2025/03/23(日) たじり杏まつり(杏ロード散策) <1/4>

 ■2025年03月30日23:12
 3/23(日)は、孫と一緒に杏まつり″sきのGONsanでした(^.-)☆(01)


 3/23(日)の朝、今からGGに出掛けようとしますと、「杏まつりに行くん?」…と、珍しく孫から電話。
 「GGから戻ってから行くけど…」と返しますと、「なら、ボクも連れて行って」ですから、んっ!?≠フGONsan。今まで、誘っても杏まつり≠ヨの関心は全くありませんでしたのに、何で!?
 とりあえず、「あぁ、イィよ。GGから戻ったら迎えに行くから。時間は、10:00頃になると思う…」と、10:00からお隣りの田尻町の「杏まつり」に出掛けます事に(^-^)
 そして、GGから戻って来ますと、一服する間もなく孫を迎えに(^-^)
 田尻町に向かいます車内で、「何で、杏まつりに行きたくなったの?」と尋ねますと、姉が友達と杏まつり≠ノ行くから、行きたくなったとの事でありました。
 相変わらず、姉が出掛けます所には凡て自分も行きたい弟ですから、苦笑してしまいます。まぁ、イイのですけど…
 こんな事情で、孫と一緒に田尻・杏まつり″sきとなりましたGONsanです。
 田尻に到着しますと、海岸沿いのあんず広場≠ノ駐車し、山側の「杏品種比較試験地」に上がって行きます事に。つぃ先日まで冷たい日々でしたから、まだ杏の花の満開は期待薄の感もありますけど、民家の杏に眼を向けますと、結構、開花していますのもありますネ。
 こんな景観を画像に納めながら、「杏品種比較試験地」まで上がって来まして、試験地の杏に眼を向けますと、う〜ん、予測通り、満開には程遠い状況でありました。いゃぁ、残念(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 ■2025年04月01日00:39
 3/23(日)は、孫と一緒に杏まつり″sきのGONsanでした(^.-)☆(02)


 杏園(品種比較試験地)≠ワで上がって来ましたけど、残念ながら、ご覧の通り満開とは程遠い状況でありました。が、一グループの皆様がビニールシートを敷いて、蕾状態の杏を楽しんでおられます。
 杏の開花の有無に拘わらず、こぅして盛り上がりますのがイィのでしょうねぇ(^.-)☆
 大概、杏まつり♀J催時には、試験地の杏は蕾状態か二〜三分咲きの時が多いかも…もう久しく、試験地の杏の満開状態は眼にしていませんのが哀しいですネ(^-^)
 この方達を横目に、GONsan達は、とりあえず露店の前を通過し円明寺≠ノと向かいます。円明寺手前の山側には、これは梅の花なのかも…満開状態で大変キレイ(^.-)☆
 円明寺の境内からは、眼下の景観を眺望です。
 GONsanが車を駐めましたあんず広場°゚くの港からは、丁度、杏船≠ェ出航です。
 杏まつり開催時にのみ、この港からエクセル下の港まで、乗客の皆様に船上から杏畑を楽しんで貰っていますようです。昨年は、この航行ルートの中間辺りで座礁しますトラブルがありましたけど、今年は事故無く、乗客の皆様を無事搬送出来ますと宜しいですネ(^-^)//

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■2025年04月01日21:46
 3/23(日)は、孫と一緒に杏まつり″sきのGONsanでした(^.-)☆(03)


 円明寺境内から、暫し眺望を楽しみますと、今から田尻ばら園∞十三仏=Aそして、田尻町菜の花畑≠ノ向かってみたいと思います。
 境内の南側の石段を下りますと、田尻杏発祥の地≠フ石碑が…毎回、訪れます度に撮ってはいますが、またパチリです(^.-)☆


 ◆九州豊後の国 大分県
 田尻のあんず栽培は、天和元年(1681年)阿闍梨尊意(あじゃりそんい)が九州豊後の国、大分県より円明寺の住職として入村した際に寺に植えつけしたのが始まりと伝えられ、330年以上前からあんずの栽培が行われてきました。
 いまでは田尻町内には約3,000本を超えるあんずの木があるとされ、毎年3月の花の時期には田尻一帯にあんずの花が咲き乱れます。

 ◆田尻のアンズ(たじりのあんず)

 --- ひろしま文化大百科 ---

 300年もの昔から絶えることなく作られてきた田尻のアンズ。沼隈半島の南端、瀬戸内海国立公園鞆(とも)の浦を望む田尻(現福山市田尻町)はアンズのふるさと。温暖な気候に恵まれ、豊かな人情に育てられた特産である。
 大正元年(1912)広島県農試のまとめた『芸備の園芸』には、こう紹介されている。「沼隈郡田尻村には、戸毎其宅地内及空地に数本の杏を有せざるなく、年々其産する果実を売却して、宅地租及諸雑費を補ひて尚余りあり。花時(四月上旬神武天皇祭の頃を盛とす)同村を過ぐれば恰も白雲靉靆として模糊の裡にあるが如し」と。
 当時の記録によると、「村内に約八百本、産額壱萬二千貫、価格壱千八百円」と出ている。
 田尻では、「アンズは畑の中に植えると枯れる」といわれ、畑のあぜに植えた。したがって果樹園は形成されず、散在する放任型の栽培だった。それにしても200戸ほどで2,000本近く植えられていたのだから、花見時にはにぎわったことが想像される。
 昭和54年(1979)「田尻杏の古里振興会」が発足、町民の手によって、田尻アンズの復活がはかられている。氏神社の境内に「田尻杏入植三百年記念碑」を建てたり、「田尻杏小唄」、謡曲「田尻の杏」なども作られている。


 …と、こんな経緯のあります田尻町≠ナあります(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

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