2009/11/01-12/21
GONsanの絵日記から秋の話題を拾ってみました(^.-)☆ <5/9>
 ■2009年12月04日
 日頃親しくして頂いています近所の方が、こんな参考書を(^.-)☆

 母が存命中には、栽培・収穫は母、草取りはGONsanと分担が決まっておりまして、農作業なんぞは好みませんGONsanも草取りは何故か好きでありました。
 で、暑い時期でも冷たい時期でもセッセと草取りをしておりました。
 が、母が亡くなりまして以降は、この時期には何を植えてイィものやら、嫁さんと二人であぁでもない…こぅでもない…と思案の連続。
 
 見かねた日頃親しくして頂いています近所の方が、時たまアドバイス(^-^)
 ネギはこぅして植える…とか、タマネギの植え方、手入れの仕方…と。
 
 にも拘わらず、憶えの悪いGONsanですから、とぅとぅこんな「野菜・果樹づくり」のマニュアルと言うか参考書を持って来て下さいました(^-^;
 「このハンドブックは、普通の者には仲々手に入らないんじゃが…」と、一言多いお言葉は相変わらすではありましたが、ふん、ふん、ハンドブックですか…こりゃぁ仲々助かります。
 今まで母のしています事を何気なく見てはいましたけど、いざ自分が行いますとなると仲々(^-^;
 傍で見ていますのみで自分の手でした事がありませんから…
 眺めていますだけでは、何事もダメなんですねぇ〜
 
 「農業の新米には、あのハンドブックは大変役立つだろう…」と、先日お顔を拝見しました際には、またまた一言多いご発言。
 ですが、合っていますだけに“有難うございました、随分役立っていますm(_ _)m”とお返しするしかありませんGONsanでした。
 でも、やっぱり野菜の栽培より草取りのみの方がGONsanには楽しいのですけどネ…
 野菜作りは少々面倒臭くて(^-^)
 
 とは言いましても、ここ最近は、この大好きな草取りも追っつかなくて(^-^)
 畑のアチコチに雑草が目立ち始めてしまいましたよ。この日曜日には、また朝から草取りをしませんと…
 
 ところで、この近所の方の畑には相変わらず草一つ生えてはおりません(^.-)☆
 挿入の画像がそぅなんですけど、ご覧の通り実にキレイな畑です。
 勿論、草一つ生えてはおりません(^_^)v
 
 以前は我が家の畑もこぅでしたけど、今ではスッカリ様変わり。
 日曜日のたびに草取りをしましても、4週間で一巡ですから、最初に草取りを実施しました部分には、またまた草が生えておりますから…
 どうにも追っつきませんねぇ(^-^;
 
 勤めを辞めまして年金生活にでもなりましたら、朝から晩までタップリ畑で過ごせるものと今から楽しみにしてはいるのですけど、65歳に到達しますと体調不良で畑の世話と言いますよりも、セッセと医者通いを強いられておりますかも…
 貧乏ヒマ無し…とにかく忙しい日々のGONsanなんであります。
 
 それにしましてもこのお宅の畑…実にお見事(^.-)☆
 野菜の出来栄えは上場ですし、眼を向けます方々を楽しませてもくれますようです。
 こんな畑に出来ましたら、実に嬉しいですし、畑の手入れもさぞ楽しい事でしょうねぇ〜
 いつの日か、GONsanもこんな畑にしなくては!!…とは思うものの、そのためには頂きましたハンドブックがボロボロになりますまで頭に入れておきませんと…
 
 今年の春でしたか…野菜作りは面倒ですから、あまり手の掛かりません果樹作りを…との想いで一部果樹を植えましたけど、肝心の手入れが疎かですから…
 とにかく、一日でも早く、こんなキレイな畑作りを…と志向してはいるのですけど、畑作り新米のGONsanですから、まだまだ先が長いようですねぇ(^-^)//"

 

   

   

 

 ■2009年12月05日
 紅葉を求めて熊野町の常国寺を散策となりました(^.-)☆@

 先週の日曜日でしたか…午後は、何処でも良かったのですけど、紅葉を求めて熊野町水源地前の“常国寺”を散策となりました。
 午前中に墓参りを兼ねましてゴンchanの散歩は済ませておりますから、GONsan独りでの散策も久し振り。
 でも、チョッと寂しい(^-^)
 
 洗谷から峠越えで熊野町に向かい熊野小学校を過ぎた所で左折し熊野水源地方向に。
 水源地が見えて来ますと、その堤防を西に進みますと水源地沿いに常国寺は存在します。
 
 入口には「法界碑」と「市指定史跡 一乗山城跡顕彰碑」が存在。
 
 ■常国寺
 
 常国寺は文明年間(1469〜1486)日蓮宗に帰依した一乗山城主・渡辺越中守兼が日親上人を開基として山田荘(現熊野町)に建立した寺である。
 また天正四年(1576)に将軍足利義昭が鞆に流寓した際は、渡辺四郎左衛門景が警固と接待役を務め、当寺にも滞在したと伝えられる。
 
 ■市史跡 一乗山城跡
 
 別名黒木城ともよばれ、沼隈半島の南東部熊野盆地に存在する城跡で、中世の豪族渡辺氏の居城である。
 渡辺氏は、鎌倉時代末期に山田荘に入り、後、足利氏に属し勢力をのばした。
 
 一乗山(七面山)に築城するのは渡辺越中守兼(かねる)の時代といわれ、入城したのは文明年間(1469〜1486)とも永正年間(1504〜1520)ともいわれる。
 またこの頃兼は日蓮宗に帰依し、菩提寺常国寺を建立した。
 
 城は北へのびる尾根を利用し、南は掘切、北は竪堀で区画し、この間の頂部30×20mの南半分を櫓台状にした平坦面を設けている。郭(くるわ)の跡や、石垣、井戸等もよく残存している。
 慶長5年(1600)関ヶ原の戦に敗れ、兼の曽孫景は一乗山城を退き、廃城となった。
 
 …と、こんな歴史が流れます「常国寺」と「一乗山城跡」。
 
 訪れていますのはGONsanのみで、どなたもおられません。
 こんな静寂な中を、廻りの景観を楽しみながら歩みますGONsan。
 我が家のお寺も日蓮宗ですから何となく親しみも感じてしまいます。
 
 備後地方への日蓮の教えの布教は、このお寺がスタートとなりましたのかも分かりませんネ(^-^)//"

 

 

 

 

 

   

 

 

 ■2009年12月06日
 紅葉を求めて熊野町の常国寺を散策となりました(^.-)☆A

 山門をくぐり参道周辺をノンビリと散策しながら歩んでおりますと、こんな表示板が…
 
 ■福山市重文 常国寺唐門
 
 --- 福山市熊野町常国寺 ---
 
 1964年(昭和39年)10月10日指定
 
 当山の正面門としては、少し小さいですが、形態がよく整い、各部精巧で意匠が優れています。
 再建年代は元禄頃(1688〜1703)で、正面桟唐戸は前身の建物が使用されたと思われ、鏡板の桐文薄肉彫りはすばらしく、珍しいものです。
 一間一戸の四脚向唐門で、総けやき造です。正面は巾3.3mあり、屋根は本瓦葺です。
 
 との事でありました。
 こんな表示がありませんと、危うく何気なく眼にしながら通り過ぎるところでありました(^-^;
 が、じっくり見つめましても「…」のGONsanでありました(^-^)

 

 

 

 

 

 

 

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