2022/02/28(火) 福山市熊野町「常國寺」散策 <3/3>

 

 

 

 

 

 ◆楷の木

 中国山東省済寧市曲阜にある孔子の墓所「孔林」には弟子の子貢が植えた「子貢手植の楷」の子孫が今も美しい姿をとどめている。
 日本へは大正4年、白澤保美博士が初めて孔林から種子を持ち帰り、育てた苗を各地の孔子廟や儒学に関わりの深い場所に配布した。その中の2株が、岡山県閑谷学校で今も見事な紅葉を見せている。
 しかし、楷は雌雄異株のため日本で自然に殖えることはなかったが、昭和38年に、朝比奈貞一博士が人工交配に成功し、多くの種子が得られるようになった。
 平成に入っても孔林の楷は各地で育てられ、ここに植えられている2本の楷も足利市から贈られたものである。
 足利市の本貫地である栃木県足利市には足利学校があり、そこに大正時代の楷の木が植えられている。常國寺は、足利幕府最後の将軍義昭と関わりが深いため、その縁でこの地に楷の木を植えることにした。

 --- 福山市教育委員会 ---

 ◆福山市重文 番神社本殿

 --- 福山市熊野町常國寺 1964年(昭和39年)10月10日指定 ---

 覆屋の中に納まる小社(軒幅約2m、軒高約3m)で、常國寺中興の江戸時代中期に建てられました。
 部材の風化や損傷が少なく、元禄年代(1688年〜1704年)の様式をよく伝える社殿です。
 一間社の流造で、正面は唐破風、千鳥破風が付いています。屋根は柿葺です。

 --- 福山市教育委員会 ---  

 ◆福山市重要文化財 常國寺鐘楼

 --- 福山市熊野町上山田 1964年(昭和39年)10月10日指定 ---

 この鐘楼は、福山藩家老水野玄蕃の母が施主となり、元禄年間に建立されたものです。
 方一間(3.1m四方)、軒までの高さ3.8m、、棟の高さ6.5m。構造は単層、屋根入母屋造、本瓦葺。柱は面取り角柱で内転びとなっています。

 --- 福山市教育委員会 ---

 「番神社」につきましては、WEB上に詳しい説明をしておられます方が…

 ◆番神社(ばん) 福山市熊野町常国寺境内に鎮座する

 --- https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1818324&id=18564810 ---

 番神社は普通の神社とは属性が違う。というのは、明治時代に国家神道が唱えられ神仏が分離された。これにより神社内に造営されていた多くの仏的建造物や歴史的に価値の高いとされた仏像等も惜しげもなく廃棄されてしまった。逆に言うと、運良く破棄を免れた建造物などは、それぞれ文化財に指定されたものも多く、現在では大事に保護されている。それは神社側から見た神仏分離であるが、お寺から見ても同じ事が言えた。寺の境内に建てられた神仏習合的要素も廃棄されたのだ。ここに紹介する番神社は、日蓮宗(法華宗)の寺の境内に三十番神を祀った神社なのだ。三十番神とは、1日は、本地仏は大日如来とされる熱田大明神で、2日は普賢菩薩とされる諏訪大明神というように、ひと月を30日として法華経を毎日日替わりで守る(番をする)三十柱神のことで、神仏が習合した本地垂迹による神社である。

 戦国武将で、嵯峨源氏の流れをくむ渡辺氏は越中守兼が熊野山田庄に一乗山城と菩提寺の常国寺を築いた。天文3年(1534)に、毛利軍による宮氏の亀寿山城攻撃に参加、しかし天文5年には宮氏、古志氏らと共に尼子方に付いている。今度は天文20年(1551)に、毛利氏が総攻撃をかけたとされる宮入道光音の志川瀧山城に渡辺出雲守房は古志清左衛門と共に毛利方に付いて参戦している。
 この後の渡辺氏であるが、慶長5年(1600)、関ヶ原合戦で毛利氏と共に戦い敗れた。最後の城主渡辺景は、一乗山を退去し渡辺氏の歴史は幕を閉じた。しかし、景の5人の息子達は、約20年間に及ぶ浪人生活の後、元和5年(1619)、福山にやってきた水野勝成の家老上田玄蕃により福山藩に召し抱えられ、3男の日保は常国寺住職としてその菩提寺を守ることが出来たのだ。渡辺氏の名前は一文字が多い。その常国寺境内に番神社は覆屋に守られて鎮座している。明治の廃棄処分を免れた本殿は、日保の跡を継いだ日感が開山堂、番神堂(番神社)、喜正堂、三光堂、大鼓堂、鐘楼を建立し本堂客殿を再建している。元禄年間に再建された番神社本殿、唐門、鐘楼は福山市の重要文化財に指定されている。

 本殿の建築様式は一間社流造で小社ではあるが屋根には千鳥破風が付く。向拝は軒唐破風で?葺(こけらぶき)屋根だ。覆屋に収められているために保存状態は大変良い。恐らく創建から一度も雨風にさらされたことがないのではないかと思う。祭壇までは開いてみなかったが、開けると三十体の本地仏が鎮座しているのであろうか。


 …と、こんな「番神社」のようであります。
 鐘楼の奥に続きます道がありますので、直進し、「一乗山城跡」に向かってみたいと思います(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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