GW前半は お見舞いと若狭路散策でありました(^.-)☆ <2/5>
 ■熊川宿

 「鯖街道」の名で親しまれる若狭街道。街道の重要な拠点だったのが「熊川宿」です。
 JR「近江今津駅」からバスで30分ほど行き「橘町」のバス停で下車すると、熊川宿の「上ノ町」と呼ばれる付近に着きます。そこから街道に入って「熊川番所」へ。江戸時代に置かれていた小浜藩の番所跡で、当時の姿に復元されています。

 北西へ進んで中条橋を渡ると、間口が広い平入造りの旧問屋の建物が数多く残る「中ノ町」が始まります。最初にあるのが「旧逸見勘兵衛家住宅」。江戸時代の有力問屋だった家で、町家の風情を色濃く残しています。広い屋敷内を見学することもできます。
 その少し先にあるのが「菱屋・勢馬清兵衛家」。ここも街道がにぎわった時代に繁栄した問屋の旧家です。

 街道をさらに北西へと歩いていきます。すぐに「白石神社」の大きな鳥居が見えてきます。熊川地区の氏神で、高台にある境内からは、宿場町の風景を眺めることができます。
 さらに進むと、若狭の義民、松木庄左衛門が祭られている「松木神社」があります。小浜藩の米蔵があった場所ともされており、境内にその旧跡が残っています。
 また、このあたりの街道沿いには、古い問屋の建物などが残っています。
 旧逸見勘兵衛家住宅:熊川宿の旧問屋を代表する家屋で、伊藤忠商事の二代目社長の生家でもあります。10年前に改修工事が行われ、一般公開されるようになりました。町指定の有形文化財です。

 松木神社:農民のために厳しい年貢を免除するよう、命がけで若狭領主に訴えた松木庄左衛門が祭られています。
 かつてここにあった米蔵には、3万俵の年貢米が収納されていたといいます。

 孝子与七の碑:自分は貧しい暮らしをしながら、親にはごちそうを食べさせ、孝行の限りを尽くしたという与七の墓碑です。その志は、当時の小浜藩主に褒めたたえられたということです。

 菱屋・勢馬清兵衛家:朱の格子が特徴的な家屋です。中ノ町の平入家屋の中でも、ひときわ目立っています。問屋として繁盛した当時のようすが想像できます。


 ■鯖街道(若狭街道)

 若狭から京都へ海産物を運ぶ、通称「鯖街道」はいくつもありますが、そのメインルートとして知られているのが、熊川、朽木(くつき)を通って京へ至る若狭街道です。
 江戸時代を中心に、塩漬けされた鯖がこの街道を通っていきました。

 道程にある熊川宿は、戦国時代の領主、浅野長政によって開かれた交通の要所。現在は重要伝統的建造物群保存地区になっており、古い町家が並んでいます。

 白石神社:小浜藩主の酒井忠勝や山の神を祭っているとされています。神社からさらに上へのぼっていくと、熊川城跡があります。

 まがり:しばらく行くと、道がくの字に折れ曲がったところに差しかかります。ここは「まがり」と呼ばれ、古来、まちの防衛の要所でした。武器を保管したり、敵を待ち伏せしたりするのに活用されたといわれています。
 まがりから先は「下ノ町」と呼ばれる地域。間口が狭い妻入造りの古民家が多く残っています。風情あるまち並みを堪能しながら、下ノ町の北端まで行くと、「孝子与七の碑」があります。与七は江戸時代、両親への孝行が認められて小浜藩主から褒美を授かった人物で、今でも親孝行のかがみとして尊敬を集めています。

 墓碑を過ぎると、熊川宿の終点です。鯖を担いだ人々が行き交った往時を思いながら、古きよき宿場道を歩いてみませんか。

 前川:熊川宿を流れる用水路です。以前はこの川で野菜を洗ったりしていました。今でも竹製の芋洗い水車が所々にかけられ、くるくると回っています。

 熊川番所:かつて番所があった所に建物を復元した史跡です。江戸時代には役人2人が詰めており、「入り鉄砲に出女」を厳しく規制したり、物資に課税したりしていました。
--- 以上は、観光パンフより適当に引用したものです(^.-)☆ ---

   

   

↑↓ 白石神社の景観です(^.-)☆

   

   

   

 

 ■得法寺

 元亀元年(1570)に、織田信長は秀吉と家康をも従え、越前朝倉義景を攻めるため、京都から熊川を通り敦賀へ向かいました。このとき徳川家康は得法寺に泊まったといわれ、このとき境内の松に腰をかけたのが、東の隅にあった松の木でした。「家康腰かけの松」と呼ばれています。

 ■松木神社

 若狭の義民松木庄左衛門が祀られている神社です。境内には昭和10年に庄左衛門の遺徳を顕彰するために建てられた義民館があります。熊川宿の中では桜と紅葉の名所です。

   

 

 

 ■倉見屋(くらみや)

 主屋、土蔵など問屋の形式を残している最も古い町家です。表には2ケ所駒(こま)つなぎ環が付いています。典型的な平入造りで、塗込の壁や袖壁卯建(うだつ)、土戸の入った戸袋などに見られる店構えの重厚(じゅうこう)さから当時の問屋の栄えた様子がうかがえます。

   

   

 ■まがり

 昔、敵の突進を防ぐために作られた曲り角です。下ノ町と中ノ町の境にある曲り角です。角には駐在所があります。

 

   

 ■前川

 
熊川宿を流れる用水路です。以前はこの川で野菜を洗ったりしていました。今でも竹製の芋洗い水車が所々にかけられ、くるくると回っています。

 

← 戻る  Contentsに戻る  トップページに戻る  進む →