千葉県 君津市 <1/3>
君津市

 房総半島のほぼ中央部に位置し、北西部は東京湾に面しています。
 この部分はかつて約4kmの海岸線であったが1960年代に埋め立てられ、現在は世界に誇る製鉄所(新日本製鐵)が操業しています。

 市域は内陸部の東部、南部が広大で319kuの県下第2位の面積です。
 周囲は約118kmに及びます。

 北部の台地は木更津市と広く境を接して、この一角にかずさアカデミア・パークが建設されました。
 東部は、市原市、大多喜町、天津小湊町、鴨川市と接する清澄山系となっています。
 南部は三舟山、鹿野山、高宕山系で富津市と接しています。
 その間に小糸川・小櫃川の沖積地が広がり、肥沃な農耕地帯を形成しています。

 市街地は、西部の小糸川下流域に形成され、土地区画整理事業により整備された住宅地が続きます。
 平成15年4月には館山道が君津インターチェンジまで開通となり、更に富津市までの区間の工事が進められています。

  

(左)正面がJR内房線・君津駅です(^.-)☆ (中)君津駅前の景観です (右)JR内房線・君津駅です

  

(左)君津駅です (中)(右)君津駅のすぐ隣りに存在しました“弁天公園”です(^.-)☆

  

(左)“弁財天”の再建の由来が記されてありましたが… (中)(右)弁天公園内の景観です

  

(左)弁天公園内の景観 (中)弁天公園から君津駅を (右)弁天公園です(^.-)☆

  

↑↓ 御霊神社の景観です(^.-)☆ 新しく祀られました神社なのかも…大変キレイでしたから…

  

御霊神社

 御霊信仰の御霊とは、非業の死を遂げた怨霊に対する尊称だと考えられています。怨念を抱いて死んだ者は死霊となって祟るとされています。怨霊をさけるために祈祷が行われましたが、それでも祟りが収まらない場合は怨霊を慰撫し、祭り上げて守護霊へと転換する方法が図られました。それを御霊信仰といいます。

 とくに皇位争いや 政府高官位の争奪戦に敗れ、非業の死を遂げた権力者は、強力な怨霊と化して、朝廷のみならず社会にもさまざまな災厄をおよぼすと考えられ、皇室の変事や疫病の流行雷・地震・大火・大雨・洪水などの地震災害まで怨霊の祟りとみなされたのです。その背後には、国家権力に組み入れられていた呪禁師や陰陽師が、天皇や高官などの死、あるいは天災地妖の原因が怨霊にあるとして占う要素がありました。

 怨霊の魔から逃れる方法とされたのが、怨霊を祀り、鎮める御霊信仰だったのです。
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