栃木県“佐野市・栃木市”・茨城県“古河市” <5/8> |
古
河市のおいたち
これまで市内で採集された石器により、古河に人が定住するようになったの
は、紀元前2万年頃と推測されています。奈良時代に編纂された「万葉集」には、「麻久良我(まくらが)の許我(こが)の渡りのから楫(かじ)の…とあり、
この付近に船の渡しが存在し、人の往来があったことをうかがい知ることができます。
平安時代末期には古河の地は、下河辺(しもこうべ)氏が経営する下河
辺荘に属していました。室町時代の康正元年(1445年)、5代鎌倉公方の足利成
氏(あしかがしげうじ)は、鎌倉からこの地に移り、古河公方を名乗ります。以来、古河公方足利氏は130年あまりにわたってこの地を統治しました。5代義
氏(よしうじ)亡きあと、名家の絶えるのを惜しんだ豊臣秀吉は、義氏の娘・氏女(うじひめ)と小弓足利氏(おゆみあしかがし)を結婚させます。その子孫
は、江戸時代に栃木県喜連川にて幕府より高家の待遇を受けました。
江戸時代に入ると、軍事・交通上の要衝であったところから古河には有
力譜代大名が配置されました。11家を数える歴代藩主のなかでも土井家は、前後
150年間にわたって古河藩を治めます。その11代、利位(としつら)は、明治4年(1871年)の廃藩置県によって古河藩は廃止され、古河県になりま
す。
その後、印旛県、さらに千葉県へ
の編入を経て、明治8年(1875年)に茨城県へ編入されました。古河は古くから河川交通の要所として栄えてきましたが、明治時代に入って蒸気船の登場に
より水運業は隆盛を迎えました。明治18年(1885年)には東北本線が茨城県下で初めて開業し、古河駅が誕生。交通の主体は鉄道へと変わりました。
この頃の古河の産業の中心は製糸業で、第二次大戦の末期まで「糸のま
ち」といわれるほどの活況を見せました。明治22年(1889年)、町制が施行され、古河町が誕生。第二次大戦終結後の昭和25年(1950年)には市制
が施行され県下4番目の市、古河市が誕生しました。昭和30年には新郷村と合併、現在に至っています。
平成12年(2000年)には、市制施行50周年を迎えます。
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古河歴史博物館のパンレットより ---
(左)
30分程度でスタート地点の教会にと戻って来ました (中)(右)JR両毛線“栃木駅”です
(左・
上)JR両毛線“栃木駅”の構内です (左・下)JR東北本線(宇都宮線)“古河駅”です
(左)
(中)古河市でも早朝は駅前周辺を散策でした(^.-)☆ (右)古河小学校付近で
(左)
古河文学館です (中)(右)古河歴史博物館付近の景観です
(左)
右側が“鷹見泉石記念館”です (中)古河歴史博物館です
(左)
(右)古河歴史博物館です
(左)
了正寺です (中)蛭子神社です (右)古い家並みを