新潟県南魚沼郡 六日町 <2/7>

坂戸城跡と銭淵公園

 六日町は古く上田庄と呼ばれ、魚野川流域の中心地で交通、軍事上の要地でした。鎌倉時代に既に城郭があったと推測され、南北朝動乱期に上田長尾氏の本拠となり、戦国時代に房長、政景が出て強豪となりました。当時、府中(現在の上越市)の春日山城には長尾景虎(後の上杉謙信)がおり、対立しましたが、景虎の姉(仙桃院)を政景に娶わせることで協調関係が確立しました。

 景虎は政景の死後、その子顕景(後の上杉景勝公)を養子とし、坂戸城は春日山城の番城となりました。慶長3年(1598年)、上杉氏の会津転封とともに堀氏が在城。堀氏の飯山転封に伴い、廃城となりましたが、上田長尾氏、堀氏の居城として約250年にわたり、越後と関東を結ぶ交通路を押さえました。

 米沢藩初代藩主上杉景勝公と重臣直江兼続公は、この坂戸城に生まれ育ち、やがて乱世に雄飛していきました。
 下坂戸集落東方緩斜面の杉木立の中に城主館、家臣団の屋敷跡が残り、その背後の坂戸山(標高634m)には、大規模で堅固な山城遺構が残っています。昭和54年、国の史跡に指定されました。

 この坂戸城の外堀機能を果たしていた魚野川が、坂戸山にぶつかって大きく蛇行し、渦巻く所を「銭淵」と呼びます。平成8年河川改修により、その一部を残して銭淵公園として生まれ変わりました。

 お堀を越えて日本庭園風の公園に入ると四季折々の草花が迎えてくれます。中央に池を配し、向こう岸には起伏をつけた遊歩道、その奥に坂戸山を借景としたたたずまいは、訪れる人の心を潤し、往時を偲ばせます。

   

  

(中)(右)あちこちに“家臣屋敷跡”の標識が…

  

  

  

(左)(中)将来の坂戸城跡整備に備えて石垣用の石が保存されてありました(^_^)v

   

  

(左)上田五十騎発祥の地の標識が…
上田五十騎衆:上田軍最強とおそれられ、必ず先陣をうけたまわった武士達

  

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