福岡県 久留米市 <4/12> |
久留米城跡(篠山神社)
江戸時代の久留米藩、約250年間を治めた有馬氏の居城跡で、その昔は笹原城の名で呼ばれていました。
今は平山城づくりの本丸跡が残され、見事な石垣や正 面側の内濠に往時の雄姿をしのぶことができます。また城内には藩祖豊氏を祀る篠山神社や歴代藩主の武具、工芸品などの有馬家資料を中心とした久留米藩政資 料を主に展示する有馬記念館があります。
久留米城は、筑後川ぞいの小高い山に築かれた平山城で、天正15年、豊臣秀吉の「九州国割」により、毛利秀包が入城しました。これが近世大名の居城としての始まりです。
慶長6(1601)年、田中吉政が関ヶ原の戦いの功績で毛利家の後をうけ、筑後一国の大名となり、久留米城には二男則政が藩主となりました。元和7(1621)年、有馬豊氏が田中家の断絶をうけて筑後五郡の大名となり、久留米城は幕末まで治世の中心となりました。
豊氏は入国間もなく久留米城の大改修を行いました。毛利・田中代には東面していた大手を南面に作り替え、その前面に二ノ丸・三ノ丸・外郭を南北に配置した連輪式の構造をもつ城を建設しています。大まかな範囲を示すと東限は久留米市役所北側付近、この地区に城郭と城下町を区切る外濠が走り、南限は裁判所裏手の森と溝です。
昭和58年3月19日県指定文化財となっています。
(中)正面が久留米城跡です (右)久留米城跡
(左)(中)(右)いずれも久留米城跡内の景観です(^.-)☆
↑↓ 久留米城跡内の篠山神社です(^.-)☆
↑↓ 久留米城跡(篠山神社)の景観です(^-^)/
(中)福岡県と佐賀県の境界線・筑後川です(^.-)☆
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