2025/03/08(土) 沼名前神社能舞台飛天双〇能♀モ賞 <2/3> |
■2025年03月23日21:46
3/8(土)は、沼名前神社能舞台で飛天双〇能≠フ鑑賞でした(^.-)☆(03)
今まで沼名前神社には、よく訪れています割りには境内をジックリと拝見した事がありません。
で、せっかくの機会ですから、境内を暫し散策です。そぅしましたら、んっ!?≠ニ眼が止まりましたのが、この砲弾碑≠ナす。
沼名前神社の社務所脇にクルップ砲≠ェ置かれていますのは、場所が場所だけに以前から眼にしておりましたけど、境内の片隅に「砲弾碑」が存在しますのには気付きませんでしたネ(^.-)☆
沼名前神社砲弾碑≠ノ関しましては、WEB上にこんな記載が…
◆沼名前神社砲弾碑
--- https://ameblo.jp/ktgwkuj/entry-12535336781.html ---
奉納日 明治三十一年五月吉日 と有るから 多分“日清戦争従軍記念”と思われます
竿石の刻銘 正面「呉鎮守府司令官海軍少将正五位勲四等功四級松永雄樹 勲六等機関長 中野仲造」
他、海軍関係者(戦友グループ?) 陸軍関係者(世話人?) 石工などの刻銘 碑の正体は不明
…と。
国内各地の神社に、こぅした砲弾碑≠フ設置はよく眼にしますけど、以下のような事情からのようであります。
◆神社や忠魂碑にある砲弾について
--- http://ki43.on.coocan.jp/hodan/hodan01.htm ---
日清戦役・日露戦役は、発展途上国だった日本が、かろうじて勝利した自衛戦争だった。国民すべてが一丸となり国難に立ち向かったのである。
日清戦で手に入れたた戦利品は、講和後に組織された「陸軍戦利品整理委員会」によって区分され、必要のないものは参考品・記念品として各方面に献納または払い下げられた。
民間への下附品目では砲弾が最も多く、約8,700個が下附された。整理委員会から各府県に一括して送付され、それを府県知事が管内の各施設に分与するという段取りで行われた。おおむね神社、仏閣、学校、役場、博物館といったところ。
日露戦のあとでは、明治39年に陸軍だけで「戦利兵器奉納ノ記」という文書とともに23,170箇所の神社などに砲弾が配付されている。
それこそ「坂の上の雲」を目指していたころの日本が、外国の植民地にされないため、国民が一枚岩となって国難に打ち勝った記念品として各所に置かれたのである。
これに加えて海軍からのものや、その後の皇室の御成婚記念や御大典、各事変の記念に下附された砲弾は相当な数にのぼり、日本中のすべての神社に置かれていても不思議ではないほどの数量が下附された。
ところが、今ではほとんどが姿を消している。その原因に、まず、大東亜戦での金属類回収令がある。さらに、敗戦でやってきた占領軍の命令や、彼らの目から隠すため処分されたものも多い。
したがって、現在かろうじて残っている砲弾は、日本の存亡の危機を一丸となって乗り越えたという民族の記憶を残しているうえに、その後の受難も切りぬけてきた貴重な記念品なのである。
「爆発のおそれがある」と通報騒ぎもあるが、陸軍、海軍が国難を克服した感激を国民と共有しようと民間に配付したもので、民間との親密な繋がりが目的なのだから爆発でもしたら、逆効果である。
それでも心配なら、調査してもらって安全を確かめ、廃棄処分することなく今のまま保存していただきたいと切に願う。
せっかく100年以上もの間、先人の思いを伝えてきたものなのだから。
日本全国に「忠魂碑」「忠霊碑」「表忠碑」「招魂碑」などの名前で多くの碑が建っている。
古くは明治初年からあったというが、日露戦役以降のものが多い。戦没者の顕彰・慰霊を目的としたものであるが、従軍記念あるいは戦勝記念などの碑もある。大東亜戦までに各地に多くの忠魂碑、記念碑が建設された。
そして敗戦。
占領軍は「連合国に対する日本の脅威を除去する」ため容赦ない日本破壊政策を展開。その一環の神道指令で、忠魂碑の類いは建立を禁じられたばかりか、既存の多くが撤去されてしまった。
昭和27年4月28日、対日講和条約が発効し、連合国の日本占領は終了、日本は主権を回復した。
GHQの廃止に伴い、神道指令をはじめとする指令・覚書もすべてが効力を失った。
そこで、戦友や遺族、自治体による碑再建の動きが全国的に広がった。撤去したと見せかけて地中などに隠していた例が多く、これらは復活した。さらに再建のみならず、多くの忠魂碑が新たに建設された。
占領下で抑圧され、じっと耐え忍んできていた民族の感情が一気に爆発した形であった。
忠魂碑の傍らに砲や砲弾、機雷や魚雷などが記念品として備え付けられている場合がある。中には砲身や魚雷が忠魂碑そのものになっていたりもする。敗戦・占領下にあって、これらを残すことは、碑よりも困難であったと思われる。
砲弾碑$ン置には、こんな事情が有りましたのですねぇ〜
それでは、この辺で能舞台に向かってみます事に(^-^)
ところで、飛天双〇能(ひてんふたわのう)≠ニは、何なんでしょう?WEB上で検索してみますと、
◆『飛天双〇能』鞆の浦で始まる!!
--- https://visittomonoura.com/2025/03/14052/ ---
日本を探して〜
瀬戸内の風を受けて、時が重なる文化の町にどっぷり浸る。
伝統は私たちに何を語りかけるのか
土地を愛し文化を培った人々の想いを
秀吉公の舞台に託して未来に渡す
『飛天双〇能(ひてんふたわのう)』とは、12年一巡りで開催される能楽演能です。第1回目は令和5年に滋賀県・多賀大社能舞台で行われ、翌年2回目を伊勢神宮内宮能舞台で、今年3回目を「潮待ち」鞆の浦の沼名前神社能舞台で開催されます。能楽演能のほかにもシンポジウムやワークショップなどのイベントなども行われます。鞆の浦ならではの風情と、能の神秘的な魅力をぜひ感じてください。
日時:令和7年3月5日(水)〜8日(土)
「飛天双○能」は、歴史ある日本各地の野外舞台12ヶ所をめぐり、古来より日本が伝承して来た生活文化を再起動させることで本来の日本美、日本力を発揮することを目的としています。 「双〇」とは、陰陽、前後、左右、東西、南北、男女、火水、太陽と月など、我々の身の回りに存在する全ての事柄は、この二極の対峙と調和により成り立っていることから名付けられました。
飛天双〇能(ひてんふたわのう)
◆第三回能楽奉納「飛天双○能鞆の浦」沼名前神社にむけて
--- 2025年2月2日 https://hitenfutawanoh.myshopify.com/blogs/news/20250201 ---
「飛天双○能」の目的は古来より日本が伝承して来た生活文化を再起動させることで本来の日本美、日本力を発揮することです。
先ず「農」農業の役割は日月星、火水土、山川草木と言う自然と向き合い、それらが与えてくれる 無尽蔵の恵みを余すことなく生かし活用することが「百姓」故に全てのもの作りに通じている姿を表しています。 その盤石なもの作りの上に素晴らしい文化の花としての総合芸術「能」の花を咲かせる事が出来るのです。 その「衣食住」に関わるもの作りの最先端を担う品々を宮大工の手による能舞台という神器に御供えする 役割をなすのが能役者(能楽師)です。これら全て一連の流れが保ち続けられていることが本当の日本の姿であり、正に日本美を象徴する伝統文化として世界に誇る事が出来るのです。
今回第三回となる鞆の浦能楽奉納では特に宮大工の手による組み立て能舞台が注目されます。太閤秀吉が持ち歩いた組立て式能舞台は桃山時代のものであり現存する最古の組み立て式能舞台になり、建築家のみならずとも大変興味深いものとなります。
その他は第一回より取り組む道具類の復元になります。鼓を形作る上で必要不可欠な麻製の調べ緒紐を国産(栃木県)の精麻に、染色を草木染(日本茜)に約100年振りに復元して来ました。大鼓の皮も古式ゆかしい寒晒しなどの作業工程再現復元に取り組み更に深めて参ります。能舞台関連で無くてはならない橋掛りの揚げ幕の新調にも取り掛かっております。もちろん幕の五色は全て草木染めになります。
この様に全て日本が古来何千年の時を経て受け継いできた人から人への伝承叡智が伝統であり、それが未来というものを生み出すという原理原則を忘れてはなりません。この取り組みに賛同する同志の方々と共に、300年後の方々が笑顔で喜んでくれる未来を念じて 真剣に取り組む覚悟です。
何卒宜しくお願い致します。
彌榮 大倉正之助
…と、こんな記載がありましたけど、能の世界は、GONsanには場違いかも(^-^;
まぁ、せっかくですから、とりあえず鑑賞します事に(^-^)//"
■2025年03月24日15:59
3/8(土)は、沼名前神社能舞台で飛天双〇能≠フ鑑賞でした(^.-)☆(04)
今、舞台で演じられています演目(曲目?)が終わりますと、暫し休息タイムとなりました。この間を利用して、GONsanは場所を移動し、極力、目立たない場所へと(^-^)
途中で退散したい気持ちもありますから、隅っこの方へ場所取りとなりました。
この間に、スマホを取り出し能≠ノついて少し勉強です(^-^)
◆能の基礎知識
--- https://www.nohgaku.or.jp/guide/能の基礎知識 ---
★能とは?
室町時代(14世紀)に成立した能は、六百年を越える歴史の中で独自の様式を磨き上げてきた日本の代表的な古典芸能であり、同時に、現代に生きる世界の演劇の一つでもある。その特徴を一言で言えば、面と美しい装束を用い、専用の能舞台で上演される歌舞劇、と、まとめることができるだろう。
能舞台の上では、日本版コメディの狂言も演ぜられる。能と狂言は源を同じくし、同じ能舞台の上でそれぞれ別の側面を発展させてきた。能が歌舞劇として、どちらかと言えば人間の哀しみや怒り、懐旧の情や恋慕の想いなどを描くのに対し、狂言は笑いの面を受持ち、科白劇として洗練を重ねてきた。また狂言の役者は能の中で一役を担ってもいる。狂言については 別記事で述べることにし、以下しばらくは能に限定して解説する。
★代表的な役柄
能にはどんな役が登場するのだろうか。現在の上演曲目はおよそ240曲、そのうち普通演じられるのは120曲ぐらいだが、能の筋書きは非常に単純で、登場人物も類型化されている。代表的な役柄には『源氏物語』『伊勢物語』などの古典文学に登場する優美な男女の霊、『平家物語』で語られる「源平の戦」で死んだ武将の霊、地獄に堕ちて苦しんでいる男女の霊、というように、幽霊が多い。また、松や桜など草木の精、各地の神々、天女、天狗、鬼など、人間以外のものも多く登場する。こうしたものたちが人間の世界に現れ、我々と交渉を持つのである。
もちろん、現実に生きている人間が主人公の能もたくさんある。白拍子のような芸能者、曾我兄弟や義経、弁慶などのヒーローが、さまざまなドラマを繰り広げるほか、別れ別れになった親子や夫婦の物語では市井の人々が主役となる。中国ネタの能も多いので中国人も登場するが、外国人であることは出立で示すのみで演技に違いはない。
★演者の役割分担
以上のような作品群を演ずる人々の側にも、いくつかの役割分担がある。
能では主役のことをシテという。能は徹底した「シテ中心主義」で、美しい衣装も面も観客の目を引きつける舞も、ほとんどがシテのものである。また、上で述べた代表的な役柄もシテが演ずるのがふつうである。そのシテと応対し、シテの演技を引出す役をワキと呼ぶ。すべて現実に生きている成人男子で、面をつけることはない。僧や神官、天皇の臣下などの役が多い。
シテを演ずる人たちのグループ(シテ方)と、ワキを演ずる人たちのグループ(ワキ方)はまったく別のグループで、シテ方の役者がワキを演じたりワキ方の役者がシテを演じたりすることはない。シテ方の役者は、シテやその助演的役割のツレを演じるほか、地謡(コーラス)を受け持つ。地謡は、情景や出来事、登場人物たちの心理などをナレーション的に描写するほか、ときにはシテやワキになりかわって、彼らのセリフを謡うこともある。
曲によっては子供が登場することもあり、子方と呼ばれる。子供の役を演ずるだけでなく、天皇や源義経の役など貴人の役も演ずるのが、能の子方の特徴である。たとえば(船弁慶)の義経は、シテやワキが表現する愛情・忠誠心・恨み等々の向かう先のいわばマークとしてのみ存在している。そうした義経の存在感が強くなりすぎぬよう、あえて子方を用いるのである。
楽器は、笛・小鼓・大鼓と、曲によって太鼓が用いられる。能の囃子は単なる伴奏音楽ではない。シテの演技や地謡等とともに、一曲の世界を作り上げるための大切な要素である。初めて能を観る人は、特に打楽器の掛声に驚くかもしれないが、この掛声自体、能の音楽の一部をなし、内容や場面にあった情趣を生み出している。唯一のメロディー楽器である笛も、ただ美しく旋律を奏でるというよりは、各場面にふさわしい情趣を醸し出すような演奏をする。
掛声とともに重要視されるのが、「間」と呼ばれる、楽器の音のしていない部分である。音は聞こえなくても、演奏者はただ休んでいるのではなく、そのあいだも舞台上には力が充実している。
狂言の役者も、能の中に登場する。物語の舞台となる土地の住人や、シテ・ワキなどの家来などに扮し、前後の場面をつないだり、筋書を進めたりする役で、アイと呼ばれる。
★演出・演技の特徴
能舞台は普通の演劇の舞台に比べ奥行きが深く、舞台が客席に向かってせり出すように開放されており、本舞台と幕を結ぶ「橋掛」が付いているのが特徴である。橋掛は人物の登・退場の通路というだけでなく現実の世界とあの世をつなぐ橋にもなり、また、舞台に立体感を与える役割も果たしている。能の演技や演出は、こうした特殊な空間で演じることを前提に磨かれてきた。
能の演技は、謡と所作で成り立っている。謡は、腹式呼吸を基本にする点は西洋音楽と同じだが、息と共に声を出す発声法は、能独特のものである。女の役も、歌舞伎の女形のような声は出さない。
所作は、腰に力を入れあごを引いた特殊な姿勢(カマエ)を基本にし、移動は床に足の裏を付け、踵を挙げない歩き方(ハコビ)で行う。「能を舞う」という言い方があるが、ただ立っているだけでも、それは日常的な身体の使い方とは異なっている。能一曲の中に、日常的な動作は一つもないと言ってよい。
現代のようなカマエとハコビを基礎とする能の所作は、六百五十年の歴史の中で、能面や装束や能舞台の発達とともに、少しずつできあがってきたものだ。重い装束を着け、能面の位置を安定させるためには、身体の重心を安定させなければならない。能面がほんの僅かな角度の変化でハッとするような表情を見せるなどということも、演者の首がぐらぐらしていたり重心が揺れたりしていては起こりようがない。
このカマエとハコビの上に、様々な型が加えられる。なかには抽象的な、意味のない型もあるが、能の型の基本は、写実的な物まねから無駄な動きを削ったものである。例えば、指を揃えた手を額の辺りに持ってくる「シオリ」という型は、涙を押さえる動作をできる限り簡素化したものである。こうした極度の省略により、逆に、身体の向きを変える・面を上げる・数歩出るといった、ほんのわずかな動作が、何もない吹き抜けの能舞台のうえで、見事な効果を生む仕組みになっている。
「何もない」と書いたが、能舞台の上には、「作リ物」と呼ばれる一種の舞台装置が出されることがある。たとえば竹で舟型の枠組みを作って白い布で巻いただけの「舟」であるとか、神殿や天岩戸を表わす小さな建屋、中に桜の精が入っている老木など、簡素な作りのものが多いが、中には(道成寺)のシテが飛び込む鐘のような、大がかりなものもある。
ただしこれらはどれも、役者の演技を効果的に引き出すためのもので、情景を描くためのものではない。能においては、照る月も、空を飛ぶ雁の列も、虫の鳴き声も、すべて謡とシテの動きで表現される。役者がわずかに空を仰いだり、あるいはじっと耳をすましたりする、その動きを見、謡を聞いて、観客もそこに月を見たり虫の声を聞いたりするのである。どんなに地謡がすばらしくても、シテの型が見事でも、観客が想像力を働かせなければ情景は浮き上がってこないことになる。観客参加型の芸能なのだ。
だから、参加してほしい。舞台上のすべてを完璧に理解することなど不可能だし、その必要もない。美しい装束や面、切れのよい所作などを眺め、音楽に身を任せ、その日の自分の感性に触れるところだけを好きなように味わう。ある意味とても贅沢な芸能だとも言えよう。
★能の流儀(流派)
能役者は、シテ方、ワキ方、囃子方(笛方、小鼓方、大鼓方、太鼓方)、狂言方と役割が分かれており、それぞれに複数の流儀(流派)がある。現在の流儀は以下の通り。
シテ方:観世流・金春流・宝生流・金剛流・喜多流
ワキ方:宝生流・福王流・高安流
笛方:一噌流・森田流・藤田流
小鼓方:幸流・幸清流・大倉流・観世流
大鼓方:葛野流・高安流・大倉流・石井流・観世流
太鼓方:金春流・観世流
狂言方:大蔵流・和泉流
「今日の能は宝生流だ」「金春流の羽衣を見た」などと言うときは、シテ方の流儀のことを言っている。ただし、観世流の能の時は囃子方も観世流で揃えなければならないとか、金春流の能だから太鼓も金春流でなければいけない、などということはまったくない。ワキ方、囃子方、狂言方、どの流儀も、シテ方のどの流儀の相手もできるし、互いにどのような組み合わせでも上演ができるようになっている。
…と、能の基礎知識≠ナ検索しますと、こんな記載がありました。
ササッと走り読みで、参考になりましたような、ならないような(^-^;
GONsanの能への理解はさて置きまして、次の演目(曲目?)であります『加茂』が始まりましたネ(^-^)//"
■2025年03月25日17:15
3/8(土)は、沼名前神社能舞台で飛天双〇能≠フ鑑賞でした(^.-)☆(05)
能舞台を鑑賞しますには、先ほどまでおりました場所の方が良かったようであります。
移動しなければ良かった…と思うものの、GONsanには難解な、そして、場違いな能の世界ですから、極力端っこの目立たない場所の方がイィのかも(^-^)
熱のこもった口上に、時たま拍手がありますけど、何で、このシーンで拍手が…と、不思議な想いも生じますGONsanです。
こんな方達は、能≠充分理解しておられ、屋外の能舞台を充分味わい、尚且つ、感動して観ておられますのでしょうねぇ〜が、GONsanには、依然として、雲の上の能舞台であります(^-^)//"
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