2015/12/06 第3回「因島ウォーキング大会」 <5/6> |
白滝山頂上に到着し石仏に眼を向けながら展望台方向に。
見廻しますと、意外に人影はありません(^-^)んっ、皆さんどちらに?!
まぁイィのですけど、ここからの因島大橋の眺望…これも仲々美しい景観でありました。天候は相変わらず今一でしたが…
白滝山の頂には展望台があるのですけど、ここからの眺望は天気が良ければ、さぞイィ景観なんでしょうけどネ…
哀しいかな曇天ですから…
そして、展望台付近にはこんな巨岩の存在も…
横から眺めますと何となくゴジラの横顔にも見えるようです(^.-)☆
昔からきっとこんな微妙なバランスで存在しますのでしょうけど、大きな地震でも発生しますと落っこちますような危惧も(^-^)
でも、落ちないのでしょうねぇ〜
またまた因島〜生口島間を結びます生口橋をパチリです(^-^)
20年近く昔には、因島側から生口橋の登り口に時計台公園がありまして、この公園をスタートし生口橋を渡り生口島一周の早朝ジョギングをしておりましたGONsanです。
生口橋を渡り生口橋より降りますと、左回りで瀬戸田・耕三寺方向に。そして耕三寺手前から産業道路に左折。暫く高台の産業道路を走行し多々羅大橋手前から海岸通りにと降りて行きます。
多々羅大橋下を通過しますと、ここまで確か25〜6km。
残り7kmばかりをひたすらスタート地点の時計台公園へ。
スタート地点の時計台公園にと戻って来ますと、33kmのジョギングコース。
土・日曜・祭日に何にも予定がありませんと、大概、このコースを早朝ジョギングしておりましたGONsanなのでありました(^.-)☆
そぅそぅ、このジョギングコースでは、こんな事もありましたネ(^-^)
とある日曜日のジョギングで、いつものように生口島を一周し生口橋を渡り時計台公園に向かおうとしますと、登り口で「この時間帯は、橋を走行しますのはご遠慮を…」と阻止ですから、「んっ?!」のGONsan。
「何でなの?!」と、ろくに説明も聞かずに阻止を振り切り生口橋へと走りますGONsanでした(^.-)☆
ほぼ生口橋を渡りきろうとしたところで、前後をパトカーに護衛されました黒塗りの車がヤッて来ます。
「えっ、皇太子殿下はヘリコプターで瀬戸田を訪れるのではなかったの!!」と、実に大ビックリのGONsanでしたが、即時、静止し手を振りましたGONsanです。
これに笑顔で手を振って頂きました皇太子殿下。
これこそ、まさにGONsan一人に手を振って貰いました事になりますねぇ〜
橋の上には、GONsanただ一人居るのみですから\(^o^)/
もぅ大感激のGONsanですよ(^_^)v
後にも先にも、皇太子殿下が「GONsan一人」に手を振って下さったのは、今までのGONsanの人生でこの時のみ。この時の感激は未だに鮮明に蘇ってしまいます。
もし、生口橋の登り口で制止に従っておりましたら、こんな機会は無かったのでしょうけどねぇ〜
橋を渡り終えますと、因島側でも背広姿の男性お二人がキョトンとしたお顔でGONsanを凝視。「何でお前は、今、この時間に橋を渡れたのだ…」とでも思っておられましたのでしょうねぇ〜
確か翌日に知りましたのですけど、当初、空から瀬戸田に来訪予定の皇太子殿下でしたけど、「しまなみ海道」を車で走行したいとの我が儘から急遽、陸路での瀬戸田入りとなりましたそうなんです。
皇太子殿下の我が儘で、それがGONsanには大変ラッキーでありました(^.-)☆
これももぅ大昔のGONsanが小学1年生の頃でしたか…
母と福山城側から福山駅南側に向かうため、国鉄山陽本線の陸橋を渡ろうとしますと、当時は警察官に阻止されました。
そして間もなく、眼の前を昭和天皇様のお召し列車が通過です。
この時は、福山城側ですから手を振って頂きましたのは皇后陛下様でありました(^.-)☆南側でしたら天皇陛下様に手を振って貰えましたのでしょうけどねぇ〜
でも、その際には陸橋を渡りますのを阻止されましたのは、私達ばかりでなく複数名おられましたから、例え手を振って頂いてもGONsan一人に対してではありませんから…
こぅ考えますと、生口橋でGONsan一人に皇太子殿下が手を振って下さったのは、凄いことなんですねぇ\(^o^)/
当時と違いまして現代では、いくら貴い方の通過でも警察官が前面に…と言う訳にも行きませんから(^-^)
とにかく、白滝山展望台から生口橋に眼を向けながら、20年近く昔の出来事に感慨深い気持ちを抱きますGONsanなのでありました(^-^)//"
◆パワースポット 白滝山(恋し岩)
白滝山は、広島県尾道市因島にある山。標高226.9m。
村上水軍の6代当主・村上新蔵人吉充が、永禄12年(1569年)に青木城を築城した際、布刈瀬戸の見張り所として観音堂を建立したと伝えられる。
参道や山頂付近に点在する五百羅漢(実際は700体程度)の石仏は、1830年に一観教の創始者・柏原伝六とその弟子たちが3年余りの年月をかけ作ったもの。一観教は、神道・仏教・キリスト教・儒教を一つに融合した新興宗教で、最盛期には因島に数千人余の信者を集めたが、藩からキリシタンの疑い掛けられ、教祖は投獄、翌年には獄中で不慮の死を遂げた。
白滝山の山頂付近には「恋し岩」がある。
昔、結婚の約束をした男女がおり、男が立派な相撲取りになると上京したが、約束の三年を過ぎても戻ってこないため、女は忘れられたと思い、海に身を投げてしまった。男が嘆き悲しんでいるとき、身投げした女の化身が岩となって現れていることを知り海からその岩を背負って白滝山山頂の観音堂まで運び奉った、という伝説がある。
この岩をなでながら願うと恋が叶うという。
春は桜、秋は紅葉を楽しむことができ、瀬戸内海を望む夕日のスポットでもある。
因島八十八ヶ所霊場の第85番札所「八栗寺」がある。
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