鹿児島県 枕崎市・鹿児島市 <17/22>

  

(左)(中)(右)いずれも正門を撮りましたものです(^.-)☆

  

(右)錫門です(^.-)☆

  

(右)錫門です(^.-)☆

錫門

 斉興による庭地拡張以前(1848年)の正門である。19代光久の代に建てられたと伝えられている。
 現在では、庭園の中央に位置しているが、正門であったころは、この辺りまで錦江湾がせまっていた。屋根を錫で葺いていたことから錫門と呼ばれていたと伝えられているが、当初から朱塗りの門であったかどうかは定かではない。

 しかし、明治時代には、この朱塗りの門を管理するために、29代忠義の側近の漢方医たちが朱と油または漆を混ぜた液を振って、毎日手入れをしていたということである。

  

  

(右)獅子乗大石灯籠:畳八畳ほどの大きな笠石の上に、逆さの獅子が乗った大きな灯籠。
この灯籠の横は、借景がきれいにとれる絶好のフォトスポット。

   

  

御殿

 
御殿は、29代忠義の時代には本邸として使用されていた。現在では、明治17年(1884)の改築された部屋を中心に、当時の約3分の1が残されている。

 また、御殿の前の松は、やくたね五葉といい、御殿の前で仙巌園の長い歴史を見つめてきた。本邸として使われていた時代を想定して案内をする観覧コースがある。(所要時間20分、お抹茶お菓子付き)

  

  

(右)望嶽楼です(^.-)☆

望嶽楼

 
19代島津光久の代に琉球の国王から献上され、藩主が琉球使者と面接する際に使用したといわれている異国情緒あふれる建物である。
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