大分県 大分市 <3/6> |
府内城(大分城)
大分城の呼称は江戸時代にはなく、当初荷卸城と呼ばれていたが縁起を担いで荷揚城と呼ばれるようになった。福原直高は築城後、幕府に咎められて改易した。
代わって早川長敏が入封したが、関ヶ原の戦いで西軍にくみしたため除封。
慶長六年(1601)竹中半兵衛の子、重利は幕府の許可を得て城の増改修に着手した。この時、四層の天守閣が建てられ、名も府内城と改められた。
府内城は、今から約400年前、石田三成の妹婿福原直高12万石の居城として築かれました。
天守閣のあった本丸周辺の水堀は埋められ、現在は、文化会館がある大分城址公園として利用されています。
この公園の北西側の松栄神社は、かつて府内城の山里丸があった場所です。
山里丸は、茶の湯や能、月見など諸芸能を行う特別な場所で、府内城ができた前後に築城された大坂城や姫路城などの一部の著名な城しか見られません。
山里丸を備えていたことは、府内城が、古式の風格をもった貴重な史跡であることを示します。
↑↓ 府内城の景観です(^.-)☆
↑↓ 府内城の景観です(^.-)☆
(右)大友宗麟公の像です
(右)大友宗麟公の像です
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