山梨県甲府 市・静岡県富士 宮市”“富士市”“静岡市 <2/13>

 甲 府城跡

 武田氏滅亡後、江戸時代を通して政治の拠点となった甲府城は、もと一条小山といわれる愛宕山に連なった山で、城には好適地に造られ、別名「一条小山 城」、「舞鶴城」とも呼ばれている。

 甲府城を築いたのは、徳川家康で、天正10年(1582)武田勝頼滅亡後甲斐国を統治することになり、一条小山に、新しい城造りにかかった。
 その後、天正18年(1590)小田原の後北条氏を滅ぼした後、豊臣秀吉は、羽柴秀勝を甲府に入れて築城を命じ、その後は加藤光野洲泰・浅野幸長に引き 継がれて慶長5年(1600)頃には、約20fに及ぶ巨大な城をほぼ完成させたといわれています。

 関ヶ原の役後は、徳川家康は、以後甲斐国を「江戸の西の要」として重要視し、徳川領として徳川将軍家一門を歴代の甲府城主として統治され、享保9年 (1724)以降は幕府直轄地となり、城は「甲府勤番」支配によって明治に至りました。

 甲府城は、城代の平岩親吉により一部修復され、さらに宝永元年(1704)に甲斐出身の柳沢吉保が甲府城主となり、城下町整備と城の大改修を行いまし た。屋形曲輪や楽屋曲輪には豪華な殿舎を建築し、その威容を誇ったと伝えられています。

 現在は天守台・本丸・天守曲輪・稲荷曲輪・鍛冶曲輪・二の丸の一部と南側の堀が当時の姿を残しています。
 舞鶴城公園は、江戸時代に甲斐府中城と呼ばれた城跡を、明治37年に県立公園として、一般に開放したことに始まります。
 昭和31年に都市公園法により都市公園となり、昭和43年月12月8日には「甲府城跡」として山梨県文化財保護条例により史跡指定にしています。
  

  

  

(中) (右)謝恩塔です
明治天皇から森林を寄贈されました山梨県が、天皇へのお礼の意味で謝恩塔を 建立しましたのでしょうか…

   

  

  

  

(中) (右)どちらも甲府駅前の夜景を撮りましたものです(^.-)☆

← 戻る  Contentsに戻る  トップページに戻る   進む →