2021/11/21(日) 備陽史探訪の会『備北の王墓と帝釈峡を訪ねて』に参加 <4/6>

 「佐田谷・佐田峠墳墓群」とお別れしますと、次の訪問地は『時悠館』であります。時間を確認しますと、P.M.1:00少し前。時悠館に到着しますと、昼食ですネ。
 時悠館には食堂もありませんから、到着しますと、駐車場というか広場で、皆さん思い思いに散らばりまして、持参の弁当を広げる事となりました(^.-)☆
 GONsanは、段差のあります駐車場の土手部分に座ってランチタイムであります(^-^)
 こぅいぅ時のGONsanの手持ち弁当は、大概、コンビニで求めましたお茶・おにぎりです(^.-)☆
 おにぎりの銘柄は、
 ・コンビニおにぎりの人気第1位「ファミマの手巻 シーチキンマヨネーズ!」
 ・コンビニおにぎりの人気第6位「明太子とマヨネーズを合わせて包んだファミマのおにぎり」
 ・コンビニおにぎりの人気第13位「北海道産大納言小豆を入れて炊き上げたファミマの赤飯おにぎり」…の3種類。店頭に品切れの場合は、同じモノを3〜4個求めます。
 嫁さんは、セブンイレブンのおにぎりが美味しい…と言いますけど、何故かGONsanはファミマのおにぎりが好きなんですねぇ(^.-)☆

 各自、昼食を終えますと、またバス付近に集合で、時悠館に入館となりました。
 「時悠館」をWEB上で検索しますと、こんな「帝釈峡博物展示施設」のようであります。


 ◆帝釈峡博物展示施設時悠館

 --- http://www.city.shobara.hiroshima.jp/main/education/shisetsu/cat01/cat/post_818.html ---

 ・帝釈峡遺跡群発見から60年!

 昭和36(1961)年に、林道工事で帝釈馬渡岩陰遺跡がみつかって以来、全国に知られた帝釈峡遺跡群学術調査が、長年つづけられてきました。
 帝釈峡遺跡群からの膨大ぼうだいな出土品のうち、国史跡しせき「帝釈寄倉よせくら岩陰いわかげ遺跡」、広島県史跡「帝釈馬渡まわたり岩陰遺跡」「帝釈名越なごえ岩陰遺跡」など、とくに重要な旧石器きゅうせっき・縄文じょうもん時代遺跡の出土品を、この時悠館でみることができます。
 帝釈馬渡岩陰遺跡は令和3年9月10日(金)、発見から60年という節目を迎えました。

 ・ようこそ時悠館へ

 ○時悠館とは
 「時悠」とは、「悠(はる)かに限りなく遠い時」を意味します。
 中国山地の石灰岩台地に形成された帝釈峡(たいしゃくきょう)のフィールドは、古生代のサンゴ礁に始まる地史や、石灰岩地域固有の動植物の進化、そして人々が洞窟・岩陰を巧みに活かして暮らした縄文時代の帝釈峡遺跡群など、悠久の時間を詰め込んだ「タイムカプセル」です。私たちが歩んできた「悠かに限りなく遠い時」の流れに、想いを馳(は)せてみてください。

 ○時悠館の歩み
 昭和42(1967)年設立の「帝釈郷土館」を前身とする現地型博物館です。帝釈峡遺跡群をはじめ、帝釈峡および周辺の自然や歴史文化を紹介しています。
 比婆郡東城町によって整備され、平成15年10月17日に開館。平成17年3月31日の庄原市合併を経て、同年9月9日、博物館法にもとづき登録。

 ○施設の概要
 名称:庄原市帝釈峡博物展示施設時悠館
 位置:東城町帝釈未渡1909番地
 開設:平成15(2003)年
 建物:敷地面積1,396m2、鉄筋コンクリート造地上1階地下2階建、延床面積1,566m2
 常設展示室(1〜3)313m2、映像展示室36m2、企画展示室118m2、研修室131m2、収蔵庫150m2

 特徴
 ・標高約600mの石灰岩台地の体験交流施設「帝釈峡まほろばの里」にあります。
 ・建物は円形原理の設計で、周囲に多い侵食地形「ドリーネ」を模しています。

 ○主な展示
 史跡「寄倉岩陰遺跡」、県史跡「帝釈峡馬渡遺跡」「帝釈名越岩陰遺跡」など、50年以上も続く帝釈峡遺跡群の発掘調査による出土品のうち、初源期の土器の一群に属す帝釈峡馬渡遺跡出土の無文平底土器(縄文草創期)などの重要遺物があります。
 石灰岩の岩陰を高度に利用した帝釈名越岩陰遺跡の縄文後期の暮らしの場を復元し、同岩陰で検出した縄文人女性の埋葬状況を実資料で再現しています。
 また、たたら製鉄を中心とする各種資料、石灰岩地域固有の動植物、重要無形民俗文化財「比婆荒神神楽」「塩原の大山供養田植」等の民俗文化財を紹介しています。


 …と、こんな『時悠館』であります(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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