備陽史探訪の会ぶら探訪
2023/03/04(土) 座床・四ツ樋周辺をディープに探訪 <1/5>

 ■2023年03月14日17:03
 3/4(土)は、「備陽史探訪の会ぶら探訪▲に参加でした(^.-)☆


 春めいて来ましたので、3/4(土)は「備陽史探訪の会ぶら探訪▲に参加のGONsanでした。今回のテーマは、『座床・四ツ樋周辺をディープに歩く福山入江の成り立ちを探る=xであります。
 集合は、A.M.09:30、福山市立大学に隣接の福山みなと公園≠ナ、今回の講師は瀬良泰三(近世近代史部会)sanであります。
 当初の募集要領では、募集人数40名となっておりましたけど、集合時間到来時にザッと数えますと、50人近くの皆様がお集まりでありました(^.-)☆
 それでは、この日のぶら探訪≠フ様子を、また画像でご案内です(^-^)//"

 福山みなと公園∴齣ムは、福山城へと向かう入江でした。
 福山みなと公園≠フグランドに眼を向けますと、グランドを二分するような感じで石垣が設置されています。
 昔、この入江から、北木島・白石島等の笠岡諸島に向かいます船が出ていました頃には、この石垣が設置されています辺に桟橋がありましたとか…
 GONsanの幼少時には、そんな記憶がありませんから、もっと昔の大正時代でありますのかも…ふ〜ん、ここから笠岡諸島に向かいます船が出ていましたとは、全く知りませんでしたネ(^-^)/"

 

 

 

 

 

 

 A.M.9:41にぶら探訪≠ヘスタートで、まず向かいましたのが舟入番所跡=B
 ここには、現在は、「金比羅宮」と「川口新四国八十八ヵ所」が設けられています。


 ◆舟入番所跡

 <金比羅宮>
 航海守護の神である。建立時期は明確では無いが、灯籠には明治13年の銘がある。ここは江戸時代末まで舟入番所があった場所である。おそらくその番所跡に船乗りや漁民たちの安全を祈るために港であった入江脇に造られたものと考えられる。金比羅信仰が盛んであった当時、ここから四国へ船出したこともあったであろう。

 <川口新四国八十八ヵ所>
 川口の干拓地は寛文11年に造成され、これにより入江の堤から川口南の堤、芦田川(鷹取川)東岸の堤と福山南の干拓地を囲む連続した長大な堤が完成した。この堤上に城下町南東端の入江脇住吉神社南から川口南を廻り、城下町西南端の鷹取川東岸堤の古野上まで旧干拓地を囲む形で約8.2kmにわたり八十八ヵ所が設けられた。城下の町人がお金を出し造られたと言われる。
 この場所には三番四番が祀られているが、これは元々リーデンローズの今の駐車場の位置にあったものを建設に伴いここに移動させたものである。
 備陽六郡誌には他に「松か端地蔵堂 正徳の比、櫻井傳内と云者建立」ともあり、ここにも地蔵尊はまつられているが、この記述は一番のところにあるものかと思われる。それ以上の由来は不明である。

 
-- 当日貰った備陽史探訪の会℃送ソより --

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次は、ポートプラザ日化〜リーデンローズ間を繋ぎます陸橋上に向かいます。
 陸橋からは、座床・四ツ樋周辺を眺望です。リーデンローズの建物の横に駐車場が隣接ですけど、この辺りが古座床≠フようですネ。


 ◆古座床(正保絵図では船置所、備陽六郡志では舟入と書かれる)

 福山藩は海軍を有し多くの藩船を持っていた。それを係留しておくための場所が造られた。水野藩の頃、前半天和の頃まではこの松が端に存在した。その後、吉津川に移った為、古座床の地名が残った。

 ・備陽六郡志
 「松か端の津留を、舟入口の津留といふ。宗休公の御代より延寶、天和の比まて、組屋敷の後の所、御船を被入置たる座床なりし故、今以船入口の津留といふ。」

 ・福山語伝記
 御召の御船、弐拾五端の大船御作り遊ばされ候。田尻村に出来候故に田尻丸と申し候。其の後は祇園丸と名替わり候由承り申し候。御嫡美作守様御代迄は松ヶ端御船蔵につなぎ有り。藤井茂兵衛其の節は御船手役にて親共心安く仕り候故、六月土用干の時分拝見致し申し候。美をつくしたる事にて言に述べ難く、其の時の御船蔵はりょうどこやのさきより川口御場所の間にて候。其の後美作守様御代、御船奉行鎌田与七右衛門時に今の御船蔵に成り申し候。
 昔は薬師川より吉津川まで薪船入り候由。今の三ツ橋はそり橋にて景色も良く候由承り候。一節は小舟にて川に綱を引張り、たぐり渡り候事もこれ有り候由。


 入江は、福山城に向かって一直線に…(今は道路ですけど)眺望しますと、真正面に福山城天守が(^.-)☆
 その道路上では、何やら工事中でありますが、この陸橋下から国道2号線までの間で工事を行いますと、今でも当時の石積み護岸が出て来ますのでしょうねぇ〜
 陸橋から下りますと、次は、舟入番所跡(正保頃)・大山樋門へ向かいます。
 陸橋から下りて来ますと、広場の一角に、こんな石碑が…


 ◆我が国 染料工業 黎明の地 -- 中村 輝夫 書 --

 当備後地方の備後絣は、江戸時代後半から、伊予絣・久留米絣と並んで絣の三大産地として繁栄していた。
 しかし、大正3年7月に勃発した第一次世界大戦により、それまでドイツに頼っていた染料の輸入が途絶え、我が国の絣の生産に大打撃を与えた。
 これを契機に当地で染料の国産化への懸命な努力がなされ、大正5年11月13日に、府中の地に帝国染料製造株式会社が創立された。翌大正6年9月6日、福山市入船町に工場を移転し、ここから国産第一号とも言うべき画期的な木綿染料・硫化ブラックBXを世に送り出した。これは、黎明期の我が国染料工業の草分け的存在として、世の脚光を浴びた。その後、日本化薬株式会社福山工場と改め、昭和61年2月1日に、現在の箕沖町に全面移転するまで、70年近くにわたり、当地で創業を続けた。

 
--- 平成11年4月吉日 日本化薬株式会社福山工場 ---

 …と、石碑には、こんな記載がありました。
 そぅですネ、GONsanが幼少時には、この場所を通りますと異臭と言うか、染料の異様な臭いが漂っておりましたネ。
 石碑に揮毫されました中村輝夫≠ウんは、日本化薬鰍フ元・社長さんなんですけど、WEB上で検索してみましたら、ふ〜ん、昨年、お亡くなりになられましたようですネ。こんな記事がありましたけど、島根県のご出身でしたのですねぇ〜


 ◆中村輝夫さん死去 元日本化薬社長

 --- 2022年11月30日 06時54分 東京新聞 ---

 中村輝夫さん(なかむら・てるお=元日本化薬社長)10日、老衰のため死去、89歳。島根県出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長男修一郎(しゅういちろう)さん。

 ◆日本化薬

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 日本化薬株式会社(にっぽんかやく)は、東京都千代田区に本社を置く総合科学メーカー。
 医薬品や農薬などの薬品のほか火薬なども製造している。火薬事業から出発し、日本初のダイナマイトを製造した。医薬事業に関しては、バイオシミラーで韓国との共同研究を積極的に推し進めている。

 ◇事業内容

 「情報通信」「医療」「安全」の3分野を成長分野と定め、以下の4事業を展開。
 ・機能化学品事業
 情報通信分野を中心に、液晶ディスプレイ用の偏光フィルムなど製造。半導体封止材用エポキシ樹脂は世界市場の40%以上を占有。DVD用UV硬化型樹脂(接着剤および表面保護剤)においては世界シェア2位[25%](1位はDIC[45%])である。
 ・医薬事業
 がん関連分野に強く、世界有数のラインナップを誇る20種類の抗がん剤を販売。韓国のセルトリオンとバイオシミラーの共同開発も行っている。
 ・セイフティシステムズ事業
 自動車安全部品である「インフレータ」(エアバッグを膨らませるための点火・ガス発生装置)の研究・開発・製造を行う。「マイクロガスジェネレーター」(シートベルトを引き込む装置)は世界シェアNo.1である。
 ・化学品事業
 農薬、染料、火薬を製造。

 ◇沿革
 1916年(大正05年) - 日本最初の火薬メーカー、日本火薬製造株式会社として発足。
 1916年(大正05年) - 帝国染料製造株式会社設立。
 1921年(大正10年) - 株式を東京証券取引所に上場。
 1931年(昭和06年) - 山川製薬株式会社設立。
 1943年(昭和18年) - 帝国染料製造株式会社及び山川製薬株式会社を吸収合併。
 1945年(昭和20年) - 社名を日本化薬株式会社と改める。
 1991年(平成03年) - 有沢製作所と合弁で、株式会社ポラテクノ設立。
 ポラテクノは2019年に日本化薬の100%子会社になり、2020年に機能化学品に関する全事業・資産等を日本化薬へ継承
 2006年(平成18年) - ポラテクノがジャスダック証券取引所に上場。
 2008年(平成20年) - カヤク・ジャパン株式会社(株主:日本化薬株式会社50%、旭化成ケミカルズ株式会社50%)設立
 2010年(平成22年) - 2010年5月期決算にて、営業利益・経常利益 共に当社創立以来の最高益を達成。

 ◇事業所
 ・支社
 東部支社(東京医薬支店) - 東京都文京区
 西部支社(大阪事務所) - 大阪府大阪市中央区
 ・工場
 福山工場 - 広島県福山市
 厚狭工場 - 山口県山陽小野田市
 高崎工場 - 群馬県高崎市(旧 東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所)
 東京工場 - 東京都足立区
 姫路工場 - 兵庫県姫路市
 鹿島工場 - 茨城県神栖市
 ・研究所
 機能化学品研究所 - 東京都北区
 医薬研究所 - 東京都北区
 セイフティシステムズ開発研究所 - 兵庫県姫路市
 アグロ研究所 - 茨城県神栖市

 

 

 

 

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