講中の皆様と千葉県内のお寺巡り <4/15> |
■2009年05月27日
5/8(夜)〜5/10(夜)は、千葉県方面へのお寺詣りでありました(^.-)☆F
ここ真間山・弘法寺でもお寺の法要行事で御開帳はならず、拝観のみとなりました。
で、暫し境内内のアチコチをウロウロのGONsanでした。
■「息づく伝燈」
--- 間山弘法寺内パンフレットより ---
ここ真間山弘法寺は奈良時代、天平九年(七三七)行基菩薩がこの地にお立ち寄りになられた折、里の娘、手児奈の哀話をお聞きになり、痛くその心情を哀れに思われ一宇をたてて「求法寺」と名づけ、手厚くその霊を弔われました。
その後、弘法大師がおいでになられた時、寺運を一新して「求法寺」から「弘法寺」と改称されました。その後、 鎌倉時代に入り、建治元年(一二七五)に時の住持、了性法印尊信と、中山法華経寺、富木常忍公との間に問答があり、日蓮聖人は六老僧の伊予房日頂上人を対決させられました。
その結果、日頂上人が法論に勝たれたため爾来弘法寺は法華経の道場となり、日頂上人をしてご開山とすることになりました。
大黒堂に安置されている「福再来」の太刀大黒天神のご尊像は、日蓮大聖人が比叡山でご修行のとき、建長元年(一二四八)、しびお姿を感受され彫刻されたもので、以来、建治二年(一二七六)御年五十五歳まで片時も話さずに肌身につけて奉持されたといわれています。
その後、日蓮大聖人は太刀大黒天神を日頂上人に授けられ、さらに真間山が法華経の道場になった折、当山に安置され今日に至っています。
実に珍しい太刀大黒天神尊像は正月元旦と初甲子に限り「福再来」の利益を感受できるご尊像として信仰を集めています。
もっと時間が許せば、アチコチ歩き廻ってみたいものでしたけど、それもならず。
途中、女子高生の集団が訪れて来ましたけど、修学旅行でも無さそうですし何で?…学業面で御利益がありますお寺なのかも…
■2009年05月28日
5/8(夜)〜5/10(夜)は、千葉県方面へのお寺詣りでありました(^.-)☆G
真間山・弘法寺の拝観を終えましてからは、またバスが停まっています駐車場までテクテクと歩きとなりましたけど、勿論、帰路には千葉商大構内を皆さん縦断です。
往路は気が引けますから近道なんぞはとても出来ませんけど、お詣り後ですから(^-^)
構内縦断時も数枚パチリのGONsanです。
卒業以来38年も経てしまいましたけど、こぅして構内を歩いておりますと、遠い昔の学生時代が懐かしく蘇ってしまいます(^-^)
それにしましても時の流れを痛感ですよ(^-^)
構内の何ヶ所かには喫煙コーナーが設けられておりまして、この隔離されました場所で窮屈そうに喫煙しておられます学生さんがお気の毒に感じられない事も…
GONsanの時代には、こんな喫煙コーナーなんぞは別にありませんでしたから(^.-)☆
キョロキョロしながら歩いておりますと、後方から賑やかな会話の女学生sanが3人。
会話の内容は全く分かりませんでしたけど、中国からの留学生でしたのかも…
とにかく自由奔放な大きな声での会話ですから(^-^)
自由満喫で羨ましいことでしたよ(^_^)v
こぅして構内をノンビリと歩きます機会はほとんどありませんから、若かりし頃の良き時代に想いを馳せながらの数分間…本当に実に懐かしい想いに浸ってしまいましたよ(^-^)
嫁さんでもいましたら、二人で遠い昔を想い出していましたのかも分かりませんねぇ〜
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