愛知県 豊橋市・吉田城跡 <2/4>

  

(左)(中)国道259号線<田原街道>では路面電車の姿を(^_^)v (右)国道259線・国道2号線が交錯します陸橋で…

吉田城

 吉田城は、はじめ今橋城と称し永正2年(1505)牧野古白によって構築された。

 以来、東三河の要衝として今川、武田、徳川ら戦国武将の攻防を経て天正18年(1590)に池田照政(輝政)が入封し、15万2千石の城地にふさわしい拡張と城下町の整備が行われた。しかし照政は在城10年で播州姫路に移封され、のちに入封した大名は譜代ながら少禄のため照政によって大拡張された城地も未完成のまま明治に至った。

 この城の縄張りは背後に豊川をひかえ本丸を中心に二の丸・三の丸を配置しそれで堀が同心円状にとりかこむ半円郭式の後堅固の城といわれるもので本丸は3,931平方メートル(1189坪)、二の丸は15,154平方メートル(4584坪)、三の丸は50,142二平方メートル(15,168坪)腰郭は1,864平方メートル(564坪)堀土手敷は53,534平方メートル(16,194坪)総面積は124,625平方メートル(37,699坪)である。現在みられる遺構は、照政時代の旧態を残している。

  

(左)豊川に架かります国道1号線・吉田大橋です (中)豊川沿いを散策です (右)バッグが無造作に木の枝に…

  

(左)豊川河岸から吉田城跡へ 昭和29年に復元された隅櫓です(^.-)☆ (中)(右)吉田城跡の景観です

  

  

(左)(右)吉田城跡から展望しました豊川の景観も仲々イィものでありました(^_^)v

  

↑↓ 吉田城跡内の景観です(^.-)☆

  

  

↑↓ 吉田城跡内の景観です(^.-)☆

  

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