京都 府峰山町・天橋立 <1/6>

 福山 7:36 --- (ひかり342号) --- 7:53 岡山 8:07 --- (のぞみ2号) --- 9:08 京都 9:25 --- (JR特急はしだて1号) --- 11:19 天橋立 11:21 --- (特急たんごディスカバリー) --- 11:41 峰山 のルートで京都府中郡峰山町入り。

 距離はさほどありませんけど、福山から訪れますとさすがに時間は要しますネ(^-^)/
 峰山には5日間の滞在でしたけど、初日・最終日を除いてズッと降雨(^-^; 風もありまして少々肌寒い天候でしたけど、せっかく峰山に来ましたのですから、わずかの時間を利用しまして20数年振りに天橋立に立ち寄ってみました。

 天 橋立 豆知識

 天橋立は大江山の麓を流れる野田川から砂を押し流し、与謝の海からの押し返しにより出来た砂嘴で全長3.6kmございます。
 与謝の蕪村も「はしたてや松は月日のこぼれ種」と詠んでいるように、大小8千本の松が色どりを添えております。

 また、古代より文人墨客の訪れる所となり、百人一首にも「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天橋立」と詠まれております。
 これは藤原保昌が妻、和泉式部を伴い丹後の国司として在任中に都で留守をしていた娘の、小式部内侍の作として知られております。また、和泉式部も「橋立 の松の下なる磯清水都なりせば君も汲ままし」と詠まれております。

 有名な磯清水は、周囲は海にかこまれておりますが、不思議なことに塩分のない清水が、こんこんとわき出ており古来より名水「長寿の水」として知られ、日 本の名水百選に選ばれております。

 天橋立 の松並木は、日本の松・百選、日本の道・百選、白砂青松の百選、にも選ばれておりますのでぜひ一度ご散策下さい。

 日本三景と呼ばれるようになりましたのは、約350年ほど前の寛永20年に、当時の学者・林春斎が「日本国事跡考」に「丹後の天橋立、陸奥の松島、安芸 の宮島を日本三景」と書いたのが始まりと言われております。
--- 観光パンフレットより ---
   

  

  

(左) 北近畿タンゴ鉄道“峰山駅”です (右)滞在2日目のP.M.4:00過ぎに駅構内で撮りましたものです



峰山 駅前の景観です(^.-)☆

  

(左) 峰山駅構内の景観です (中)列車の車窓から宿泊しましたホテルを撮りました (右)車窓から天橋立を

  

(左) 北近畿タンコ鉄道“天橋立駅”前で (中)天橋立駅です (右)正面が日本三文殊の一つ“智恩寺”です

  

(左) 智恩寺“山門”です (中)多宝塔です (右)智恩寺境内で 寒い時期でも大勢の観光客が訪れておりました(^.-)☆

← 戻る  Contentsに戻 る   トップページに戻る  進む →