2021/09/27(月) 備陽史探訪の会「中世石造物調査(沼隈町)」に参加 <2/5>

 

 

 曽我神社から降りて来ますと、また来た道を逆戻りし、木の葉荒神社の石段上り口右脇の祠に立ち寄りです。
 ここでは、散乱しています石造物を確認です。以前も調査しておられますのでしょうか…リーダーは、過去の調査資料を確認しながら、何やら加筆しておられます。
 これらは、五輪塔や石仏の一部なのでしょうか…よく分かりませんモノをここに集めて保管しておられますのかも…
 こぅした五輪塔や石仏がバラバラとなったものを、一つ一つ組み立てて修復されますから、時たま実にバランスの悪い五輪塔を見掛けますのかも分かりませんねぇ(^-^)
 ここに置いてありますものは、組み合わせようがなく、凡てバラバラなモノなんでしょうねぇ〜
 木の葉荒神社を後にしますと、暫く進み、民家の間の路地を抜け墓地へ…この墓地でも、五輪塔の調査・確認なのでしょうネ。
 墓地内には、先祖何代も続きます法名碑に眼が止まってしまいました。
 見ますと、初代の慶安4年(1651年)3月10日〜明和9年(1772年)1月1日までの記載。う〜ん、慶安4年と言えば「由井正雪の乱」の頃ですねぇ〜
 反対側と言うか裏面にも、延々と法名が記載されていますのでしょうねぇ〜ついでに、拝見すれば良かったのかも…それにしましても、実に由緒ありますお宅のようです。凄い\(^o^)/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この墓地内には、何ヶ所か五輪塔が存在しますようで、順番に廻ってチェック・確認されますようであります。
 GONsanは、この方達の後を付いて歩きながら、相変わらず画像に納めますのみですけど、それでも楽しい(^.-)☆
 墓地内を歩いておりますと、またまた永い歴史を感じさせます法名碑に(^_^)v
 拝見しますと、「初代 高城主 田中河内守 寛永3年(1462)2月22日〜14代 寛文13年(1673)」と記載です。反対側(裏面)にも勿論、延々と続いております(^-^)
 つぃ先ほども凄い法名碑に眼が止まりましたけど、こちらの法名碑…ではありませんネ、墓誌碑も、一層凄いものでありました(^_^)v
 数ヶ所の五輪塔を確認しましたけど、リーダーは、過去の資料への加筆はしておられませんから、以前の調査以降、変わりはないのでしょうねぇ〜
 「初代 高城主 田中河内守」が何者なのか、WEB上で検索してみるのですけど、詳しい記述はありませんで、かろうじてこんな記載が…

 ◆福山市沼隈町 -- 日蓮宗法星山本光寺

 福山市沼隈町下山南樫隈にある本光寺。本尊は久遠の釈迦牟尼仏。創建は健保二年(1214)天台宗であったが寛正元年(1460)成就院日信は、高城主田中河内守と共に京に上り日蓮宗に改宗、現在の寺号を授かる。境内に田中氏の墓石、妙見堂?八王子堂、裏山の山頂に竜王堂があり、尾根伝いに要山城がある。水呑妙顯寺と本光寺の関係も掲載。2014.06.02。


 …と、こんな記述が…
 「高城主 田中河内守」は、どんな方でしたのでしょうねぇ(^-^)//"

 

 墓地とお別れしますと、次は東方の山側へ歩いて移動です。
 挿入の衛星画像で言いますと、FGHの順番で中世の石造物を巡ります。
 民家と畑の間の小径を進みますと正面に石仏が…これも中世の作なんでしょうねぇ〜何気なく足元に眼を移しますと、干からびた蛇の死骸が…
 続いて、Gに向かいますけど、F〜G間は距離的にはスグ近くですけど、一旦、来た道を戻りますから、それなりの距離が…ここには、石仏と五輪塔の一部が…
 Hの荒神社にも石仏と五輪塔の一部が…
 これらは、永い年月の間に解体・散乱していたものを、近くに集め祀られていますのかも…リーダーは、持参の資料を取り出されませんでしたから、前回調査以降、何にも変わりはありませんのでしょうねぇ〜

 

 

 

 

 

 

 

 

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