2010/05/07〜2010/05/09
講中の皆様と静岡・愛知方面のお寺巡り <3/13>

 

 定刻のA.M.8:00が近付いて来まして、皆さんロープウェイ乗り場にと向かわれます。
 今から身延山山頂へと登頂です(^.-)☆

 丁度、中間点を過ぎました辺りでしょうか…山あいから美しい富士山が顔を覗かせまして、ロープウェイの中では感動の声(^-^)
 雲一つ掛かってはおりません富士山で、画像にはうまく撮れませんでしたけど、大変キレイでありました(^.-)☆
 山頂駅にと到着しますと、まずは皆さん、暫し富士山を眺望となりました(^_^)v

 そして、奥之院・思親閣へ。

 ◆思親閣

 久遠寺の裏山が身延山で山頂は、海抜1,153mあります。ここは日蓮聖人が登山せられ、故郷である千葉県小湊のご両親様を偲び、追慕された霊跡の地でありますので、思親閣が建てられ奥ノ院と呼ばれております。
 三門より徒歩で五十丁(5.5km)ロープウェイを利用しますと、七分で登詣できます。


 ◆奥の院思親閣歴史

 奥の院思親閣は、追慕の念押え難き日蓮大聖人が、遥か故郷房州の空を拝し、追考のまことを捧げた地。
 大聖人入滅の翌年、高弟の日朗上人が亡き師の篤い孝心を後世に伝えるべく山頂に一宇を建立したのが起源とされます。
 参道両脇に聳える老杉は、大聖人が両親追善のため自ら植樹したとされています。

 標高1,153mの身延山山頂、奥之院駅より徒歩3分の場所に建つ「奥之院思親閣」は、身延山に入られた日蓮大聖人が西谷の御草庵 --- 現在の御廟所・御草庵跡 --- より50丁の道無き道を登られ、遙かに故郷(ふるさと)房州小湊(現・千葉県鴨川市)のご両親、お師匠の道善房を追慕なされた思親大孝の霊場です。

参道石段中程の両側には、日蓮大聖人が自らお手植えになられた4本の杉古木があり、石段の先、仁王門には、鎌倉時代を代表する仏師・運慶の作と伝えられる「密迹(みっしゃく)金剛」・「那羅延(ならえん)金剛」の二体の仁王像が境内を護っています。


 ◆祖師堂

 仁王門をくぐった先、正面に建つ「祖師堂」は、日蓮大聖人の直弟子である六老僧の一人、大国阿闍梨(あじゃり)日朗上人によって開創され、加賀藩三代藩主・前田利常公の母君(ははぎみ)、寿福院お千世の方(かた)の寄進により、寛文5(1665)年に完成した由緒ある御堂です。

 …と、こんな奧之院・思親閣なんであります(^-^)//"

 

   

 

 

 身延山山頂からの富士山の眺望もイィのですけど、北側の南アルプス連峰を眺望します展望台からの景観…これがまた仲々イィものでありました(^_^)v
 GONsanは、暫しこの景観に見とれておりましたねぇ〜

 ■身延山

 身延山(みのぶさん)は山梨県南巨摩郡身延町と早川町の境にある山である。
 標高1,153m。また同地にある日蓮宗総本山久遠寺の山号でもあり、別名としてもよく用いられる。

 山麓の標高400m付近に日蓮宗総本山である身延山久遠寺があり、山頂にも日蓮が父母を偲んで建立したと言われる奥之院思親閣がある。身延山の参拝客のほか、頂上からの眺望がよいため観光客も多く訪れる。

 久遠寺境内付近から標高差約760m、50丁の参道があり、東側の尾根を回って登れ、徒歩で約2時間30分の道のりである。途中の25丁にある三光堂までは自動車も入れるよう舗装されているが、一般客は自動車では進入できない。

 この参道入り口をやや下ると身延山ロープウェイの久遠寺駅があり、山頂まで約7分で到達できる。また、他のルートとして、早川町方面からの登山道があり、身延町の飛び地である七面山方面に通じている。この参道の途中からは山の南西を巡って日蓮の草庵のあった西谷方面に下山できる。

 山腹には雑木林が分布するほか、杉が植林されている。周辺には『甲州盆歌』に歌われたナンテンが見られ、山頂にはカタクリも自生する。「仏法僧(ブッポウソウ)」と鳴くことで知られるコノハズクや、ニホンカモシカ、イノシシ、ツキノワグマなどが生息する。


 …と、こんな身延山なのであります(^-^)
 コノハズクの鳴き声…“ブッポウソウ”と鳴くようですけど、何年前でしたか…一度、生の鳴き声を聴いた事があるのですけど、GONsanは耳が少々悪いのかも(^-^;
 とても“ブッポウソウ”とは聞こえなかったのですけどねぇ〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

← 戻る  Contentsに戻る  トップページに戻る  進む →