講中の皆様と静岡・愛知方面のお寺巡り <6/13> |
本覚寺を後にしますと、本日最後のお寺(今回の4ヶ寺目)・蓮永寺にお参りです(^.-)☆
■蓮永寺
日蓮宗の一本山で、山号を貞松山(みまつさん)蓮永寺という。
はじめは庵原郡松野村(富士川町)にあって永精寺といい、松栄山芳樹院と号した。日蓮上人の門弟六老僧の一人である日持上人が開いた寺である。
日持上人は正応四年(1291)元旦、仏法をひろめるため、大陸に渡ったが、その跡はわからない。
のち、永精寺が荒れおとろえたのを、徳川家康に仕えたお万の方(養珠院殿)が家康に願って元和元年(1615)に駿府城の艮(うしとら=東北)沓谷に移転し日乾上人を中興開山として、貞松山蓮永寺と改称した。建物は清水浜御殿並びに御門を拝領したものであった。
お万の方は長沼の上田、高百石分を寺に寄進した。これは領主頼宣が紀州へ御国替えになったので上地となったが、寛永三年(1626)徳川秀忠から、境内の山地十町四方と高十五石、諸役免除の朱印を賜った。
安永三年(1774)一月二十四日、長源院火災の飛び火で焼失、寛政年中、二十三世日祐二十四世日邃が再建した。
境内には塔頭性光院、宝樹院、松野坊、随量院などがあった。
宝物にはお万の方奉納の蒔絵の文台硯箱(県重要文化財)狩野栄徳画団扇、其の他書画古文書がある。
■蓮永寺
蓮永寺(れんえいじ)は、日持上人が庵原郡松野村に開創した寺院を、のちに徳川家康の側室・お万の方の発願により駿府城の鎮護・鬼門よけとして現在の地に移建した寺です。
境内には、お万の方の供養塔や勝海舟の母と妹の墓などがあります。
寺宝として、お万の方が奉納した岩蒔絵文台及び硯箱(静岡県指定文化財)などが保存されています。
蓮永寺は、文永11年(1274)、日蓮上人の高弟・日持上人が庵原郡松野村(現在の富士川町)に開創したのが始まりです。
その後、長い年月の間に衰退し荒れ果ててしまいましたが、日蓮宗の熱心な信者であった徳川家康の側室・お万の方の発願により、元和元年(1615)、駿府城鎮護の寺として現在の沓谷(くつのや)に移し再興されることになりました。
お万の方は、天正5年(1577)、上総国(現在の千葉県)勝浦城主の正木左近大夫頼忠の子として生まれました。
その美しさと賢さから、徳川家康の側室となり二人の男子をもうけました。
一人は紀州徳川家の始祖となった家康の10男・頼宣、もう一人は水戸徳川家の始祖となった11男・頼房です。
水戸黄門の名で知られる徳川光圀は、お万の方の孫にあたります。
お万の方は日蓮宗に深く帰依し蓮永寺を再興しました。その仏縁から、境内には立派な供養塔が建てられています。
蓮永寺の境内には、勝海舟の母(信子)と佐久間象山に嫁いだ妹(じゅん)の墓があります。
…と、こんな由緒寺でありまして、歴史に名を刻まれました色んな方々のお墓も存在。
GONsan独りでしたら、駆け足で一通り廻って眼にしたい所ですけど、団体行動で、行動を皆さんと共にしませんとなりませんのが辛いですねぇ〜
勝手な行動を取ります訳にもいきませんし…
それにしましても、静岡周辺のお寺にお参りしますと、お万の方の存在の大きさ…痛感してしまいますよ(^_^)v
徳川家康にチャンとモノが言えます立派な女性でしたのでしょうねぇ(^-^)//"
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