2021/11/16(火) 紅葉を求めて佛通寺散策 <2/6>

 

 

 

 

 

 それでは、中に入って本堂を拝観です。
 本堂には数名の方が訪れておられましたけど、駐車場の車両数・参道で紅葉を楽しんでおられます大勢の方々の景観から勘案しますと、拝観料を払って境内に入られます方々は意外に少ない感じがしない事も…
 本堂内での写真撮影は「OK」との事でしたから、順番に画像に納めていきましょうか(^-^)//"

 

 

 

 

 佛通寺のホームページを覗いてみますと、こんな記載が…

 ◆大方丈

 佛通寺の本堂。儀式法要、法話説法の場。
 方丈とは、もともと一丈四方(3m×3m)の居室の意で、住持の居間であったものが、後に大伽藍として建てられるようになった。維摩居士(ゆいまこじ)が毘耶離(びやり)城中の一丈四方の居室に三万二千の大衆を入れた故事を併せて考えたい。
 この建物は「降魔殿(ごうまでん)」と呼ばれ、第三代管長山崎益洲老師筆の「降魔」の扁額が掛かっている。初めは毘沙門像が祀られていたが、現在は十一面観世音菩薩像が本尊である。

 ◆童子観音像(どうじかんのんぞう)

 大方丈に祀られる本尊、十一面観世音菩薩立像。頭部に十の小さな顔をもち、東西南北四維上下の十方をあらわす。本体のお顔とを合わせて、十一面となり、宇宙世界のすべてを隅々まで見透す慈顔である。
 観音様の慈悲のお力は、世界のどことして及ばないところはない、その広大無辺の姿を象徴。
 もともと開山堂前に建つ朱塗りの多宝塔の本尊として安座されていたが、大方丈内に遷座された。
 童子の顔を写したというこの童子観音像は、高村光雲工房の門派による作である。


 …との事であります。
 本堂を後にしますと、次は佛殿に向かいます。

 
◆佛殿

 佛通寺の中心の伽藍。須彌壇上には釈迦三尊像を祀る。公式的な説法問答の場である法堂(はっとう)を兼ねる。
 寛政の回禄(1796)の後、広島藩主浅野家の外護で文化6年(1809)に再建。
 天井の雲龍図は文化7年備中松山の画工、菅南山筆。龍は仏法の守護神であり、また雲を呼び雨を降らせるところから火難除けの意もある。


 うん、うん、天井には「雲龍図」が描かれておりました。龍は仏法の守護神であり、また雲を呼び雨を降らせるところから火難除けの意もあるんですねぇ(^.-)☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本堂から境内に出まして、再度、境内の景観を見直しです。
 そぅしておりましたら、地元の小学生の皆様でしょうか…少人数で来訪で、和尚さんから順番に説明を受けておりました。この方達の後方に付いて、GONsanも説明を聴講です(^.-)☆

← 戻る  Contentsに戻る  トップページに戻る  進む →