2020/09/19(土) 笠岡市走出・山口「長福寺裏山古墳群」散策 <2/4>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 双つ塚古墳を過ぎますと広場に出ましたけど、ここには弥生時代の遺跡がありました(^.-)☆

 
◆弥生時代の遺跡

 ・所在地:笠岡市山口字竹之内
      走出字木々名・小池ほか
 ・時 期:弥生時代中期〜後期

 この山の上には、古墳のほかに弥生時代の遺跡があることが知られています。遺跡は尾根全体に広がっており、特に東塚古墳の東側と、この広場付近では、たくさんの弥生土器が出土します。
 この場所では、弥生時代後期(紀元後1〜3世紀頃)の住居跡が確認されました。住居は、地表面を円形に掘りくぼめて建てられました。直径は7m程度です。土層の観察から、この竪穴住居は2回の建て替えが行われたことがわかりました。住居の床面からは弥生土器の破片が出土しました。
 実際の住居跡は、発掘調査後に埋め戻しました。現在見えているのは、住居跡の大きさがイメージできるよう整備した、平面表示です。表示しているのは、1回目の建て替え後の住居跡で、6本の柱をもっています。

 --- 笠岡市教育委員会 ---


 …と、こんな遺跡のようであります(^-^)//"

 

 

 

 

 案内標識に従って、「東塚・仙人塚」「一つ塚」方向に進んで行きます事に…そぅしますと、まず「一つ塚古墳」が…

 
◆一つ塚古墳

 所在地:笠岡市走出字木々名・山口字竹ノ内
 時 期:5世紀頃
 造出付の円墳 -- 墳長21m、円丘部径16m、造出部長4m、高さ1.5m

 円丘部の中央は盗掘のために凹んでいますが、この下に板状の自然石を立てたものがわずかに残っているため、ほぼ東西に長軸を向けた箱式石棺の存在が推定されます。副葬品は残っていません。

 --- 笠岡市教育委員会 ---


 そして、続いて「仙人塚」が…

 ◆仙人塚古墳

 所在地:笠岡市走出字木々名・山口字竹ノ内
 時 期:5世紀頃
 帆立貝形古墳 -- 墳長43m、後円部径35.5m、高さ5.5m・前方部長13.5m、高さ1.5m

 周濠と周庭をもち、後円部の周囲には葺石が鉢巻状にめぐっています。前方部では須恵器が出土しており、埴輪列も確認されています。
 後円部では二つの竪穴式石室が見つかっています。一つ目は、中央のかなり深い位置にあり、長さ約3m、幅と高さ約80mです。(見学可能)盗掘を受けて前方部側に口を開けていますが、もともと横口が付いていたという説もあります。扁平な石を積み上げて築き、床には小さな丸い石を敷いています。副葬品は出土していませんが、明治時代にここから掘り出されたという短甲(よろい)が、現在アメリカのメトロポリタン美術館に収蔵されています。
 二つ目の石室は、墳頂表土直下で見つかっており、中央よりもやや北よりにあります。盛土が流失したためか破壊が著しく、下半分だけが残っていました。中央主体を葬った後、次の主体を上へ重ねて造った珍しい幸造の古墳です。

 --- 笠岡市教育委員会 ---


 
◆長福寺裏山古墳群

 5世紀代に築かれた古墳群。「かさおか古代の丘スポーツ公園」として整備され、遊歩道がつくられている。
 七つ塚は、小さな4基の方墳だが、出土した「初期須恵器」は貴重である。双つ塚は、墳長約60メートルの前方後円墳で、井笠地域で最大の古墳である。周りには堀と土手がめぐっており、古墳本来の形をよく残している。
 仙人塚は43メートルの帆立貝形古墳で、葺石がふかれていたことが分かっている。最もたくさん埴輪が出土した古墳で、円筒埴輪のほかに動物・人物などの形象埴輪の破片も発見されている。現地に行くと、竪穴式石室が見学できる。明治時代にこの石室から短甲(鉄のよろい)が掘り出されたというエピソードが残る。
 東塚は50メートル弱の前方後円墳で、後世の開墾(かいこん)によって南半分が崩されていたが、公園整備に伴って復元されている。


 …と、こんな「仙人塚古墳」のようですけど、この仙人塚古墳の石室から掘り出されました「短甲(鉄のよろい)」が、何でまた現在アメリカのメトロポリタン美術館に収蔵されていますのでしょうねぇ〜
 WEB上で捜してみましたけど、これについて触れておられます方は、おられませんようですネ(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

← 戻る  Contentsに戻る  トップページに戻る  進む →