2019年 晩秋の北房路(真庭市)古墳巡り <5/9>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆双龍環頭大刀(そうりゅうかんとうたち)

 柄頭だけでなく鞘の栫も良好に遺存し、全体の形状がよく分かる点で希少な古墳時代の環頭大刀である。
 柄頭、鍔、鞘の飾金具および責金具は金銅製で、鉄製の刀身や鞘木も部分的に残る。柄頭には透かし彫りにより2匹の龍が向かい合わせで玉を食む姿が表され、柄や鞘にはS字形または蕨形のモチーフで飾られる。双龍環頭大刀は、朝鮮半島の新羅などの影響を受けて6世紀に古墳の副葬品として登場し、本品は龍文様の退化などから7世紀にまで製作年代が下ると推定される。
 古墳時代の対外交流をうかがい知る考古資料として非常に重要である。

 ◆大谷1号墳

 定古墳、定北古墳から中津井川を挟んで南西には、定北古墳より少し遅れて7世紀後半に作られたと思われる大谷(オオヤ)1号墳があります。昭和63年(1988)になって発見されました。
 方形3段の墳丘の前面部にだけ更に2段の石段があって、計5段の方墳という全国でも珍しい形式で、定古墳との共通点があります。木棺と陶棺の他、なんと全面に金箔の貼られた双竜環頭太刀や金銅製品など、やはり貴重な出土品が見つかっています。
 被葬者は、壬申の乱で大海人皇子(後の天武天皇)に味方して功績のあった吉備大宰石川王(キビノオオミコトモチイシカワノオオキミ)ではないかといわれており、当地と大和朝廷との深い関わりが推測されています。石川王は鬼ノ城の主とも言われており、日本書紀によると、679年に没した際に天武帝より諸王二位を贈られています。

 ◆頭椎大刀(かぶつちのたち)

 柄頭(つかがしら) が倒卵形でやや傾いたような形をしている、日本の上古時代特有の大刀拵(たちこしらえ) 。この部分は鉄製もあるが金銅製であることが多い。後期古墳から出土することが多く、実戦用というより儀仗用と思われる。

 6世紀後半-7世紀初頭の大刀。柄頭(つかがしら)がこぶし状にふくれているのが特徴。柄頭は金銅製が普通で、倒卵形の鍔(つば)をつけ、鞘(さや)にも金銅板を飾ったものが多い。実戦用よりはむしろ儀礼用の外装と思われる。

 古墳時代の刀装形式の一種。柄頭(つかがしら)が拳(こぶし)状に膨らみをもったわが国独自の形式で、後期にみられる。鉄地に銀象眼(ぎんぞうがん)を施したものもあるが、一般には金銅(こんどう)製で、表面が滑らかなものと、数条の畦目(うねめ)がつけられたものとがある。鐔(つば)は大きな倒卵形で、鞘(さや)も金銅の薄板に連珠文(れんじゅもん)を打出しの技法で表現し装飾的であり、かつ1メートルを超す大形であるなど実戦用というより儀仗(ぎじょう)用の大刀と考えられる。頭椎の名は記紀に「箇歩豆智(かぶつち)」とあるところから、江戸時代以後よばれるようになったといわれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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