2020/09/29(火) 井原市美星町「中世夢が原」散策(^.-)☆ <6/9> |
物見櫓に向かっていますと、途中に『弥生式住居』の案内表示が…これも、物見櫓の後で拝見します事に。
「城主の館」の後方には「美星天文台」が見えますけど、「中世夢が原」からは行けませんようですネ。一旦、「中世夢が原」から出まして、別ルートで向かわなければならないようであります。
物見櫓の手前には、「詰所」が…
◆詰所
中世の山城は、かならずしも戦闘用とみることはできない。当時から、狭い耕地を耕し、通行や商いの要所ともいえないこの地方では、むしろそこから見える範囲を自領とする象徴のようなものと考えるのが妥当であろう。しかし、当然、物見櫓(ものみやぐら)や警備所は備えていたはずで、「すわ一大事」となると、麓から士分の者が駆けつけたと想定できる。その場合、何よりも必要なのは兵糧(ひょうろう)であり、そこには相当量の食べ物が貯えられていたと考えられる。
◆美星天文台
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
美星天文台(びせいてんもんだい、英:Bisei Astronomical Observatory、BAO)は、岡山県井原市美星町にある天文台である。
・概要
岡山県下最大の一般公開用望遠鏡(口径101cm)を備える公開天文台となっている。また、渾天儀のレプリカが置かれており、この渾天儀は中国にある現物をもとに中国にて作られ、中国の技術者により組み立てられた実物大模型となっている。施設の総事業費(建設当時)は4億5,840万円(主な内訳は、望遠鏡制作費(ドームを含む):1億4,300万円、渾天儀制作費:1,500万円)。
・主観測装置
形式:101cm光学式反射天体望遠鏡
観測装置:冷却CCDカメラ、分光器他
・太陽望遠鏡
形式:片持ちフォーク赤道儀架台にフィルター装着8cm屈折望遠鏡2台搭載
・歴史
美星町(当時)が、交流による活性化を目指す『星の郷「中世吉備の庄」いきいきまちづくりプロジェクト』として小田郡美星町大字大倉の五万原の一帯に「中世歴史公園」(後の中世夢が原)を計画。自治省(当時)のリーディング・プロジェクト事業として建設される。
このリーディング・プロジェクト事業では、星と中世をテーマに掲げ、町の特性を生かした多様な交流を目指すものとして計画が進められ、天文研修館「美星天文台」はこの事業のシンボル施設として整備された。1993年(平成5年)7月7日に開館し、開館当時は一般公開施設では国内最大の望遠鏡を備える天文台であった。
・沿革
1987年(昭和62年)1月:自治省(当時)のリーディング・プロジェクト事業の内定を受ける。
1988年(昭和63年)3月:『昭和62年リーディング・プロジェクト』に正式指定される。
1991年(平成3年)10月:「中世歴史公園」の名称が、全国公募により「中世夢が原」に決定。同時に「中世夢が原」のキャラクターやシンボルマーク等も決定する。
1992年(平成4年)4月25日:「中世夢が原」が完成し、落成式が行われる。
1992年(平成4年)4月26日:「中世夢が原」が開園。
1993年(平成5年)7月7日:天文研修館「美星天文台」が完成し、落成式が行われ、開館。
2005年(平成17年)3月1日:小田郡美星町と後月郡芳井町が井原市に編入。所在地の住所表記が変更となる(小田郡美星町大字大倉1723番地の70 ⇒ 井原市美星町大倉1723番地70)。
◆物見櫓
櫓は井楼櫓と呼ばれる組上げ式の望楼で、砦や枝城からの狼煙、法螺貝、鐘、旗による伝達見張りのために使われたものです。(パンフレットより)
◆山城
町内には、土塁(どるい)・空堀(からぼり)・掘切(ほりきり)・抜け道・井戸などの中世の山城の顕著な特色をもつ小笹丸城址や金黒山城址などがある。とくに、小笹丸城址については、『備中兵乱記』と『古戦場備中府誌』からも、十六世紀後半期のその存在がほぼ明らかである。建造物については明らかでないが、その面積から後世の城に相当するようなものはなかったと思われる。ただ、山岳寺の城塞化もあって、当時は櫓(やぐら)様式の建築が発達しており、ここに物見櫓(ものみやぐら)を想定した。
…と、こんな案内板が。
それでは、早速、物見櫓に上がってみます(^-^)//"
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