2021/11/21(日) 備陽史探訪の会『備北の王墓と帝釈峡を訪ねて』に参加 <5/6>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時悠館内の展示物を拝見後には館外に出まして、館長sanのご案内で、「鬼橋野路古墳(おんばしのろこふん)」を見学です。
 時悠館を出ますと壁面に「帝釈峡まほろばの里」の案内図が…ふ〜ん、ここには、野外ステージ・炊事棟も整備されましたオートキャンプ場のようですねぇ〜
 時悠館から5〜10分程度歩きまして、「鬼橋野路古墳」に到着です。付近に設置されました説明板に眼を通しますと、

 
◆鬼橋野路古墳(おんばしのろこふん)

 --- 庄原市史跡 指定年月日 平成21年3月26日 ---

 遺跡名:鬼橋野路古墳(復原)
 所在地:広島県比婆郡東城町大字帝釈未渡字鬼橋野路1207
 建築年代:古墳時代(6世紀末頃)
 古墳の規模:北東側に周溝を有する。直径約15m。墳高は石室入口から約2m。東側の同溝底から0.8mの円墳である。
 出土遺物:須恵器の短頚壺および蓋、長頚壺、平瓶、蓋の破片、土師器の皿、坏、鉄釘、及び多量のスラグ。
 調査:遺跡整備による現状復原を目的とし平成6(1994)年10月11日から平成7(1995)年3月24日迄発掘、学術調査を実施。

 ---【鬼橋野路古墳発掘調査報告書(1996東城町教育委員会)抜粋】---

 ◆庄原市史跡 鬼橋野路古墳(おんばしのろこふん)

 指定年月 -- 平成21年3月26日
 所 在 地 -- 庄原市東城町帝釈未渡字鬼橋野路1207番

 帝釈川と名越川に挟まれた鬼橋野路の東側の台地、標高501.6mに位置しむ、台地の南向き緩斜面を利用し構築されている。主体部は、南に開口した横穴式石室である。墳丘盛土は、地山を削平した土砂や周溝を掘り下げた土砂で構築したものと思われる。
 北東側に周溝を有する直径約15m、墳高は石室入口から約2m、東側周溝底から0.8mの円墳である。周溝は、北側の尾根を掘り下げ、幅0.8m〜1.0m、深さ約0.2m、断面はU形である。主体部の内部全体は、凡て石灰岩で構築された横穴式石室であり、地山をL型に削平した平坦面に構築されている。全長7m、幅は奥壁0.8m・入口付近1.2m、高さ1.2mである。
 出土遺物は、須恵器の短頸壺・平瓶・壺の破片、土師器の皿・坏、鉄釘及び多量のスラグが出土した。

 --- 平成22年3月 庄原市教育委員会 ---


 …と、こんな記載がありました(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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