2025/02/09(日) 福山市無形民俗文化財「沼名前神社お弓神事=v <1/5>

 ■2025年03月04日10:47
 2/9(日)午後は「福山市無形民俗文化財御弓神事=vの催しで、沼名前神社に参詣でした(01)


 1月の中旬頃でしたか…コンビニに出掛けますと、窓ガラスに「沼名前神社お弓神事=v開催案内のポスターの掲示が(^.-)☆
 確かコロナの関係で2〜3年ばかり中止され、昨年に数年振りの再開で、久し振りに出掛けてみようと思っておりましたGONsanです。が、開催日を失念でお弓神事′ゥ物は叶いませんでしたネ(^-^;
 御弓神事≠ヘ、毎年2月の第2日曜日に開催ですから、今年は2/9(日)となりますネ。今年は、忘れないよう久し振りに出掛けなくては(^-^)/
 …と、こんな経緯もありまして、2/9(日)午後は、13:30に我が家を出まして鞆に向かいますGONsanなのでありました(^-^)//"


 ◆沼名前神社『お弓神事』-- 福山市/2025 --

 --- https://tabi-mag.jp/nunakuma-oyumishinji/ ニッポン旅マガジン ---

 2025年2月9日(日)14:00〜、福山市の沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)で『お弓神事』が執り行なわれます。鞆の祇園さんと呼ばれる沼名前神社。福山市無形文化財に指定される『お弓神事』は、毎年2月の第2日曜に境内社の鞆八幡神社で齋行されています。「鞆八幡の御弓神事」は初春の季語にもなっている伝統行事です。

 ◇沼名前神社創建伝承にも関係する「鞆八幡の御弓神事」

 神功皇后が「稜威の高鞆」(いづのたかとも:弓を射る時に使った武具の一種)を納めたのが始まりと伝えられる、神社創建の由来にも関わる神事ですが、その後、年頭に1年の悪鬼を射払ってその年の平穏無事を祈る破魔弓の一種の行事に変化したもの。
 福山市の無形民俗文化財に指定。
 本来は、旧暦1月7日に行なわれる神事ですが、現在では2月の第2日曜に斎行されています。
 所役が「申す、申す、お弓を申す」と高唱しながら町内を一巡し14:00頃、神前での祭儀の後、矢場で神事が齋行されます。
 当日は、当番町内(旧鞆町内7ヶ町の持ち回り)から選ばれた「大弓主」、「小弓主」と呼ばれる射手2名が、江戸時代の武士の装束でそれぞれ6本、計12本の矢をを射掛けます。
 的の裏には甲乙ム(こうおつなし)という文字が。
 これは勝負事ではない、神事だということを記したもの。
 「ねーろた、ねろた、親弓がねろた」と弓を番えた弓主を後押しする囃子言葉が延べられ、それに合わせて矢を放ちます。
 弓主が放った矢を、「矢取り」と呼ばれる2歳〜3歳の幼児がお父さんに手を引かれ、鈴を鳴らしながら回収しますが、その仕草がユーモラスで笑いを誘います。
 社伝によれば、神功皇后が西国に向かった際、当地の霊石に大綿津見命(おおわたつみのみこと)を祀り海路の安全を祈願。
 帰路、綿津見命の前に「稜威の高鞆」を奉じたと伝えられています。
 鎮座地の「鞆町」や「鞆の浦」の鞆はこの高鞆に由来するとも。

 

 

 

 

 ■2025年03月05日11:45
 2/9(日)午後は「福山市無形文化財御弓神事=vの催しで、沼名前神社に参詣でした(02)


 鞆町の鴎風亭横の県営駐車場に車を駐めますと、未だ時間は充分ありますので、ノンビリと沼名前神社に向かいます。
 前方の鳥居に眼を向けながら参道を歩いておりますと、脇道から関町≠ニ記載された提灯を掲げた皆さんが参道に入って来られましたネ(^.-)☆
 神事は、鞆町の旧7町が輪番で担当されますようですけど、そぅでしたネ、今年は関町地区の皆様が当番年でありました。参道で、この方々と遭遇しますとは、実にタイムリーでラッキー\(^o^)/
 この方々は、まず鞆コミュニティセンター≠ノ向かわれ、暫し待機となりました。神事スタートのP.M.2:00までには、未だタップリと時間が(^-^)
 神事は、定められましたスケジュールに沿って、時間的にも正確に几帳面に実施されますようであります。
 関町≠フ皆様は、暫く、飲み物を飲まれたり談笑したりで待機しておられましたが、その内にリーダーの指示に従い鳥居下に集合です。今まで時間的な事は気にもしておりませんでしたけど、この調子では、神事開始のP.M.2:00丁度に沼名前神社境内に到着となりますようですネ(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 ■2025年03月07日18:21
 2/9(日)午後は「福山市無形文化財御弓神事=vの催しで、沼名前神社に参詣でした(03)


 P.M.2:00も近付いて来ましたようで、関町≠フ皆様がユックリと鳥居(二の鳥居)下を、神社の守護神を配置した随身門に向かって出発です。


 ◆沼名前神社鳥居(ぬなくまじんじゃとりい) -- 二の鳥居 --

 --- 福山市 ---

 沼名前神社は鞆祇園社ともいい、延喜式神名帳に所載するいわゆる式内社で、古くから多くの人々の信仰を受け、福山藩主水野氏の尊崇を厚く受けた神社である。
 この鳥居は、寛永2年(1625年)2代水野勝重(後の福山2代藩主勝俊)が長子勝貞(3代)の誕生にあたり、息災延命を願って当社に寄進したものである。
 鳥居の形式は普通の明神鳥居であるが、笠木の先端に丸味を付けて反り上がり(肥前鳥居という)その上に鳥ぶすまを載せた特異なもの。
 なお、左の柱に「大工 肥前之住人中島弥兵衛」とあり、鳥居伝来を物語る興味ある銘である。

 所 在 地:鞆町 沼名前神社
 員  数:1基
 構造・年代:寛永2年(1625年)
 規模・法量:高さ5.47m,笠木長さ6.0m


 随身門を潜りますと本殿・拝殿まで大雁木(大石段)≠ェ続きますけど、この大雁木では男衆が待ち構えておられます。仲々絵になります光景ですから、カメラ・スマホをお持ちの方は一斉にパチリです(^-^)
 勿論、GONsanも(^-^)//"


 ◆瀬戸内を代表する古社「沼名前神社」

 --- 備後とことこ https://bintoco.com/nunakuma_yumishinji/ ---

 ☆多彩な歴史文化遺産を有する瀬戸内エリア。
 なかでも「延喜式」神命帳(えんぎしき じんみょうちょう)にも記載があるのが、式内社「沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)」。
 江戸時代、かつての牛頭天王(ごずてんのう)・スサノヲを祀る鞆祇園社(ともぎおんしゃ)が、現在の地に鎮座しました。海に面した山裾に立地し、鞆の浦を見守るかのように鎮座していることから、自ずと海や港町・鞆と密接な歴史を刻んできました。
 境内には、拝殿のほか、能舞台、八幡社、摂社である渡守社があり、隆盛を誇った神社ならではの壮観な景勝が広がります。
 一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居、燈籠、玉垣、大雁木(大石段)などさまざまな石造物が配されているのも特徴です。

 ☆沼名前神社のあゆみ(小史)
 1871年、大綿津見命(おおわたつみのみこと)を祀る渡守(わたす)神社と須佐之男命(すさのおのみこと)を祀る祇園社を合祀し、社名を沼名前神社としました。
 それまでの略歴を以下に記します。
 ルーツは江隈(えくま)の国社(くにやしろ)とよばれた須佐之男命を祀る神社。
 その江隈の国社の近い場所に、海の神・大綿津見命を祀った渡守(わたす)神社がありました。もう一方のルーツに当たります。
 826年、淳和(じゅんな)天皇のとき、江隈の国社は移転に伴って「鞆祇園宮(ともぎおんぐう)」に改名。
 江戸時代、現在の場所へ移ると、同境内に渡守神社も移転。
 1871年、明治時代に二つの神社を合祀し、社名を「沼名前神社」とします。

 ☆沼名前神社と鞆の発展
 鎌倉時代に書かれた御輿の棟札(むなふだ)からは、すでに商都・鞆の浦の繁栄と港町、神社の隆盛がうかがえます。江戸時代から昭和初期、夏の祭礼は多くの参拝者を集め、船が港一帯を埋め尽くすほどでした。
 棟札の記録からも、沼名前神社への参拝が、鞆の商いに好循環を生んでいたことがよくわかります。

 ☆「沼名前」は読めなくて当たり前
 ところで沼名前(ぬなくま)は聞き間違えやすいうえに、難読漢字です。
 また福山市には沼隈(ぬまくま)という町名もあります。「前」を「くま」と読ませるのは、その名を記憶されるのを拒んでいるかのようです。
 それには理由があります。
 「隈」は海と山が入り組み、奥まった場所で縁起が悪く、「畏(おそ)れ」の文字を含むことも忌み嫌われたゆえん。ただ厄介なのは、奥まったところ「隈」を、おもてを意味する反意語「前」に替えると、読みの「くま」が消滅してしまいます。
 しかし、わざわいを畏れて沼名前と表記したのを知れば、命名の周到さが伝わります。ということもあって、沼名前は読めなくて当たり隈、いえ、当たり前なのです。

 ☆「祇園さん」と呼ばれて
 「鞆の祇園さん」と親しみを込めて呼ばれる沼名前神社。
 祇園とは祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)からきた言葉で、古代インドのシャカとその弟子の僧院を指します。とすると、沼名前神社は実のところ(仏教施設の)お寺ということでしょうか。
 そうではなく、当時の日本人は先祖の神々を祀った神社と仏教の信仰との間に、矛盾するものはないと考えていました。国内初の仏教信者の天皇である、用明(ようめい)の信仰に対する考えは日本書紀に見つけられます。
 曰く、古来の神道は排斥(はいせき)せず、仏教との共存の道を選ぶ、と。
 そうした神仏混淆(集合)は、日本ではあまり違和感のあることではなかったのです。
 たとえば、鳥居をもつお寺もありますね。ところが明治になると、今度は神仏分離令の公布があり神社とお寺は分けられ、それぞれの役割を担うことになります。

 ☆焼失した「拝殿と本殿」
 1975年の火災で、荘厳な佇まいを誇った沼名前神社の拝殿と本殿は残念ながら焼失しました。現在は再建された建物より、参拝が可能です。
 大雁木(大石段)が導く、広い境内にふさわしい存在感で鎮座しています。

 ☆沼名前神社の摂社「渡守神社」
 鞆の浦で最古の神社建築である渡守(わたす)神社の本殿。沼名前神社に祀られる渡守神社は、「お渡守さん」とも呼ばれています。
 祇園神社と一緒に祀られたことで、現在の沼名前神社は瀬戸内一帯の広い信仰を集めました。渡守神社(本殿)は建築技術にすぐれ、意匠の細部に古式をよく残しています。

 ☆沼名前神社と疫病
 新型コロナウイルス感染症の影響により、2023年に3年ぶりに執りおこなわれた「お弓神事」。かつては疫病が流行ると、沼名前神社をわが町へという勧請が各地から上がったこともありました。
 岡山県の郷土資料「沖新田開墾三百年記念史」には、江戸後期から明治にかけて、疫病大流行の年が繰り返されたとあります。
 多くはコレラの大流行で、全国で最大50万人の犠牲が出たと記録に残っています。
 そうした災厄を背景に、疫病退散の神である沼名前神社をわが町に創建したいという声が各地で上がっていたのです。


 …と、こんな沼名前神社≠ナありますけど、「備後とことこ」sanの記載に眼を通しますと、随分沼名前神社≠ヨの理解が深まりました(^-^)
 ところで、ふ〜ん、「本殿・拝殿」の焼失は1975年の事でありましたか…GONsanには、この火災の記憶がないのですけど、そぅいぅ事でしたか…この時代には暫く福山にいませんでしたから、うん、うん、納得です(^-^)/"

 

 

 

 

 

 

 

 

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