2020/09/19(土) 笠岡市走出・山口「長福寺裏山古墳群」散策 <1/4>

 ■2020年10月12日14:45
 9/19(土)は、また美星町界隈を散策となりました(^.-)☆(16)


 千手院から「かさおか古代の丘スポーツ公園」には、15分少々で到着です。
 今まで、この「かさおか古代の丘スポーツ公園」の入口付近は、車でよく通るのですけど「長福寺裏山古墳群」には、一度も訪れた事はありません。で、今回初めて、立ち寄ります事となりました(^.-)☆

 ◆古代の丘スポーツ公園

 笠岡市の北部にある豊かな自然と古代ロマンをテーマとした公園です。サッカーやグラウンドゴルフができるグラウンド、野球場などのスポーツ施設はじめ、噴水が整備されたふれあい広場、遊具を備えた子ども広場、テントサイト13区画のキャンプ場などレクリエーション施設を兼ね備えています。また、付近にある長福寺裏山古墳群とはかけ橋でつながっており、古代の人々の物語にふれながらの散策が楽しめます。

 ◆長福寺裏山古墳群(ちょうふくじうらやまこふんぐん)

 ・市指定 史跡
 ・所在地:笠岡市走出字木々名・山口字竹ノ内ほか/所有者:笠岡市
 ・指定年月日:昭和38年12月25日


 5世紀代に築かれた古墳群。「かさおか古代の丘スポーツ公園」として整備され、遊歩道がつくられている。
 七つ塚は、小さな4基の方墳だが、出土した「初期須恵器」は貴重である。双つ塚は、墳長約60メートルの前方後円墳で、井笠地域で最大の古墳である。周りには堀と土手がめぐっており、古墳本来の形をよく残している。
 仙人塚は43メートルの帆立貝形古墳で、葺石がふかれていたことが分かっている。最もたくさん埴輪が出土した古墳で、円筒埴輪のほかに動物・人物などの形象埴輪の破片も発見されている。現地に行くと、竪穴式石室が見学できる。明治時代にこの石室から短甲(鉄のよろい)が掘り出されたというエピソードが残る。
 東塚は50メートル弱の前方後円墳で、後世の開墾(かいこん)によって南半分が崩されていたが、公園整備に伴って復元されている。


 …と、こんな「かさおか古代の丘スポーツ公園」「長福寺裏山古墳群」であります(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 それでは、「ききなの峠(たわ)」をノンビリと上って、案内表示板に眼を向けながら「長福寺裏山古墳群」を楽しむ事に致します(^.-)☆

 ◆ききなの峠(たわ)

 笠岡市走出字木々名(ききな)と山口字聞名(ききな)にまたがるこの峠は、古くから笠岡方面と高梁方面を結ぶ交通路として利用されていました。特に、道路が整備される明治の初年頃までは、ここは物資の重要な輸送路であり、また山口の大名領を通らずにすむ山道にも通じていました。このため旅人や行商人達がこの峠を越えて盛んに行き交っていたといわれています。明治時代には金浦の鮮魚を高梁まで運ぶ「魚荷(うおに)」の中継点にもなっていました。

 --- 笠岡市教育委員会 ---

 ◆長福寺裏山古墳群

 【市指定史跡 昭和38年12月25日指定】

 笠岡市走出と山口地区の境界をなす標高90mほどの丘陵が、南西から北東へと伸びています。古墳群はこの尾根線上の約600mの区間の列をなして築かれており、前方後円墳、造出付の円墳、方墳、円墳で構成されています。

 これらの古墳は、出土遺物などから5世紀代に次々と築造されたものと考えられています。特に双つ塚古墳は備中西部で最大の古墳であり、吉備中枢をやや離れたこの地域で、この時期、急速に台頭した勢力の存在がうかがわれます。
 出土品は笠岡市立郷土館に展示しています。

 --- 笠岡市教育委員会 ---

 ◆七つ塚古墳群(ななつづかこふんぐん)

 所在地:笠岡市走出字木々名
 時 期:5世紀前半


 一辺10mにも満たない小さな方墳4基が並んでいます。東端の2号墳は一辺約8m、高さ1.5mで、1号墳より先に築かれたものと思います。内部主体は木棺で、墳丘の裾からは須恵器の壺と甕(かめ)の破片が出土しています。
 1号墳は一辺約9m、高さ1m弱で、内部主体は長さ2.2m、幅約0.5mの箱式石棺です。この箱式石棺には小さな副室がついており、その中には須恵器の壺と??(はそう)、土師器の椀が収められていました。また、主室からは刀・剣・鏃(やじり)・斧・鍬先などの鉄器や、滑石製勾玉・臼玉も出土しています。
 3号墳と4号墳は、1号墳に先行して築かれたと思われますが、墳丘盛土がほとんど失われています。4号墳の内部主体は木棺で、棺内からは鉄刀が出土しています。
 七つ塚の古墳は、規模こそ小さいものの、出土した須恵器は朝鮮半島との関わりをうかがわせるものであり、古墳群の正確を考える上でも重要な意味を持っています。

 
--- 笠岡市教育委員会 ---

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆双つ塚古墳(ふたつづかこふん)

 所在地:笠岡市走出字木々名・山口字聞名
 時 期:5世紀中頃
 前方後円墳:墳長-約60m、後円部-径約40m、高さ-5.5m、
             前方部-幅38m、長さ約30m、高さ6m

 備中西部で最大の前方後円墳です。墳丘の周りには浅い周濠(しゅうごう)と周堤(土手のような高み)が巡っています。墳丘は二段構成で、埴輪列が段築部と前方部つけ根のくびれ頂部で確認されています。埴輪の特徴から、この古墳は仙人塚古墳よりも古い時期に築造されたものと考えられます。
 後円部の中心に大きな盗掘穴があり、内部主体は完全に破壊されていましたが、穴の中から銅鏡1面が採集されています。
 この双つ塚の周堤東側に接するように、小古墳(双つ塚東古墳群)3基が並んでいます。そのうち北端の1号墳は、径13mの円墳と推定され、周囲から円筒埴輪が出土しています。

 --- 笠岡市教育委員会 ---

 ◆双つ塚古墳

 全長約60mの前方後円墳。
 後円部径約40m、高さ約5.5m、前方部約幅38m、高さ約6m、2段築成で埴輪・周濠を備える。墳丘東側では小円墳3基が確認されている。内部構造は不明だが、後円部には盗掘の跡があり、銅鏡1面が採集されている。5世紀中頃の築造。
 市指定史跡(長福寺裏山古墳群)、1963(昭和38)年指定。

 

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