↑↓ いずれも石炭記念公園で撮りましたものです(^.-)☆
↑↓ いずれも石炭記念公園で撮りましたものです(^.-)☆
(左)(右)炭坑夫の像です
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田川市は“炭坑節”の発祥の地なんですねぇ(^_^)v
「月が出た出た、月が出た」でおなじみの炭坑節は、明治期以降わが国の近代産業の発展を担ってきた石炭産業の隆盛のなかで、過酷な労働のなかから自
然発生的に生まれてきた多くの仕事唄の一つです。石炭産業の発展につれて、筑豊地方の炭坑では採炭唄(ゴットン節)・石刀唄・南蛮唄・選炭唄などの仕事唄
が生まれました。そして、これらの唄が宴席に持ち込まれ、やがて、花柳界で選炭唄に三味線の伴奏がつき、洗練されつつ座敷唄として広く歌われるようになっ
たのです。
現在、一般に知られている炭坑節の原型となったのは、三井田川伊田坑で選炭(石炭からボタを取り除く作業)の仕事をしていた選炭婦たちによって軽快なテ
ンポで歌われていた場打選炭唄です。
伊田尋常高等小学校(現・田川市立鎮西小学校)に勤務していた小野芳香氏が、田川地方の民謡・童謡の調査収集に
取り組むなかで伊田場打選炭唄を採集し、明治43年(1910)に一部改曲したものを補習科の生徒に試唱させています。また、大正14年(1925)には
研究授業の参考資料として編さんした「福岡県田川郡民謡・童謡の研究」のなかに「炭坑節(伊田町三井炭坑唄)」として収録しています。これが炭坑節(選炭
唄)が記録された最初のものです。
商業出版物のなかでは、昭和5年(1930)に春秋社から刊行された世界音楽全集の第13巻に、「香春岳から(炭坑
節)」の題名で藤井清水の編曲・解説によって収録されています。レコード化されたのは昭和7年(1932)のことで、日東レコードから後藤寺小唄の裏面に
「炭坑唄」の標題で収められています。
いつのころから「炭坑節」と一般に呼ばれるようになったのかは定かではありませんが、戦後、「炭坑節」の名で全国的に流行し、盛んに歌い踊られるよ
うになりました。現在では日本を代表する民謡として海外でも知られるほどになっています。
炭坑節発祥の地・田川としての景観を残す伊田竪坑櫓(たてこうやぐら)や二本煙突とともに、田川のシンボルとしていつの時代までも歌いつないでいき
たいものです。
--- 石炭記念館の案内資料より ---
(中)ここにも山頭火の歌碑が…彼もまた全国各地を旅して歩いたのですねぇ〜