和歌山県 新宮市 <1/9> |
(左)JR紀勢本線・白浜駅近くの駅で (中)(右)JR紀勢本線・白浜〜紀伊勝浦間の景観です
↑↓ JR紀勢本線・白浜〜紀伊勝浦間の景観です
↑↓ JR紀勢本線・白浜〜紀伊勝浦間の景観です
(左)(右)↑↓ JR紀勢本線・白浜〜紀伊勝浦間の景観です 仲々キレイな景観でした(^.-)☆
丹鶴城公園(新宮城跡)
関ヶ原の戦いの後、元和4年(1618年)浅野忠吉が築城に着手したのが始まり。翌年忠義が移封したため工事が中断したが、紀州徳川家の付家老水野重仲が新宮を領することになり、工事は受け継がれた。
寛永10年(1633年)に完成。山頂の本丸に五層(三層の説もあり)の天守があった。城主は代々水野氏で明治維新まで続いた。歴代城主のうち傑出していたのは第九代忠央(ただなか)である。当時十三代将軍家定には実子がなく、忠央は大老井伊直弼とともに紀伊家の慶福(よしとみ)を次期将軍に擁立しようと活躍、ついに十四代家茂(いえもち)とした。
また、この地に源為義の娘丹鶴姫が住んでいたので「丹鶴城」とも呼ばれている。丹鶴姫は新宮十郎行家の姉(母?)で、義経の叔母にあたる人である。また熊野川の河口をこえて太平洋を一望できることから、「沖見城」ともよばれた。明治4年に取り壊されて廃城、現在は丹鶴城公園となっており、太平洋とと市街を一望することができる。
↑↓ 丹鶴城公園内の景観です(^.-)☆
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