2017年 紅葉を求めて「神勝寺」散策 <2/7> |
亭橋の前では、若いご夫婦が楽しそうに子供さんの写真を\(^o^)/
この方達を横目に、GONsanは池(心字池)に沿って鐘楼門にと向かいます。
◆鐘楼門
昭和40年(1965)創建当時の神勝寺の本堂であった旧西念坊の地にあった山門を、平成になりこの地に移築再建した鐘楼門である。
無明院へと向かう長い階段を前にしたこの地に建つ山門は、楼上の鐘を撞きその鐘声を耳にするとで、参詣者に心の安らぎと心地よい緊張感を与える。是非とも一打合掌の心で静かに撞いて頂きたい。
この鐘楼門には扉が無く、これは一切衆生が仏門に入る事を拒まない仏の大慈悲心を表すものである。
鐘楼門までの小径には、山際に小さな石仏が点在です。
紅葉も綺麗ですし、何となく落ち着きます散策道と言いますか、落ち着きます参道でありました(^-^)//"
鐘楼門をくぐります際に見上げますと、頭上に釣鐘が…
紐がぶら下がっておりますから、参拝前に突かせて頂こうか…と思いましたけど、ここまでの道のりで鐘の音は聞こえては来ませんでしたから、突いてはいけませんのかも…
無断で突いて叱られてもいけませんから、止めときましたけど(^-^)
鐘楼門を通り過ぎますと、無明院へと上がりますけど、石段の手前に無明院の案内板が…
◆無明院
昭和52年(1977)2月16日に建立された神勝寺の本堂である。
本尊には浜田泰三作の弥勒菩薩像を安置し、院内には三百畳を超える本堂では神勝寺の年中行事のみならず坐禅や写経など様々な自己の研鑽の場として利用でき、また本道の向かい側には階段状の席とカメラやテレビモニターによって茶道の手前が手に取るように分かる革新的な造りの茶席である明々軒、一般的なものより単が低く造られた坐禅堂などがある。
また境内には現世利益を祈願する護摩堂、ぽっくり往生を願う保久利堂などの諸堂宇が並び、さらに庭園は中根金作氏の作庭による枯山水庭園で他に類を見ない広大さで、無明院から庭に向かって右側より、「無明の庭」「阿弥陀三尊の庭」「羅漢の庭」と呼ばれる。
境内全体が参詣者にとっての自己の研鑽と心の安らぎの場であり、開基の悲願の結晶とも言えるものである。また、開基を偲ぶ墓碑が本堂正面の小高い場所に建てられており、ここに集う人々をいつまでも見守り続けている。
…と、こんな無明院でありますようです(^.-)☆
とにかく、石段を上がり前進あるのみです(^-^)//"
庭園は中根金作氏の作庭による枯山水庭園で他に類を見ない広大さで、無明院から庭に向かって右側より、「無明の庭」「阿弥陀三尊の庭」「羅漢の庭」と呼ばれる。
◆中根金作(なかね きんさく)(〜1995年)
1917年、静岡県磐田郡天竜村(現・磐田市)に生まれ。「昭和の小堀遠州」と称えられた日本の造園家、作庭家。
静岡県立浜松工業学校(現・静岡県立浜松工業高等学校)を経て、一時外資系の企業に就職し図案を描いていたが、東京高等造園学校(現・東京農業大学造園科学科)に進学し、卒業後の1943年に京都府の園芸技師に任用になり、文化財保護課課長補佐を務めた後に退職した。
その後は裏千家学園茶道専門学校講師などを務める傍ら、1966年に株式会社中根庭園研究所設立する。その他大阪芸術大学学長・浪速短期大学学長などを歴任した。その間、国内では足立美術館、国外ではボストン美術館の庭を手掛け、300近い庭園を作庭している。
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