和歌山県 新宮市 <2/9> |
↑↓ いずれも“丹鶴城公園(新宮城跡)”内の景観です(^.-)☆
↑↓ いずれも“丹鶴城公園(新宮城跡)”内の景観です(^.-)☆
↑↓ いずれも“丹鶴城公園(新宮城跡)”内の景観です(^.-)☆
(左)新宮城跡より新宮市内を展望です (右)新宮城跡より王子ヶ浜・太平洋方向を展望です(^_^)v
与謝野寛歌碑
昭和39年、与謝野寛(鉄幹)が熊野を訪れ、城址に立ち即詠した歌を刻んだ碑。42年、与謝野寛は再来し佐藤春夫にも強い影響を与えた。晩年、佐藤春夫は「丹鶴城」と題する詩で「われらが師与謝野の大人はなつかしくここに歌へり 聞けや君 清きしらべを碑に掘らまほしきは」と詠じこの与謝野寛の一首を結びとしている。
丹鶴姫之碑
丹鶴姫は源為義と熊野別当の娘を父母とし、弟に新宮十郎行家あり共に新宮で育つ。長じてこの丹鶴山に東仙寺を開いた。
新宮城は丹鶴姫が住んでいたので「丹鶴城」とも呼ばれている。
(左)与謝野寛(鉄幹)歌碑 (中)(右)丹鶴姫之碑
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