2014年 中村講中の皆様と石川〜新潟県方面へのお寺詣り(^.-)☆ <3/10> |
糸魚川を通過して暫くしますと「親不知IC」が存在。
この親不知ICから北陸自動車道とは暫しお別れで、向かいましたのが昼食の場であります「親不知観光ホテル」。WEB上で「親不知観光ホテル」を検索してみますと、こんな記載が。◆親不知歴史の扉名勝・天下の険「親不知・子不知」というのは、JR北陸本線親不知駅を中心に、青海・市振両駅の間約15kmの総称である。
親不知・青海の間を「子不知の難所」、親不知・市振の間を「親不知の難所」と呼び,北アルプスの北端がガクッと日本海になられ落ちて、古来より北陸道の最大の難所として知られている。両側に断崖と荒波が迫り,旅人が危険を冒して通過したといわれ、幾多の遭難悲話を伝えている。
一方、日本海に迫る懸崖、絶壁、岩礁、洞穴など大断崖と砂浜が織り成す雄大な自然景観は比類がない。・親不知・子不知の名の由来については、いくつかの説があります。1. 波打ちぎわを通るときには、親は子を忘れ、子は親をかえりみる暇がなかったから「親しらず・子しらず」だという。2. 寿永の昔、壇ノ浦で滅びた平家の一族池大納言平頼盛(イケノ・ダイナゴン・タイラノ・ヨリモリ)は、死ぬべき命を敵の源氏に助けたれたが、京童(キョーワラベ)の悪評にいたたまらず、おのが領地の越後の蒲原の五百刈村へ隠れた。この夫をしたって奥方もまたこの天険を通りかかり、ふところの愛児をさらわれた。悲しみのあまり次の一首をよんだという。親しらず子はこの浦の
波まくら越路(コシジ)の磯の
あわと消えゆくこの和歌によって、以来「親不知子不知(オヤシラズ・コシラズ)」と天下の険を呼ぶようになった。・『如砥如矢(とのごとく・やのごとし)』旧国道の絶壁に「如砥如矢」という、1メートル四角の大文字が刻まれている。
明治16年、ここに国道が開かれたのを記念しており、当時の青海村長・富岡磯平の書といわれている。
国道が開かれるまでは、命がけで通行をしていたため、その喜びを表し、砥石のように滑らかで、矢のように早く通れるという意味で刻まれた。との、こんな記載が(^.-)☆
食事の後で、絶壁まで足を運び見てみましたけど、ジックリ見ませんでしたから「如砥如矢」の文字が何処に刻まれていますのかは分かりませんでしたネ(^-^;
ですが、後で画像を確認してみましたら、シッカリ撮ってはおりました(^_^)v
日本海を眺望しておりますと大変キレイで、海岸沿いを見下ろしましても同様です。
何処か海岸に降りる場所は無いのだろぅか…と見廻しておりますと、うん、うん、これが有るのですねぇ〜ですが、出発までの残されました時間を計算しますと20分弱(^-^;
暫し考えましたけど、「やっぱり海岸まで降りてみよう…」と、とにかく駆け下りましたGONsanです(^.-)☆すると、遭遇しましたのが鉄道の隧道です。
隧道からは冷気が湧き出て涼しいと言うか冷たくて実に気持ち良い感じです。が、ここでノンビリと油を売る訳にもいきません。
説明の表示板を画像に納めますと、駆け足続行となりました。永年、マラソン・ジョギングで鍛えておりますからアッと言う間に海岸にと到着です。
ここまで降りる人は、どなたもおられないものとばかり思っておりましたら、先客がお二人。う〜ん、残念。先を越されておりました(^-^)
このお二人を後方から何枚かパチリ。そして、海岸の景観も(^_^)v激しい日本海の荒波にもまれて海岸の石は凡て丸っこくキレイ。
時間が有りましたら捜して良いのを数個持ち帰りたい気持ちでしたけど、そんな時間はありません。
ご覧の画像を納めますと、今度は上りの駆け足登山。これは実にキツいものでありました。
もぅ心臓が破れそうで(^-^;
たまらず、隧道まで上って来ますと、隧道の冷気で一休み。
これは何とも言えません気持ち良さ(^_^)vまるで、冷蔵庫の扉を開けた真ん前に立っている感じ\(^o^)/
このままズッと涼んでいたい衝動に駆られましたが、そぅもいきません。またまた駆け足続行です。青息吐息で必死に駆け上がりましたけど、無事に上まで辿り着きましたときには一安心。
その途端にドッと汗が噴き出て来ましたねぇ〜
皆さんはバスの駐まっています駐車場周辺でノンビリと談笑中。
そんな中を、GONsan独りが大汗ですから、不思議そうな皆さんの視線。時計に眼を向けましたら、海岸までの往復所要時間は18分間。
駐車場まで戻って来まして、バスが動きましたのはその5〜6分後ですから…
そんなに時間が有るのでしたら、海岸でもっとユックリ出来ましたのですけど、う〜ん、残念のGONsanでありました(^-^)//"
ご覧の画像の通り、隧道の中からは冷気が水蒸気のように放出されておりまして、実に冷たく汗ばんだ身体には最高でありました(^_^)v
でも、冷気のお陰で中の様子はあまり伺えませんでしたが…
それに、「立ち入り禁止・糸魚川市」の表示も有りましたし…
何年か前までは、この場所を鉄道が運行していましたのでしょうねぇ〜
上にと戻って来ますと、駐車場の片隅に100年前くらいの旅人のオブジェが(^.-)☆
こんな旅格好で、先程降りてきました海岸沿いの波打ち際を命がけで通行されましたのでしょうねぇ〜
日本海の荒波と、険しい波打ち際の歩行は、容易に大変だったものと推察されてしまいます。
親不知…子不知…の言われ、実感してしまいます。
それにしましても、海岸から駐車までの上り道、よく駆け上がったものです。
我ながら感心してしまいますよ。
とにかく、心臓が張り裂けそうでしたネ(^-^)/
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