2014年 中村講中の皆様と石川〜新潟県方面へのお寺詣り(^.-)☆ <2/10>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 館内は、写真撮影禁止ですから、パンフレット等から引用で館内の様子をご案内致します(^.-)☆
 
 ◆山本 五十六(やまもと いそろく) 明治17年(1884)〜昭和18年(1943)
 
 明治17年(1884) 4月旧長岡藩士高野貞吉の六男として玉蔵院町(現・長岡市東坂之上町)で生まれる。父56歳の時で五十六と名付けられたという。
 明治34年(1901) 長岡中学を卒業し海軍兵学校に入学。明治38年(1905)巡洋艦日進に乗組、日本海海戦において左手指と右下腿部に重傷を負う。大正5年(1916)長岡藩家老山本家を継ぎ以後山本姓となる。
 大正 7年(1918) 元会津藩士三橋康守の三女禮子と結婚。翌年4月からアメリカ駐在武官として渡米、ハーバード大学に入学し英語習得に励む。またこの頃欧米諸国をめぐりワシントン軍縮条約後の各国の実態をつぶさに視察した。
 大正13年(1924) 霞ヶ浦海軍航空隊教頭兼副長に就任、後に海軍航空本部長まで歴任し、今後の国防の主力は航空機にあると確信を持ち、一貫して航空戦力の充実に尽力した。
 昭和 5年(1930) ロンドン軍縮会議の随員。昭和9年(1934)ロンドン軍縮会議予備交渉の海軍代表として出席。海軍軍縮条約の締結が日本の命運を決める重大事と認識し粘り強く交渉を続ける。
 昭和11年(1936) 海軍次官に就任。当時の海軍大臣米内光政、軍務局長井上成美らとともに日独伊三国軍事同盟に断固反対の姿勢を貫いた。
 昭和14年(1939) 連合艦隊司令長官に就任。昭和16年(1941)ハワイ真珠湾攻撃を敢行し未曾有の大戦の指揮をとった。
 昭和18年(1943) ブーゲンビル島上空で米軍機に撃墜されて戦死。死後、元帥府に列せられた。

   

 妙法寺でのお詣りを終えましてからは、また北陸道の西山ICまで戻り、今度は北陸道を長岡ICまで走行です(^.-)☆
 長岡ICからは一般道を走行し、一路JR長岡駅方向へ。
 そして、次の訪問地であります「山本五十六記念館」にと到着となりました(^.-)☆
 
 ふん、ふん、連合艦隊司令長官「山本五十六」さんは、新潟県長岡市のご出身でしたのですねぇ〜

 

 ◆山本五十六記念館
 
 明治17年(1884)、儒学者の家系に生まれた高野五十六は、聡明で、中学の頃からベンジャミン・フランクリンを尊敬、猛勉強するなど広い視野を持っていました。
 旧長岡藩家老・山本帯刀家を継ぎ、旧会津藩士族の娘と結婚。文武両道、質実剛健、常在戦場の長岡らしい精神に磨きがかかる一方、石油や航空に早くから注目しており、リンドバーグの大西洋横断にも触発され、特に航空の重要性を力説し、太平洋戦争開戦時、その先見性を世界に実証しました。
 
 「この身滅ぼすべし、この志奪うべからず」と、わが身の危険を省みず、日独伊三国同盟に断固反対した姿勢は、人々を愛し、郷土を愛し、慈愛の心を強く保っていたからです。
 しかし、その意に反し連合艦隊司令長官として未曽有の大戦争の指揮をとることとなり、昭和18年(1943)ブーゲンビル島で戦死しました。
 
 この記念館は激動の世紀に、しなやかかつ強い心で生きた山本五十六の人間性を、21世紀に語り伝えたいと願う人々の手で建設されました。
 
 ・所在地 -- 長岡市呉服町1丁目4番1号
 ・開館時間 -- 午前10時〜午後5時
 ・休館日 -- 12月28日〜翌年1月4日(展示替えのため臨時休館することがあります。)
 
 ・主要展示内容
  〔高野五十六の誕生〕
  生家高野家の歴史。家族、恩師、友人との交流
  〔山本五十六となる〕
  長岡藩風。長岡の歴史・風土。旧藩家老・山本帯刀家の継承、結婚
  〔世界をめぐる〕
  駐米武官、国際会議などを通して身につけた国際的視野。外国でのエピソード
  〔誠意と慈愛〕
  多くの人々に愛された人間性。
  〔平和を求めて〕
  海軍軍縮条約の締結に努力。三国同盟に徹底的に反対。
  〔連合艦隊司令長官〕
  アメリカの国力、国民の気性を知り抜き、早期講和をのぞむ。
  〔いまに生きる山本五十六の心〕
  その「人となり」を知り、未来に伝える。

 

 

 

 

 

 「山本五十六記念館」とお別れし、また長岡ICから北陸道に舞い戻りです。
 あとは、この日2ヶ寺目の石川県・前田家ゆかりのお寺「法成寺」に向けて自動車道をひたすら走るのみ(^.-)☆
 
 今回のお寺詣りは、バス車内で過ごします時間の方が結構多いようですネ。
 GONsanは車内では、ひたすら眠るのみ(^.-)☆
 途中、何度かトイレ休憩が有りましたのか否か分かりませんけど、目が醒めまして窓から外を伺いますと「名立谷浜SA」の表示が…
 
 どうやら、新潟県・富山県の県境辺りまで戻って来ましたようです(^.-)☆
 で、2枚ばかりパチリ(^_^)v
 時間を見ますと、A.M.11:45。
 
 そろそろランチタイムですけど、行程表を確認しますと昼食はP.M.0:20。
 と言う事は、まだ30〜40分ばかり北陸自動車道を走行です。
 
 それでは、また車内で睡眠続行ですねぇ(^-^)//"

 

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