2019/10/19(土)〜10/20(日) 挙式列席で京都行きとなりました(^.-)☆ <5/15> |
無憂園内に存在します休憩所には7名ばかりの方々が、ノンビリと過ごしておられます(^.-)☆
ここには灰皿が設置されていますから、チョッと一服のGONsanです。こじんまりとした回遊式庭園の「無憂園」。もぅ少し遅い時期に訪れましたら、さぞキレイなのでしょうネ…
嫁さんの催促のような視線を察知しましたので、また散策続行です(^-^)
暫く進みますと、「補陀洛(ふだらく)山 雅の台 この地より舞台造りの本堂が見えます」の案内表示板が…
WEB上で『補陀洛(ふだらく)山 雅の台』を検索してみますと、こんな記載がありました(^.-)☆
・石山寺本堂
入口から真っ直ぐ(西に)進み、拝礼は右手(北)に向いて…つまり、本尊観音は南に向いている。この南の方、向うの中腹に、雅(みやび)の台がある。
補陀洛(ふだらく)山 雅の台へ…この辺りより舞台造りの本堂が見える。雅の台から石山寺本堂を望む…
…との事で、本堂を臨みますのは良い場所なのでしょうねぇ〜嫁さんは見向きもせずに直進ですから、仕方なくGONsanも(^-^;
後でWEB上で確認してみますと、こんな感じで本堂が臨めますようですねぇ〜
そしてまた暫く進み眼に入りましたのが、「柳島」の案内表示板で、これにはこんな記載がありました(^.-)☆
◆柳島(やなぎじま)
--- 石山寺縁起絵巻でめぐる石山寺 ---
承歴二年(1078)、本堂は火災に見舞われました。僧侶たちは慌てて大切な経典や仏さまを持ち出しています。混乱の中、いち早く本堂を飛び出したご本尊様が柳の木にとどまっておられることに気付いた僧は、こちらにお移り下さいと自分の袖を示しています。
残念ながら柳の木は残っていませんが、本堂や石段、露出する硅灰石、閼伽井、咲き乱れる椿など、現在とそれほど変わらない境内の様子が描かれています。
観音様がとどまっておられた柳があった場所は、現在「柳島」と呼んでいます。
…と、こんな記載でありました(^-^)//"
山門方向に進んでいますと、路傍に「天智天皇の石切り場」の案内表示板が…
◆天智天皇の石切り場跡
本堂正面のすぐ下方にある石切り場跡には、天然記念物「硅灰石」が道沿いに露出しており、15か所の採石痕があります。近年、ここから切り出された石が、飛鳥の川原寺中金堂(7世紀前半〜半ば頃創建か)の礎石に使用されていることが明らかとなりました。また、境内の別の場所から白鳳期の瓦も発掘されており、石山寺の創建年とされる天平19年(747)以前に、すでに前身となる寺院が存在したことを証明する貴重な遺跡といえます。
…と、こんな石切り場のようであります。
ここを通り過ぎますと「天狗杉」、そして「水車」の場所まで戻って来まして、これでどぅにか石山寺をほぼ一廻りした事になるのでしょうか…
山門まで戻って来ますと、また「宝性院」の入口の3人のキャラクターに眼が向いてしまいました。WEB上で検索しますと、このキャラクターは「おおつ光ルくん」と言うようですネ(^-^)//"
◆神木(天狗杉)
石山寺のご神木。草創期の一本杉と言われています。参道奥に立つ大杉。
石山寺屈指の学僧・郎澄(ろうちょう)律師は平安末から鎌倉初期にかけて石山寺の整備に尽力し、死後は鬼になって石山寺を守ることを誓って亡くなった。
「石山寺縁起絵巻」第6巻第2段では、律師の死後、弟子の行宴(ぎょうえん)が松の梢の上で金色の鬼の姿になった師を見たと記されているが、これとは別にこの天狗杉の上に現れたとも伝える。
◆石山寺 水車の由来
江戸時代ここより200メートル小川に沿って行った所に、現在の経堂があり、その入口(昔はこのあたり水田)の辺に水車小屋があって、そこで収穫されたお米をこの水車を使って村の人々が脱穀した記録が残っている。又近年には水車を踏む高い場所に水をそそいだという話が伝わっている。
◆宝性院(ほうしょういん)
石山寺の塔頭。本尊・愛染明王像(あいぜんみょうおう)を安置する。(非公開)
平日で静かな境内に入ると、入口に浮かない?顔の3人が。石山寺のマスコット・キャラクター「おおつ光ルくん」だそうです。
山門を出て来ますと正面に「青鬼の小唄」の石碑が…
はっきりと読めないので、WEB上に検索しますと、どなたかのホームページにこんな記載がありました(^.-)☆
◆青鬼の小唄(あおおにのこうた)
作詞:鷲尾 光遍 作曲:不詳
【滋賀県大津市石山寺3-1-5 石山寺の駐車場出口付近にある 青鬼の小唄 歌碑】
ちょっと読めないと思うんですが『青鬼の小唄』と書いてあり、「降魔の姿となり給う 朗澄律師の青鬼は 悪心くじき福徳を 与え給うもありがたや」と、青鬼の小唄の1番が彫られているのです。
そもそも、なぜに青鬼?というところですが、約八百年前には、石山寺には屈指の名僧、朗澄律師(ろうちょうりっし)という者がおりまして、教学(きょうがく)の他、図像画(ずぞうが)などにも卓越し、白描図像等、書写された物が大量に残されているそうなんですね。
「青鬼」は、その「朗澄律師」の化身であります。
どうやら、彼は死後…青鬼となり庶民の為に降魔招福(魔を断ち福を招く)を祈願したとのこと。この青鬼の小唄は全部で6番まであるようで、調べてみました。
1、降魔の姿となり給う 朗澄律師の青鬼は 悪心くじき福徳を 与え給うもありがたや
2、あまたの人の蛍見に 心ひかれて青鬼は ごずめず伴い船いだし 蛍の宮へとこぎつきぬ
3、蛍の宮は奥深く 木々に帆やるの花さきて 輝く光は不夜城の とてもよいとこよい眺め
4、蛍の女王即昭が 優しき心のもてなしに 心うかれて青鬼は 帰るを忘れて飲み明かす
5、蛍の女王即昭に 朗澄律師の青鬼が 授け給いし如意の珠 手にとり見るもうれしきや
6、如意の宝珠の御利益で 姿いよいよ美しく おいどの光もいやまして みそひのよわいも長くなる
メロディがあるのかどうかは不明でした。
…と、こんな記載でありました(^.-)☆
そして、駐車場にと向かおうとして「びわ湖産の無添加・自家製ふな寿司や佃煮を製造・販売するお土産処『至誠庵』」の横に存在します「三鈷の松(さんこのまつ)」の案内表示板に眼が…
これも、WEB上で検索です(^.-)☆
◆願い事が叶う三鈷の松
今からおよそ千二百年前、弘法大師空海上人が、唐の国における学法を終え、写経も完成させて、日本にご帰国になるその出航の時、秘密の教法流布に適する地あれば、それを示せと、その手にお持ちになった三鈷(仏教の法具)を、東の空に向かって天高くお投げになりました。
その三鈷は、遠く海を渡って、高野山までとどき、松の枝にかかっていたと伝えられています。為に帰国後、お大師さまは、高野山の伽藍を建立なさることになるわけですが、この時の松は、三鈷松と名づけられ、今も大切に譲り育てられています。
ところで、松の葉は二本が普通ですが、この三鈷松は、三鈷の先のように、葉先が三本に分かれています。これは、お大師さまのご法力によるもので、その松葉を拾って持っていると、必ずよい事が起こるそうです。以来、お大師さまにゆかりの土地に、この非常に珍しい三本葉の松が育つと、三鈷の松として崇められるようになりました。
石山寺は、高野山より古い真言宗のお寺です。お大師さまは、自らの厄年に三ヶ月間参篭して、ここで修行をなさいました。今も御影堂より、ご参拝の方々を見守っておられることでしょう。石山寺の三鈷の松は、葉先が長いのが特徴です。
念じながら三鈷の松を何度も三つ編みに願い事を叶える為には、まず叶わなかった原因(過去の悪しき因縁)を仏さまのお智慧で解いて頂く事から始めます。
そして次ぎに、念じながら三鈷の松を何度も三つ編み(実を結ぶ)にする事で、新しい希望の世界と現実の世界が結びつき、今までただ単に夢であったものが実現することになります。貴方も一度お試し下さい。
・御大師さまの御恩おくり
福運を呼び寄せ、見事に願い事を叶える事が出来ましたら、その事の歓びと、お大師さまへの感謝の気持ちを、ご恩返しのつもりで身近な方へお伝え下さい。人にお話をする事で、貴方の心は慈悲深く豊かなものになります。
…と、こんな『三鈷の松』でありますようです(^_^)v
駐車場にと戻って来ますと、P.M.2:50でありました。未だ時間はありますので、次は「三井寺」に向かいます事に…
暫く車で走行していますと、空は随分曇って来まして、そして降雨開始。次第に雨足は早まり激しい降雨にと。時季外れの夕立なのかも分かりません(^-^;
で、三井寺行きは断念。三井寺訪問は、また次回の機会に…とは言いましても、今回の訪問を逃しますと、また当分、こんな機会は仲々無いのでしょうけどねぇ〜とにかく断念で、京都に向かう事となりました。
宿泊は、今回もまたアパホテル利用で、京都駅近くの「アパホテル京都駅堀川通」でありました。
チェックインし、暫くユッタリと過ごしましてからの夕方、京都駅界隈を散策します事に…向かいましたのは京都駅。
夜ですから、まず眼に入りますのが「京都タワー」。
◆京都駅前のシンボルタワー!「京都タワー」の楽しみ方♪
京都に訪れたことがある人なら、きっと目にしたことがある「京都タワー」。京都駅前にあるシンボルタワーで、駅から直結で行くことができます。いつも見てはいたけれど、実際に行ったことが無い人もいるでのはないでしょうか?こちらでは京都タワーの楽しみ方をご紹介!街並みを見渡せるだけでなく、実は観光の合間にも寄りやすいスポットなんですよ♪
古都「京都」の街にそびえ立つ、ランドマーク的存在の「京都タワー」。1964年12月28日に京都駅中央郵便局跡地に開業された、世界一高い“無鉄骨建築”のタワーです。
建設当初は、歴史ある京の街にそぐわないと反対する声も多かったそうです。しかし、海のない京都の街を照らす灯台をイメージして建設された姿は、京都のシンボルとして愛される存在となりました。
…と、こんな記載がWEB上にありました。GONsanは未だ一度も上がった事がありませんけど、これもまた次回の機会に…多分、そんな機会は無いのかも分かりませんけど(^-^)/
ライトアップされました京都タワーを何枚か画像に納めましてからは、大勢の観光客の皆様の流れに沿って、GONsan達も『京都駅ビル空中経路』に上がります事に(^.-)☆
これも説明は、WEB上の掲載引用で(^-^)
◆京都駅ビル空中経路
京都駅には4ヶ所の夜景スポットがあります。屋上にある「大空広場」、4階にある「室町小路広場」と「烏丸小路広場」、そして「空中経路」です。空中経路は、10階の京都拉麺小路と、7階の東広場(駅前広場から左手のエスカレータで上っていったところ)からアクセスできます。場所がわかりにくいこともあり、混雑している京都駅でも静かな空間。地上45mに147mのガラス張りの通路には3ヶ所の展望ポイントが設けられ、京都タワーを眺めるには最高のポイントです。
京都駅は明治10(1877)年に初代駅舎にて開業、大正3(1914)年に二代目、昭和27(1952)年に三代目と建て代わり、現在の建物は四代目で平成9(1997)年9月に竣工したものである。
駅構内に入って見上げるドーム天井の空間を走る一本のライン。これこそが知る人ぞ知る「空中経路」である。東西に延びるこの遊歩道は地上高45m・長さ147mで、東広場と西ビルの拉麺小路を結んでいる。
京都駅の中央改札を出て、右奥のエスカレータを3段乗り継いで一番上まで上りますと、烏丸小路広場という所に着きます。ここからは駅構内の全体を見渡せますし→オープンになった広場の北側からは京都の町並みが望めます。右奥の階段(奥はエスカレータ)を上がると東広場に到着します。ここは東ビルの「ホテルグランヴィア京都」の中庭としても使われているようです。
「ホテルグランヴィア京都」の対面に中庭を挟んで「空中経路」に行く最終のエスカレータがあります。京都駅の構内が混雑していても、ここまで上って来る人はごく僅かです。
エスカレータの上方から見おろすと、東広場の様子がよく分かります。
エスカレータが上りきると、目の前に空中経路が現れます。左側に設けられた空調機から冷気が噴出して快適そのものです。途中3箇所に展望所が設置され、ここから望む京都の名所案内板も設置されています。
大階段の最上段に何やら緑の植物が見えましたので上がってみました。ここは「大空広場」という空間で京都駅ビルの屋上を緑化して建物表面などの温度を下げるヒートアイランド制御に取り組まれています。この芝生広場にはベンチも設けられていて、気候の良い頃には絶好の休憩場所かも知れません。
…と、こんな「京都駅ビル空中経路」でありますようです(^.-)☆
この日は、挿入の画像の景観で、イルミネーションが大変キレイでありました\(^o^)/
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