2021/12/25(土) 備陽史探訪の会「中世石造物調査(能登原)」に参加 <3/5>

 

 

 

 

 

 宝大寺を後にしますと、次は「福泉寺」に向かいますけど、その前に福泉寺下の池の畔に存在します比較的新しい墓地にと向かいます。
 比較的新しい…と言いますよりも、出来て間もない墓地ですねぇ〜ここにも、五つばかりの五輪塔が…
 こぅいぅ場所に五輪塔が存在しますのを、リーダー達はどのような方法で把握されますのでしょうねぇ〜チョッと不思議。中世石造物調査に参加し間もないGONsanですから、こぅいぅ質問は未だ躊躇。何回か参加を重ねまして、その内、折りを見てお尋ねしてみたいとは思います。

 

 

 

 

 

 

 福泉寺に向かいますと、ここにも結構な数の五輪塔が…斜面を上がってリーダーは個数の確認ですけど、他の4名は、その様子を眺めるばかり(^-^)
 ですが、数が合わないとなりますと、他の3名が応援です。
 こうした確認調査は、何年おきに行っておられますのか分かりませんけど、う〜ん、毎回大変でしょうねぇ(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 福泉寺の調査・確認を終えますと、福泉寺から少し南下した民家裏の2ヶ所の墓地にと向かいます。
 まず一ヶ所目は、平成13年頃に墓地を整備されましたのでしょうねぇ〜講中12戸の皆様が修復工事を行われた旨の石碑が…それに隣接し、大変立派な「祖先の霊」。
 祖先の霊碑の側面には『元 長州萩藩士』と刻まれてありました。どんな経緯で、この地に眠っておられますのでしょうねぇ〜五輪塔の調査なんですけど、『元 長州萩藩士』にも関心が向かってしまいましたネ(^-^)
 もぅ一ヶ所には、木造の枠組みの祠にバラバラの五輪塔が…組み立ててありませんと言う事は、パーツがバラバラなのかも…
 リーダーからは、確認のみで何にも説明がありませんでしたから、詳細は不明であります(^-^)//"

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