2019年 晩秋の北房路(真庭市)古墳巡り <6/9>

 

 

 

 

 2階展示室を一通り見終えますと1階展示室へ。
 ここでも、「荒木山の古墳を顕彰する会」の奥田健治先生の興味深いお話しが続きます(^_^)v
 その間に、GONsanは、再度、1階展示室を一巡りです。そうしましたら、「佐井田城」の模型が…で、早速、WEB上で「佐井田城」を調べてみます事に(^-^)

 ◆佐井田城(さいたじょう)

 ・所在地--岡山県真庭市下中津井・別名--斉田城、才田城・高さ--332m(比高120m)・指定--真庭市指定史跡・築城期--鎌倉時代又は戦国時代・築城者--山田重英、又は植木秀長・城主--山田氏、植木氏、三村氏など・遺構--郭、堀切、石垣等

 ◆解説(参考文献『日本城郭体系第13巻』等)

 佐井田城は備中国の中間部の北方にある山頂に築かれた城砦で、特に北の伯耆国とを結ぶ現在の国道313号線を東麓に臨む位置に所在する。ちなみに、この313号線は、南は広島県福山市から北上し、備中を経由し、鳥取県東伯郡北栄町に至るルートで、佐井田城は、いわゆる要所の位置であった。
 典型的な連郭式山城で、東に伸びる尾根伝い先端部に出丸を設け、そこから上に向かって五ノ壇から二ノ壇まで連続の郭段を配し、本丸(二ノ壇)の向背に一ノ壇を接続させ、奥の尾根には二条の堀切を設けている。

 ★佐井田城跡

 標高332mの山上にある山城跡です。鎌倉時代初期の築城で文治2年(1186)山田駿河守重英の居城であったといわれています。
 その後戦国時代に庄氏の一族植木秀長、孫下総守秀資へと受け継がれました。戦乱の続く中、備中北部攻防の中心城で、津々の加葉山城と連携し、要害堅固な備中三名城のひとつと称えられました。


 …と、こんな「佐井田城」のようでありました。
 「北房ふるさとセンター」を後にしますと、昼食のため、「北房振興局」へとテクテク歩いての帰路となりました(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 北房振興局の駐車場に戻って来ますと、昼食のため、皆さんバスの中から各自の荷物を持ち出しです。そして、北房振興局に隣接の「真庭市北房文化センター」にと向かいます。

 ◆北房振興局 北房文化センター

 平成15年に完成した新しい文化センターです。2階建てですがエレベーターを完備しています。
 会議にも使用できる部屋から、料理などをできる調理室や子どもの検診などの会場になる部屋まで、多くの部屋があります。
 ホールでは、文化的な講演会や、クラシックからロックまでいろいろなイベントが毎年多く開催されています。
 また、施設内には図書室を完備しており、幼児から大人まで楽しめる本が多くありますので是非ご利用下さい。4ヶ月に1度は、岡山県立図書館から約700冊の本を借りていますので幅広い蔵書がご利用いただけます。

 ○施設名 北房文化センター
 ○住 所 真庭市上水田3131
 ○電 話 0866−52−5220
 ○休館日 毎週月曜日、年末年始

 380席の多目的ホール・ボランティア室・談話室・美術工芸室・トレーニングルーム・研修室・調理室・検診、機能回復室・母子保健指導室があります。


 …と、こんな「真庭市北房文化センター」のようであります。2階の会議室の一つをお借りし、ここで昼食(^.-)☆
 昼食後には、またバスで、国道313号線を南下し、次の訪問地「定古墳・定北古墳」へと向かう事となりました(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 大谷1号墳入口の国道313号線の脇には、大きな標識が設置されています。「古代王墓の谷」「←大谷1号墳」「定古墳→」の案内が…
 まずは、私達は国道東側の山方向「定古墳」にと向かいます。
 中津井川方向に田んぼを横切る市道を歩行し、中津井川を渡りますと右折し土手を南下です。そうしますと、ほどなく「定古墳・定北古墳」の案内表示が…で、ここを左折し暫く進みますと、うん、うん、定東塚古墳が眼に入りましたネ(^.-)☆

 
◆定東塚・西塚古墳
 この古墳は、それぞれに横穴式石室をもつ、東塚と西塚の2基の方墳で構成されている。石室は、いずれも古くから開口していたが発掘調査の結果、東塚の石室からは4基の陶棺が出土し、西塚からも6基の陶棺と、木棺の痕跡がみつかった。


 定東塚古墳に入ります前に、ふるさとセンターでの解説後、定古墳・大谷1号墳にも同行して頂いた「荒木山の古墳を顕彰する会」の奥田健治先生からわかりやすい説明を(^_^)v
 定古墳下の駐車場からは、定東塚古墳がよく見えます。その左には定西恁テ墳がありますようですネ(^-^)//"

 

 

 

 

← 戻る  Contentsに戻る  トップページに戻る  進む →