2025/01/26(日) 臼木山憩いの森公園℃U策 <4/4> |
臼木山山頂から駐車場へと戻って来ましたので、この辺で臼木山憩いの森公園≠ゥら退散です。が、その前に今一度、WEB上で臼木山≠検索してみましたら、こんな登山記が…
◆臼木山の登山日記
--- R1.08.18 https://sancyou.com/vusukiyama2.html ---
朝移動して福山駅へ。バスに乗り換えて9時過ぎに鞆の浦。そこから歩いて小室浜海岸を見てきました。40分滞在しています。本日のメイン目的は臼木山。阿伏兎トンネルを越して能登原に向かっています。
準備の時に地図をよく見ています。内海大橋が見えたから位置がわかりやすいです。田んぼの向こうに臼木山が見えていると思うのですが、どのピークの山なのか不明。阿伏兎バス停を通過。お店がなさそうな感じ。
地元の方にあいさつ。昔はこちらにも山道があったけど、今は荒れてるとの事。私は車道からめざします。神社にお参りして位置を確認。バス路線から漁港を見つけて地図と照らし合わせました。
案内がないけど山に向かう車道。ユリの花を見ながら上がります。海や田島が広く見えました。クレセントビーチに人がいるのがわかります。矢ノ島も見えています。内海大橋もきれいな姿を見せています。
地理院地図通りの道。土道になって大きく曲がりながら歩きます。昔は車道だったのでしょう。日が当たると暑いです。蜘蛛の巣が少ないから助かりました。ブヨが数匹。アブもいました。休みながら歩きます。
道が狭くなって木の階段。遊歩道です。安心して進めました。まだ氷水があるから心強いです。12時過ぎています。三角点と山頂を確認したいので迷わずに進みたいです。車道にでました。横断してまた山道へ。
上は車道を使う人が多いのでしょう。草木が邪魔するし、蜘蛛の巣が多くなりました。樹間から少し海が見えます。文字のある案内板が欲しい。長袖長ズボンで押し進みます。遊歩道の分岐。左の高いほうへ。
階段が続くけどいいのかな?大きく曲がって南に向かいます。車道合流点から近道があったのでは、、、どこに行くのか心配でしたが、草むらの中の三角点を見つけました。撮影しても絵にならない三角点です。
日がよく当たる草原。少しある木陰で休みます。スマホの電波が弱い。ベンチのところから田島の頭を眺めました。海も少し見えます。ここが臼木山山頂なら目的達成だけど社があるところに行かなくては、、、
草が多くて分岐が見つけにくい。下ったら車道終点の駐車場。ここから次の山道を登ったら広い山上。ここは草が短めでした。星の観察でもするところでしょうか。戻って車道を歩くことにしました。遠回りだけど。
遊歩道入口がある車道交差点から石鎚神社まで往復します。ここに臼木山憩いの森公園の案内板がありました。今はあまり使われていないのかも。先に進んで車道ピークから社の道へ。
見えてきました。石鎚神社。前回チャレンジした時はここまで来ていません。案内がなくてわかりにくいです。そして山名札もありません。お参りしてピークを確認。展望がよくないけど走島が見えました。
ネットで調べていましたが最高所は草木が多く山名札もないとの事。ガイドに315m三角点印があるけど地理院地図にはなし。案内が不明瞭な山なので、神社の峰を山頂としました。
すべて車道を下るか迷ったけど、能登原に下ってもバスに間に合いそう。さきほどのわかりにくい遊歩道入口を無事見つけて下りました。
けっこう急な階段。汗をかくのはいいけどカメラに落ちないで欲しいです。冷たい飲物をイメージしてどんどん下りました。
下りはほんとに早かったです。バス路線を千年橋に向かいます。白浜を眺めたあとで自販機発見。冷たいのを飲みます。このあと水分をたくさん取りました。体が渇いています。おなかこわさないようにしなくては。
まだまだ日に当たって暑い。足が疲れています。靴が熱で弱っているかも。千年橋バス停を過ぎたらお店が多くなりました。氷が欲しいです。福山駅行が20分早いけど、乗車時間を考えて松永駅行にしました。
30分あるからクーラーが効いているスーパーで休みます。シャツを着替えておいてよかった。バスは6分遅れできました。小さいバス。クーラーがよく効いていました。松永駅で10分待って電車に乗りました。
…と、こんな登山記でしたけど、ふ〜ん、この方は、結局、臼木山山頂≠ェ分からないままに下山されましたようですネ。
まぁ、GONsanも仲々分かりませんでしたけど(^-^;
臼木山憩いの森公園£梼ヤ場の案内図にも「臼木山山頂」の記載はありませんでしたし、この方が言われます通り『案内が不明瞭な山』と言えますかも(^-^)
それでは、退散ですけど、せっかくですから臼木山憩いの森公園≠フ能登原側の麓近くに「源平合戦の跡(能登原城跡)」が存在しますので立ち寄ってみます事に(^-^)
で、このマップのルートで向かいます。
が、最初のルートでは、上り道途中に金網フェンスで進入禁止。何でだろう?…と思いながらも、東側の別ルートで向かいます事に。
このルートも、多分、スグ近くまで来ているのでしょうけど、上り道が分かりません。
この辺りと思われます場所を何ヶ所か捜してみますけど、草木に覆われて分かりません(^-^;
どなたかのHPを確認してみますと、池の土手下を進みますと墓地がありまして、この墓地前の道を右折して進んだ辺りが「源平合戦の跡(能登原城跡)」への上り口だと思われますけど、雑草に覆われ哀しいかな不明(^-^;
う〜ん、せっかく訪れましたのに、分からないまま退散です。この画像の源平合戦の跡(能登原城跡)≠ネんですけどネ(^-^)//"
◆平家ゆかりの地能登原・横倉 広島県福山市沼隈町
--- 05/01/03(月) 沼隈郡沼隈町は福山市と(2/1)合併 https://k-yagumo.sakura.ne.jp/web11/heik.htm ---
-- 平家伝説地 (沼隈郡沼隈町) --
<能登原>この地で源平合戦があったと伝えられる。能登原の地名も平家の武将の華・能登守教経に由来する。
<横倉>能登倉の戦いに敗れた平家は、壇ノ浦へ向ったが、一部は横倉の谷あいに安住の地を見いだしたと伝えられる。
能登原の沖に丸い島が浮かんでいる。この島は「矢の島」と呼ばれている。周囲730mの小さな無人島。
今から八百年ほど昔『文治元年(1185)屋島の合戦』、四国の屋島を追われた平家の武将・能登守教経らの一団は、燧灘を渡り陣を鞆に構えたがさらに追われて能登原へ逃れ、ここに陣を構えた。
一方、源氏は軍を二手に分け一つは鞆にもう一つは田島内浦に陣を張った。
(那須与一の一隊)両軍は、大かがり火を焚きにらみ合いを続けた。ある夜のこと、平氏の見張が「田島から源氏が白旗を立てて押し寄せてくる」と教経(のりつね)に伝えた。教経は、松に掛けていた弓を取って白旗めがけて矢を射たが、いっこうに手応えがない。
暗闇の中をよくよく見ると、白旗と思っていたのは、実はかがり火に驚いて飛び立った白鷺の一群であった。教経は 「富士川の二の舞であった」と笑い、一団はぐっすり眠ってしまったその夜のこと、鞆に陣した源氏軍は能登原を攻め込み、田島からの源氏軍との挟み撃ちに合い、平家軍は総くずれとなった。
ある者は腹を切り、ある者は山道を辿り、ある者は船で西海へと逃れたという。この合戦を「能登原合戦」と呼ぶ。
← 戻る Contentsに戻る トップページに戻る |