王院来訪は、草戸山城跡に上がります通過点ですからスルーしても良いのですけど、そぅは言いましても、せっかく明王院を訪れましたのですから、境内を見廻し数枚パチリとなりました(^.-)☆

 ◆明王院本堂(みょうおういんほんどう)

 --- 国宝 昭和39年(1964年)5月26日指定 ---

 明王院は現在真言宗大覚寺派であるが、もとは常福寺といい律宗の寺院で、大同2年(807年)弘法大師の開基と伝えられている。江戸時代に明王院と改称された。
 本堂の建立については昭和37・38年(1962・63年)に実施された解体修理により、内陣蟇股【かえるまた】に「紀貞経代々二世悉地成就元応三年三月十四日沙門頼秀」の墨書が発見され鎌倉時代の元応3年(1321年)の建立であることがわかった。さらに現本堂の下に本堂の前身と推定される掘立柱穴が点在することが発掘調査によって確認されている。
 本堂建立後、元和7年(1621年)、元禄3年(1690年)の修理で改変を受けたが、解体修理によって忠実に旧規に復元された。本堂平面は前面2間を外陣とし、後部を内陣とする典型的な本堂となっている。様式は全体的に和様の姿をとりながらも、その木割や細部には大幅に唐様が採用されている折衷様の最も古いもので、外陣の輪だるき天井は極めて珍しい手法である。尾道の浄土寺本堂(国宝)とともに内海地域で最も古い建物として貴重なものである。
 厨子は春日厨子で扉の内側に蓮を描いた美しいもので、木造十一面観音立像(重文)を納める。

 ◆明王院五重塔(みょうおういんごじゅうのとう)

 --- 国宝 昭和28年(1953年)3月31日指定 ---

 この塔は貞和4年(1348年)住持頼秀のとき、一文勧進の小資を積んで造られたものである(伏鉢の銘)。和様の形態をよく整え、手法も雄大で南北朝時代を代表する建築で、全国屈指の古さを誇っている。
 内部は精麗な壁画と文様があり、特に四方の壁画に描かれた真言八祖行状図、四天柱の金剛界三十七尊、長押【なげし】・天井などには唐草文・花鳥・飛天などが描かれ、当初の彩色をこれほどよく残した塔は他に類例がなく注目されている。なお、表に五大虚空蔵菩薩、裏に兜率【とそつ】浄土を描いた仏壇の来迎図は、明治年間皇室に移され、現在東京国立博物館に保管されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 境内の廻りの、奉為弘法大師千百五十年御忌倍増法楽塔・修行大師立像・地蔵菩薩坐像・御宝号碑・大黒天立像・石燈籠・如意輪観世音菩薩輪王坐像・徳道上人坐像…等を拝観しますと、五重塔の左側後方の鳥居を潜り、草戸山城跡に向かって山歩きがスタートです(^.-)☆
 キツい日差しの下での山登りですから、随分、大汗をかきますでしょうねぇ〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 草戸山公園への登り口であります鳥居(愛宕神社の石鳥居)周辺には、観世音菩薩坐像の石像が…中には、首がありませんものも…
 日差しを遮る木陰の中を上がって行くのですけど、それでも暑い(^-^;
 暫く進んで行きますと、何やら案内板が…眼を通してみますと、

 草戸山公園内で竹木を折ったり持ち帰ったりしないでください。
 また、公園内にゴミその他の汚物を捨てないでください。-- 福山市明王院 --

 と、記載された注意案内板でありました(^-^)
 そして、暫く進んで行きますと、またまた案内板が…これには、こんな記載がありました(^-^)//"

 ◆草戸・川西歴史街道 F-1 ど根性樫(御霊木)

 --- 草戸の歴史を愛する会 ---

 アラカシ Quercus glauca Thunb (ブナ科 コナラ属)
 明王院五重塔から愛宕大権現に登る途中にあり、道の造成や雨風で根のあたりの土も流され、そのたびに根を深く土の中に下ろしていった。地上に現れた根は、その歴史を残しており、力強く異彩を放つ。
 樹木の幹にぽっかりとあいた穴はウロ(樹洞)とよばれ、巨木を切ると切断部を覆うように周囲から肌ができることによる。樹齢は数百年と推定され、地上に根が高く露出し、ウロができているにもかかわらず、元気に生育しているこの根上りカシは、風雪を耐えぬいて生きる力強さをわれわれに教えてくれる。

 
-- 2013年3月 (一般財団法人 義倉) --

 

 

 

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