2020/09/29(火) 井原市美星町「中世夢が原」散策(^.-)☆ <3/9>

 

 

 

 

 ◆農家

 一棟式の民家が普及すると、火や水を使う炊事場は土間、とくに寝所は湿気を避けるためには床、という区別がはっきりみられる。
 屋内は、地元に伝わる生活様式と建築材料を加味してのものであったが、大工道具が未発達で板材が貴重な時代、床や壁には竹が使用されたと思われる。それは、現在でも東アジア各地に伝わる様式である。
 なお、防寒のためには、開口部を少なく、土壁を厚く、軒を低くするなどの工夫がみられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ノンビリと巡っておりますと、今度は「中世の穴窯・炎窯」の案内表示がありますので、そちら方向に(^-^)

 
◆穴窯(あながま)

 一口に焼き物といっても、その焼き方は縄文や弥生式土器を焼いた「野焼き」から、山の斜面に築く「穴窯」へ、さらに炎を滞留させる細工をほどこした「割竹式窯」に、そして現在の「登り窯」へと発展してきました。当「炎(ほむら)窯」は、半地下式の穴窯を再現したものです。
 穴窯とは、山の斜面に穴を掘って、土壁をそのまま窯の壁に利用します。天井は木の枝などでアーチ型の枠組みをしておき、それに粘土を叩きつけ、粘土が乾いたところで燃やすと、焼け固まった天井になったわけです。
 大きさは、平均して長さが4〜6メートル、幅1〜2メートル。煙出しの方は細く絞られていて、ちょうど徳利のような形をしていました。
 窯は年に数回焚かれ、赤松の割り木を燃料に、約一週間のあいだ昼夜問わずの作業となります。
 なお、土で作った窯は高温と膨張によって崩れやすい、当炎窯では外からは見えない内部に耐火レンガを使用しています。


 …と、穴窯には、こんな説明板がありました(^.-)☆

 

 

 

 

 

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