2020/09/29(火) 井原市美星町「中世夢が原」散策(^.-)☆ <2/9> |
神楽民俗伝承館を拝見しましたので、それでは「中世夢が原」へと入門です。
入門料は、通常、大人500円のようですけど、65歳以上の高齢者は300円との事で、勿論、GONsanは300円で入門となりました。が、領収書は500円でしたネ(^.-)☆
◆中世夢が原(ちゅうせいゆめがはら)
中世夢が原は、産官学民の4者が喧々囂々(けんけんごうごう)の論議を交わし研究の末に平成4年4月26日に完成しました。園内は実際に当時と同じ工法で家を建て、当時使っていた道具や民具をそろえ(作り)、中世の営みをそのままに再現しています。また、藍染めや竹とんぼづくり、そば打ちなどの体験もすることが出来ます。
時代考証をとことん追求したシナリオを元に創られているので、家があれば入ってみて、辻堂があれば休憩してと、園内の隅々までぜひ回ってみてください。
・三斎市
商人の集まった町家が建てられ見世棚の上で物が売られています。
・庄屋屋敷
子供達が遊べる喧嘩ゴマ、竹馬、竹とんぼ、弓などが置いてあります。
・城主の館
厩(うまや)や厨(くりや)を備えた立派な屋敷です。
・物見櫓
園内を360度全て見渡すことができ、非常に爽快な気持ちにさせられます。
--- 井原市観光協会 ---
◆堂
中世−鎌倉から室町期にかけては、仏教が民衆社会にも広まった時代である。そこで、観音堂・地蔵堂・薬師堂などが各地に建てられることになった。この形式は、もっとも簡単なもので、四本柱みのため、「四ツ堂」ともいわれる。中国地方に多くみられ、辻や峠のように村落の境界地点に建てられている例が多い。堂を使っての行事は、こんにちて゜はほとんどみられないが、かっては日を決めて村人が布施(ふせ)を行ったもので、多くの旅人がその恩恵にあずかったといわれる。
◆農家
人々が日々の暮らしの中でもっとも恐れていたのは、火事や水害、それに土砂崩れであった。さのため、人々は、川を避けて地盤の固い山の中腹や丘陵地に家を建てた。そして、さらに、火を扱う炊事場と寝所(しんじょ)の棟を分けるという工夫をしている。現存する例から、この建築様式は南方系とみられる。厳しい寒さや深い積雪にみまわれる東北日本でその痕跡がみられないのは、移動のためには、いちど戸外に出なければならなかったことと、火を暖房にも利用したためと思われる。
なお、愛知県や千葉県には、炊事場と寝所の棟は別でありながら、両方の棟をつないだ民家が現存するが、これは分棟式から一棟式に移行する過渡期の形態であろう。
◆農家
中世も前期の大工道具は、古代とほとんどかわらず、鋸(のこぎり)は横びき、鉋(かんな)は槍鉋(やりかんな)、それに鑿(のみ)・斧(おの)・手斧(ちょうな)などが主な道具であった。そのため、柱や板の面をとるときは、材木を割りさいて、手斧や槍鉋で仕上げたため、面にはその削り跡が波状につくことにもなった。
しかし、中世末期−16世紀ごろになると、縦びき鋸(のこ)と台鉋(だいかんな)が出現。とくに板材の加工が容易となり、板を多用する建築様式が発達する。そして、それにあわせて、戸棚や建具の発達もみられる。
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